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チョコレートを食べると
まるで恋に落ちたような錯覚を覚える原因は、
チョコレートの成分の作用が、恋をした時と類似した影響を与えるのだと
科学的に解明されつつある。

だからこの胸の高鳴りも
ふわふわとした熱も
とろけるように甘い時間も全部、
君も感じてくれていたらと、願ってしまう。

例えそれが
チョコレートの
錯覚だとしても。

 

トリュフを口に含んだカガリは
足をパタパタさせながら言葉にならない声を上げ
文字通りとろけるようにソファに沈み込んだ。
瞳を閉じて香りと甘さの余韻を楽しんでいるのだろう、
その表情は幸せな寝顔のようだ。

――相当気に入ったみたいだな。

キラとラクスのことだ、カガリの好みに合わせて作っているのだろう。
“良かったな”と眼差しで告げて、アスランもトリュフを手に取った。
カカオとビターチョコレートのすっきりとした味わいに
風が吹き抜けるようにオレンジの風味が広がっていく爽やかなチョコレート。
“なるほど”と、アスランはまだソファに沈み込んだままのカガリに視線を戻し、笑みを深める。

――カガリが気に入りそうなチョコレートだな。

と、カガリは天使が目覚めるように体を起こし
とろけるような瞳で告げた。

「大好きだ。」

――え…?

息が止まった。
同時に、時間さえも止まったように動けなくなる。
鼓動が胸を打って再び回りだした秒針、
加速度を増して体は熱を帯びていく。

――違う…、違う。

カガリが好きだと告げたのはチョコレートの事なのだと
分かりきった真実をいくら自分に言い聞かせても、
密色の瞳にただ自分だけが映っている事実に錯覚しそうになる、
カガリが想いを差し出してくれたのだと。

そんな筈、無いのに。

恋人として最後に君が伝えてくれた事、
外した指輪にのせた君の想いを
あの日全部受け止めた。

分かっている、
今はもう、互いの想いが重なっている筈無いと。

そう、分かっているのに。

止まらない想い。
それが溢れて君に届いてしまう前に胸の内に抑え込む。
時が止まったような沈黙の中、
呼吸さえも忘れて
ただ密色の瞳を見詰め続ける。

「アスランは?」

「…っ。」

言葉に詰まる。
違う、力づくで言葉を止めた。
そうしなければ心のままの言葉が零れ落ちていただろう。

“好きだ”と。

今自分達はチョコレートの話をしている筈で、
きっとカガリの心を満たしているのもチョコレートで、
ずっと見たかった君の笑顔も
とろけるように甘い声もまなざしも、
みんなチョコレートのせいで。

――分かっている。

なのに思考も気持ちも自分の都合の良い錯覚に引き摺られていく。
これはチョコレートの錯覚なのだろうか。
アスランは思考を振り切ろうと無意識に首を振りそうになって硬直する。
カガリが小首を傾げて身を寄せて、アスランの袖をくいくいと引っ張っている。
これ以上にかわいらしい催促は世界中どこを探したって無いだろう。
アスランの余裕は一気に干上がった。

「なぁ、アスランは?」

無垢な瞳に問われれば嘘は返せない。

「俺も、好きだよ。」

無意識に、
想いは言葉に重なっていた。

その瞬間、
カガリの頬は染め上がり
アスランは一気に青ざめた。

――しまった…っ。

自分がどんなにあの頃と変わらぬ想いを抱いていたとしても、
あの頃よりもずっと、想いが強くなっていたとしても、
この想いは届かない。
届いてはいけない。
君と俺との間に引かれた境界線を越えて
想いを伝える事なんて。
そんな事をすれば、
君を傷つけることになると分かっていたのに。

――抑えられなかった。

想いも
それを表す言葉も
それを伝える声も
全部。

――だめだ、このままじゃっ。

空に溶けた言葉は取り返せない。
しかし、未だ耳に残っているであろう言葉の意味は変えられる。
アスランはチョコレートの話題へ戻そうと口を開きかけ、動きを止める。

――嘘・・・だろ?

上気した頬に潤んだ瞳、そして少しすねたような顔。
このカガリの表情をアスランは知っている。
恥ずかしさに耐えている時の顔だ。

いつだろう、
『お前のせいでドキドキして…
胸が苦しいぞ。』
子猫のように睨みながらそんな風に言ってくれたのは。
そうあの時は、きゅっと握りしめた手を胸元に当てて
真っ赤になった頬を隠そうとしたのか、ふっと顔を背けて。
でも、頬は髪で隠せてもおくれ毛から覗く小さな耳は色づいていて
何も隠せていない君が愛おしくて――

甘い過去にとろけそうになる思考に、アスランは苦笑する。

――そんな筈無いだろう。

今も互いの想いが重なっているなんて。
それが真実なら夢のような話だけど、

――それはただの夢にしかすぎない、
   そうだろ。

アスランは駆け出す一歩のような溜息をついて思考を切り替える。
状況は何も好転していないのに暢気に過去に浸っている時間は無い。
もう一度空気を変えなければ。
しかし、用意していた言葉は声になる事無く
代わりにアスランの瞳が見開かれる。

目の前のカガリが、きゅっと握りしめた手を胸元に当て顔を背けたのだ。
あの頃と同じように。
おくれ毛から覗く小さな耳が鮮やかに色づいていて
伝染するようにアスランは一気に体が熱くなるのを覚えた。

――そんな筈…無い。

もう一度自分に言い聞かせずにはいられなかった。
そうしなければ、どうやってこの想いを抑えていいのか分からなかった。

思わぬ形で伝わってしまった想いに、

――今のカガリが、応える筈が無い。

そう、結論は明白なのに、
あの頃と同じ仕草、同じ表情の君がいる。
その事実が真実を告げている、

――想いは今も重なっている…。

しかし、アスランはそれを否定した。

――そんな事、あり得ない。

否定しなければ全てを保てなくなると直感していた。
夢を叶えるために
持てる力の全てを懸けて励んできた日々も、
そのために胸にしまった想いも、みんな。
だから、止まらない想いも高まる鼓動も行き場の無い熱も切り捨てることに躊躇等無かった。
夢を叶えたその先で
会いたい君がいるから。

“カガリ”と名を呼んだ声は平静のそれに戻っていた。
声色が冷涼に聴こえ、声の温度差に自分の立ち位置を忘れどれ程舞い上がっていたのか思い知る。

――何をやっているんだ、俺は。

カガリを護るために、
同じ夢を叶えるために、

――今、俺はここに居るのに。

今ここに居る理由、
それは、

――俺の勝手な想いを押し付けるためじゃない。

呼びかけに応えないカガリにもう一度呼びかければ、
カガリは子猫が跳ねるように肩を震わせた。

「あ、えっと…。」

振り向いたカガリは色づいた耳と同じく頬を染めたまま
言葉を探すように視線を彷徨わせた。
まるで涙を溜めたように潤んだ瞳に
何処か切なさが薫るのは気のせいだろうか。
しかしその切なさは蝋燭を吹き消すように見えなくなった。

「ほ、本当に美味しいよな、
このチョコレート。」

いつもより早い口調も潤んだ瞳で浮かべた笑顔も何処か不自然で、
その仕草がアスランの否定を打ち砕き、真実が強く迫る。

――想いは今も…。

もう一度同じ言葉がアスランの心に浮かぶのと
鼓動が強く胸を打ったのは同時だった。

ずっと君を見てきた。
だからこそ分かる、
君を見ただけで。

君は今、きっと――



それはチョコレートがみせる錯覚なのか、
都合の良い夢なのか、
それとも2人の真実なのだろうか。





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