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君はいつも突然で、

俺の世界を変えていく。

眩い光と共に。

 

 

ギフトボックスに添えられたメッセージカード。
送り主からの手紙に引き込まれていたから

『そっか。
用は済んだし、私はこれで。』

席を立った君の変化に
気付くのが遅れたのかもしれない。

『あんまり残業するなよな。
って、今日の残業は私のせいだったな。』

少しおどけてそういった君の肩が
微かに震えていた気がした。

『じゃぁな。』

背を向けて駆け出した君。

夢かと思った。
今日この日に、君と会えたことが。
でも違った、

――夢にしようとしているのは
俺の方だ。

アスランは今を引き寄せるようにカガリの腕を引いた。
迷いも戸惑いも無かった。
夢中だった。
いつも煌めきを纏ったような君が
消えてしまいそうに儚く見えたから。

驚きに見開いた瞳が濡れている。

――どうして・・・。

微かに噛んだ唇で笑って見せる、
そんなカガリの表情を知っている。
泣きたいのを我慢している時、
こんな顔をするのだと、知っている。

何がカガリを泣かせているのか分からない。
でもその涙を受け止めるのは、いつだって自分でいたい。
想いのままに掻き抱いてしまいたい衝動は
無意識に働いた理性で形を変えて、
腕を掴んだ手を強くした。

今はもう恋人では無い。
互いの間に引かれた境界線を踏み越えれば、傷つくのは君の方。
だからこのまま、何も出来ないのだろうか。

――俺はまた、君が泣いていると知りながら
  何も出来ないのか…。

まるで引力を持ったかのように瞳を離せない。

――そんな事は無い、絶対に。

琥珀色の瞳に映った自分が微かに揺らめいた。
今にもこぼれ落ちそうな涙を止めるために出来る事、
抱きしめられないならせめて何か言わなければと思うのに
想いばかりが溢れて言葉が出ない。

「待って。」

漸く絞り出した声は掠れていた。
カガリは瞬きを一つ落とす、
それだけで涙が落ちてしまうのではないかとアスランの胸を締め付ける。
続く言葉を待つ真直ぐな眼差しは何処か頼りなかった。

何かを伝えなければいけない確かな予感、
なのに言葉が出てこない。
もともと上手く想いを言葉にできる程器用ではないし、
今何を伝えるべきなのかも分からない。

「待って、その…。」

焦りから同じ言葉を繰り返す。
自分の不甲斐無さがさらに焦りを呼ぶ。
だけど、

「うん。」

カガリが小さく頷いた。
それだけで無条件の安堵が広がっていくのを感じた。
波紋のように体を伝わるそれは、最後に微笑みを生む。

――君は知らないだろう。

カガリの言葉が、仕草が、
どれ程の喜びと無限の力を与えるか。

――俺に翼をくれるのは、
   いつも君なんだ。

アスランは迷わずカガリの手を取った。

――今の君にとっては迷惑なだけかもしれないが、

直感が冴える方では無いし、衝動的というよりも論理的に行動する方だと自覚している。
でも今は直感と衝動が論理的な思考を軽々と越えて行き、
アスラン自身それに身を委ねることに何の不安もなかった。

「おっ、おいっ。」

驚きの声を上げる彼女の手を引いて半ば強引にソファへと押し戻した。

――何も伝えずに、このまま君と離れてはいけない。
   そんな気がするんだ。

救急箱を抱えたままのちょこんと座ったカガリの隣に腰を下ろし、
アスランは未だ乾ききらないカガリの瞳に合わせて告げた。

「このチョコレートは、カガリが居なければ受け取れないんだ。」

「え?」

ひな鳥の翼のようにパチパチと瞬きを繰り返すカガリに
アスランは微笑みながら頷いた。

 

 

「これを読めば分かる。」

アスランから差し出されたメッセージカードを前にカガリは戸惑いの色を浮かべた。

「や、だってマズイだろ。
それは、アスランへの手紙だ。」

「あぁ。
でも、正確には“俺たち”に宛てた手紙だ。」

“どういう事だ”と眉を寄せたカガリに、アスランはメッセージカードを開いてカガリに手渡した。
そこには懐かしい文字が連なっていた。

≪みなさま、お元気ですか。≫

蝶が舞うような優雅な文字はラクスの筆跡で

≪アスラン、怒らずに最後まで読んでよね。≫

ちょっと癖のある文字はキラのもので、
ふわりとカガリの顔に微笑みが浮かんだ。
ラクスが書き始めた手紙にキラが乱入したのだろうか。
繊細で美しいラクスの文字の横から、斜めに歪んだキラの文字が続いている。

「これじゃ、二人羽織で手紙を書いたみたいだな。」

カガリが鈴の音のような笑い声を上げ、アスランはふっと安堵の息を吐く。
カガリの言うとおり、机に向かって筆をしたためるラクスを抱きしめるように
キラが後ろからペンを取り手紙を書いている姿が目に浮かぶようだ。

≪キラとわたくしで心を込めてチョコレートを作りましたの。≫
≪僕たちの自信作だから美味しく食べてね。
ちゃんと残さず食べてね。特にアスラン!全部カガリにあげちゃダメだからね!≫

アスランはキラが手紙の中で何かと突っかかってくるのが気になったが、
それでも

「ったくキラは、相変わらずだな。」

隣でカガリの笑顔を見れただけで心が満たされていく。
アスランはキラとラクスに感謝の気持ちを込めて、そっと瞳を閉じた。
何故チョコレートポストに自分宛てのチョコレートが紛れ込んでいたのか、
それはきっと、カガリと引き合わせるためにキラとラクスが気を回したのであろう。

――ありがとう。

しかし、後にアスランは気付くことになる、
この時選んだ言葉が間違っていた事に。

≪たまにはのんびりとティータイムはいかがでしょうか。
お二方の安らぎの一時になれば幸いですわ。≫

ラクスのメッセージのとおり
ギフトボックスの中にはかわいらしいトリュフがお行儀よく並び
ラクスのオリジナルブレンドであろう紅茶が添えられていた。
アスランは紅茶を抜き取り席を立ったが、その拍子に袖が引きつる。
何かと思えば、

「お茶は私が用意してやるから、
お前は座ってろ。」

カガリが袖を掴んで“座れ”と急かすようにくいくいと引っ張っている。
カガリが一番喜ぶ淹れ方でお茶を用意したいのに、
その仕草がどうしようも無く可愛くて
緩んだ頬をそのままにソファに腰掛けた。

 


軽やかな足音が扉の先に消えて、アスランは宇宙を仰ぐように天井を見上げた。
白い天井の向こう側にある星空が過去を呼び起こす。
初めてオーブで2月14日を迎えた時も

――君は突然で。

『ほら、早くっ。』

差し出された手。
訳が分からず立ち止ったままの自分。

『行くぞっ。』

応える前に手を取られて、

『行くって、こんな夜更けに何処へ。』

『いいから、ついてこい。』

灯りが落とされた屋敷の廊下を駆けていく君。
窓から差す月明かりに輝く髪、
揺れる華奢な肩、
繋がれた手、
絡まる細い指、
そこから伝わる熱。

連れ出されてきた場所はアスハ邸の屋上で、
満天の夜空の下で君はオーブの晴れ渡った空のような笑顔で言った。

『屋敷で一番高い場所はここなんだ。』

『あぁ。』

カガリの意図が分からずに頷いて空を見上げれば、
あまりの美しさに胸が詰まった。
宇宙の中に身を置き戦い抜いてきた、
だから宇宙は当たり前すぎる程見慣れたものだと思っていたのに
こんなにも美しいと感じるのは何故だろう。
地球の大気によって星の瞬きが生じるからか、
生命を生んだ地球から見上げているからか、
それとも君の隣に居るからか。

『綺麗だ。』

もともと感情を上手く言葉にできる程器用じゃないけれど、
言葉に収まりきらない感情を持て余し苦笑する。
でも、

『うん。
世界って本当に綺麗だ。』

君が言葉に出来なかった感情まで受け取ってくれているのが分かるから、
君がシンプルな言葉に言葉以上の感情を乗せて伝えてくれるから。
胸を熱くする、この感情を何と言えばいいのか分からない。
だからアスランは繋いだ手に微かに力を込めた。
するとカガリは澄んだ瞳を揺らめかせ、言葉を落とした。

『ごめんな、こんな場所にしか連れて来れなくて。
でも、お屋敷の中でここが一番宇宙に近いんだ。』

カガリの言っている意味が分からず
“カガリ?”と問い返せば瞼を伏せて繊細な睫を震わせた。

『だって今日は、アスランのお母様の命日だろ。
本当はプラントで、お母様のお墓で、いっぱい話したいよな。
ごめん…。』

カガリがくれた思いやりに、撃ち抜かれたような衝撃を覚える。

――母上の命日だと分かっていても
   俺は何も出来なかったのに…。

オーブに亡命した自分がプラントに行けるよう
カガリは秘密裏に手を尽くしてくれたのであろう。
それは今の世界情勢と自分の立場上、魔法を使わなければ叶わないような事なのに。

――全く、君って人は。

どうしてこんなにも誰かのことを大切にできるのだろう、
全身全霊をかけて。
護りたいものも、大切にしたいものも、
想いも熱意も期待も責任も、誰よりも背負っている筈なのに。

もう一度“ごめん”とつぶやくカガリの言葉を封じるように
アスランはカガリの唇に人指し指を当てた。
子どものように丸い瞳に見つめられ、アスランは笑みを深めて応えた。

『君が謝る必要は無いだろ。』

『でもっ。』

小さな握りこぶしを胸に詰め寄るカガリに、アスランは緩く首を振った。

『本当は、母上の命日をどう過ごしていいのか分からなかった――
いや、自信が無かったのかもしれない、
こんな自分が母上に祈りを捧げてもいいのか、と。』

『お前、何言ってるんだよっ。』

カガリがアスランの胸ぐらを掴む、
その勢いにアスランは一歩後ずさり宇宙から目を逸らすように瞼を伏せる。

『俺は祖国を護るために剣を取った、なのに、
最後に俺は祖国に剣を向け、
父上を護る事も出来なかった。
そんな俺が、母上に言える事は何も…。』

『バカヤロウっ。
子どもに会いたくない親が、何処にいるんだよ。』

頬を叩くような声にはっとする。
自ら閉じた扉を君が蹴破るように開け放つ、
この声に、扉の向こうの光に、何度世界を変えられただろう。

『大丈夫、お母様はお喜びになるって。
ここなら人も来ないし、ゆっくり話してこいよな。』

そう言って笑顔を浮かべたカガリは
ふわりを踵を返し遠ざかっていく。
アスランは夢中で手を伸ばしカガリの腕を引いた。

『何処へ行くんだ。』

カガリはきょとんとした顔をして、おどけて小首を傾げた。

『こういう時は家族水入らず、だろ。
お邪魔虫は退散だ。』

『気にすることは無い。』

母上の命日にあれ程戸惑っていた自分から出た言葉に驚いた。
本当はずっと母上に祈りを捧げたかったのだと気付く、
顔向けする自信が無かっただけで。
でも今は、カガリが背中を押してくれたから
真直ぐに宇宙を見上げることが出来る気がするんだ。

――俺に翼をくれるのは、
   いつも君なんだ。

頑として首を縦に振らないカガリに、
アスランは掴んだカガリの腕から撫でるように手を滑らせ
もう一度手を繋ぐ。

『一緒に居て欲しいんだ。』

唇を噛んだまま俯いたカガリに
繋いだ手を軽く振って“カガリ”と名前を呼ぶ。
顔を上げたカガリは苦味と諦めが混ざったような表情を浮かべていた。

『プラントを討ったのはオーブだ。
そして私は、オーブの代表首長だ。
だからっ。』

諦めたくない想いがそれ以上の言葉を遮った。
カガリはきつく口元を引き結び、耐えるように拳を硬く握りしめ小さく震えている。

――君って人は…。

さっきカガリからもらった言葉、
今度は君に渡そう。

『大丈夫。
きっと母上は喜んでくださる。』

『でもっ。
でも、オーブはたくさんのプラントの人たちの命を奪った。』

アスランは静かに頷き、カガリの頬に手を当て
半ば強引に顔を上げさせた。
琥珀色の瞳に自分と宇宙が映っている。
それを見てアスランは確信する、
今、俺達がここにいること、それが全てなのだと。

『でも君は、俺たちは、護った。
大切な人を、未来を。
そこに今俺たちは居るんだ。』

“そうだろう”と眼差しで語りかければ、大きな瞳が揺らめいいた。

『それに、母上にカガリを紹介したいんだ。
だから、傍に居てくれないか。』

返されたのは花のような微笑みだった。

 

2人で手を繋いで見上げれば
母に抱かれるように宇宙に包まれた。
母上に祈りを、そう思っていたのに
胸に浮かぶのはありふれた日常の風景ばかりで、
思い出の欠片が万華鏡のように煌めいては消え、また新たな煌めきを生む。
もう決して手の届かない煌めきは、星のように遠く輝やいて胸を締め付ける。
どうしようもなく想いがこみ上げてくるのは、
この宇宙の美しさが何処か優しいからだろうか。

ふと隣を見ればカガリが静かに涙を落していた。
瞳に星の輝きを乗せて。

『カガリ、ありがとう。』

想いを言葉にすることも祈りにすることも出来ず、
ありのままの感情を表すことも上手く出来ない自分の代わりに、

――泣いてくれて、ありがとう。

カガリの頬に手を添えて、愛おしむように涙を拭う。
透明な涙のあたたかさに触れ、アスランの瞳に膜が張る。
何度拭っても溢れる涙に、カガリは子猫のように首を振ると

『ハンカチ持ってるから大丈夫』

と潤んだ声で強がるから、

『そうだな。』

そう言ってアスランはカガリの瞼にくちづけを落とす。
カガリは音がしそうな程一気に頬を染め

『ばっ、バカヤロウ!
恥ずかしいだろ、おっ、お母様の前で…』

と押し寄せる恥ずかしさに耐えるように胸の前で拳を握りしめた。
そんなかわいらしい仕草にアスランは微笑みを浮かべる。

『大丈夫、ちゃんとカガリの事紹介するから。』

“お前、何って言うつもりだよ”と言って子猫のように唸り声を上げた瞬間に
小さなくしゃみが飛び出した。

『気がつかなくてごめん』

そう言ってアスランはジャケットに手をかけたが

『これくらい、寒くないぞ。』

とカガリはくしゃみを気に留めず、

『風邪をひいたら大変だから。』

とアスランが言っても

『いいって、オーブの冬には慣れてるし。
お前の方が風邪引くぞ。』

カガリが引く訳が無かった。

『俺の心配はしなくていい。
寒さは気にならないから。』

とアスランが言えばカガリは目を丸くして、

『寒さが気にならないって、どういう神経してるんだ。
アスランの場合、強いのと鈍感なのは紙一重だぞっ。』

逆にカガリに叱られてしまい、
アスランは

『じゃぁ仕方ないな。』

そう言って、カガリを背中から抱きしめた。

『これで寒くない、だろ。』

アスランのジャケットの中にすっぽりと収まったカガリの華奢な肩口に顔を埋める。
ブロンドの髪から覗く小さな耳たぶが花びらのように朱に染まっているのが見える。
“おっ、お前なぁっ”と抗議の声を上げながら小動物のようにジタバタとして腕の中に収まらないのは
カガリの照れ隠しだと知っているから、
アスランは笑みを深めて腕の力を強くする。

『カガリ、あったかい。』

こう言えば君はきっと――

『ア、 アスランも、あったかい…ぞ。』

想いに応えてくれるから。
そう信じているから。
だから想いを伝えよう。
どんなに自分が不器用で上手く言葉に出来なかったとしても、
君に想いを伝えよう。
だって君はいつでも、
そう、初めて出会ったあの時からずっと、
真直ぐに想いを伝えてくれたから。
真直ぐに想いを受け止めてくれるから。

『カガリ、ありがとう。』

 

 

瞳を開けば真白な天井が広がっていた。
当たり前のように想いを伝える事が出来た、あの頃が懐かしい。
扉が開いた音がして、芳しい紅茶の香りを纏いカガリが顔を出した。

「覚えてるか、この紅茶。」

「あぁ、マルキオ様の孤児院で、ラクスがよく淹れてくれた紅茶だろ。」

香りは記憶を呼び起こす、
手触りまでもそのままに。

あの頃と変わらない晴れ渡った青空のような笑顔と、
この胸にある変わらない想い。
だけど今はもう、想いを伝える事は叶わない。
自分達の間には目に見えずとも越えられない境界線が引いてあるから。

手を伸ばせば抱きしめられるこの距離が遠い。
あの頃よりもずっと。







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