messenger





自ら引いた境界線につま先を付けたまま
手を伸ばした。

限界まで、
腕が痛くなる程。

この手が届かなくてもいい。
向こう側であなたも手を伸ばしてくれていることが
何より嬉しいから。

 

 

カガリは消毒綿を傷口に当てた。

「沁みるか?」

と問えば

「あぁ、少し。」

と応えるアスランの口元は緩やかな弧を描いていて

「だから、笑いながら言ったって説得力無いって。」

と一睨みすると
“そうだな”と言いながら笑みを零し

「ほら、動くとやりずらいじゃないか。
お前、手当される気あるのかよ。」

呆れた声で怒ったふりをすれば
“ごめん”と優しい声が返ってきた。

 

触れた指先が、手が、熱い。
それだけで鼓動が痛い程胸を叩くから
普通じゃいられない。
恋人と呼べる関係にあった頃は
手を繋ぐだけで安らぎを感じたのに
今は手が触れるだけで苦しくなる。
それは、突然訪れた胸の高鳴りに戸惑っているのか
それともあの頃以上に想いが強くなっているのか分からない。
いや、分からない事にして思考を打ち切った。

だって答えはもうこの手の中にあるから。

傷口に当てたガーゼをテープで固定しながら感じるのは
アスランの優しい眼差しで。
ずっと私を護ってくれた眼差しで。

止められる訳無い、
溢れるこの想いを。

「本当にカガリは変わらないな。」

思考の世界から一気に現実に戻される。
まるで強引に抱き寄せられたように心が震えて

――どうかしてるな、私は。

手元に集中しながらでも分かる。
きっと今アスランは穏やかな顔をしている。
瞳を閉じて身を委ねたくなる、
あの表情が大好きだった。

「そそっかしい所がか?」

止まらなくなる想いに流されまいと
わざと空気を変えようとしても、

「違うよ。」

しかし2人を包む空気は変わらない。
冗談一つで塞き止められる程浅い想いでも無い。
だから――
カガリはさりげなくアスランの顔色を覗く。
今、この時を、
アスランも心地よく思っていてくれたらいいのにと。
するとアスランは懐かしさに綻んだ表情を浮かべていた。

「何もかもが衝撃的だった。
行動も言ってる事も無茶苦茶で…。」

「悪かったなっ。」

あの頃と変わらない憎まれ口はきっと可愛い女の子からはかけ離れたものだろう。
にも関わらずアスランは笑みを零しながら続ける。

「初めて出会った存在に戸惑っているのだと、最初は思った。
あの頃プラントでは、ナチュラルは野蛮だというイメージがあったから。
だけど本当は眩しかったのかもしれない。」

カガリは思わず顔を上げた。

――え?

それは声にならずに吐息だけが落ちた。

「目をキラキラさせて…
自分の想いに真直ぐな君を見て
“生きている”感じがした。
俺たちよりもずっと。」

胸の高鳴りが止まらない。
アスランの言葉に捕らわれたまま動けない。
言葉が心を震わせて瞳を濡らす。

この声色も眼差しも知っている、
アスランが大切なものを語る時の仕草だと言う事を。
アスランの事を知りすぎているから分かってしまう、
どれ程あの日の出会いを大切に思っていてくれたか。

「私も同じだ。」

口をついた自分の言葉にカガリは驚く。
想いがそのまま言葉になっていた。
私も同じ、あの日を大切に想っていると。

驚いたアスランの瞳、
自覚している以上に心が開いていたことに気付いてカガリは動揺する。
繋がった視線を外せずにカガリは微かに唇を噛んだ。
これ以上想いが零れてしまわないように。
しかし、開いた花の花びらを戻すことは出来ず、
花びらを無理矢理手で押さえても広がった香りを消すことは出来ない。
それは心も同じだ。

「惹かれていたんだ、アスランに。
地球の人の命を奪うんだって、分かってても。
一緒に生きていきたいと、思った。」

結ばれた眼差し。
想いのままに求めそうになる手を握りしめて、
カガリは“ほら、終わったぞ”と言いながら
救急箱を片付ける事を口実に視線を外した。

 


カガリは隣に腰かけたアスランに気付かれないよう
静かに深呼吸をひとつ入れる。

――ったく、不意打ちでこういう事するヤツなんだから。

まるで口説かれているんじゃないかと錯覚するような言葉に
まだ胸の高鳴りが収まらない。

自分の気持ちを言葉にする事が苦手なアスランに
愛の言葉をささやかれた事など殆ど無かった。
突然の抱擁もくちづけも、
そこに言葉が無くてもアスランの沈黙は雄弁で
どんな愛の言葉よりも多くを語っていたと、
そんな気がした。

求める指先、
触れ合った胸を伝う鼓動、
瞼を閉じる前の瞳――

カガリは無意識に指先をそっと唇にあてる。

互いの事を分かっているつもりだった、
言葉にせず、出来ず、分かりあえなかった事もあった、
だけど気持ちは、想いは、

――私は全部受け取っていたよ、
  抱えきれないくらい、いっぱい。

そしてカガリは小さな笑みを浮かべる。

――だけど時々、さらっと口説き文句を言ったりして、
何処のプレイボーイかよって思う位。

カガリは唇にあてた指先を丸めてアスランの顔を覗く。
そう、そんな時は決まって。

――無意識なんだから、タチが悪い。

アスランはきょとんとした顔をして首を傾けた。
恐らく、急に黙り込んだカガリを不思議に思ったのだろう。
いつ以来だろう、アスランの無防備な表情はカガリの笑いを誘い
肩で跳ねた髪が揺れた。

 

 

「で、今日は一体どうしたんだ。」

アスランに切り出され、カガリは“そうだった”と手を打ち、
封筒から薄茶色の紙袋を取り出しながら
“お前の事、忘れてた訳じゃないぞ”と心の中で呟いた。

「お前にお届け物だ。」

と言って紙袋の中身を取り出しアスランに差しだす。
晴れ渡った空を思わせる青の包装紙にベビーピンクのリボンが掛っている。
包装紙とリボンの間にはメッセージカードであろう、小さな紙が挟まっていた。
フリーズした機械のように動かないアスランに、
カガリは“ほら”と言いながらギフトボックスを突き出した。
固まったままだったアスランの視線がカガリとギフトボックスを一往復して
漸く彼は口を開いた。

「これは、どういう…。」

まるで絞り出したような掠れた声。
カガリは慌てて事の次第を説明した。

「チョコレートポストって、知ってるか?
ほら、私宛のチョコレートを入れる箱なんだけど。
そこに、お前宛てのチョコレートが入っててさ、それで…。」

カガリはこれ以上言葉を継げなくなった。
何故なら、

――あれ?怒ってる?

アスランは表面上は常と変わらぬ表情を浮かべているが、
怒りの感情を抑え込もうとする時“こんな顔するんだよな”と
カガリはぼんやりと思っていると、
アスランは溜息と共に額に手を当て俯いた。

――今度は、苛立ってるのかっ?

アスランが何に気分を害しているのかは分からないが
自分が持ってきたチョコレートが引き金である事は明白であるため
カガリは慌てて言葉を繋いだ。

「私が持ってきたからって、強制的に受け取れって訳じゃないからなっ。」

再び落とされた溜息が何かを振り切るように聴こえたのは気のせいだろうか。
顔を上げたアスランの表情は何処か冷たく、だからこそ真直ぐな眼光に熱を感じた。

「すまないが、応えられない気持ちは受け取れない。」

誠実さの滲み出るアスランの言葉にカガリはふわりと微笑みを浮かべる。
そう、この微笑みの本当の意味をカガリは自覚できずにいた。
この時はただ、アスランらしい誠実さを垣間見た嬉しさだけだと思っていた。

一方、アスランは苦味を噛み潰した表情で続けた。

「俺のせいで迷惑をかけた。
ごめん。」

視線を下げたままのアスランに、
カガリは慌てて“何でお前のせいになるんだよ。”と返せば、

「いや、これまで断らずに全て受け取っていれば、
こんな事にはならなかった筈だから・・・。」

カガリは呆れる程知っているアスランの性格を改めて思い知る。

――相手の為に一生懸命で、いつも自分を後回しにして。
   だから放っておけないんだ。

「あのなぁ、私の為に自分のスタイルを曲げるなんて、
どうしてそんな考えになるんだよ。」

溜息交じりに告げれば、直もアスランは苦い表情を浮かべたまま

「だが、こうなったのも送り主が俺が受け取らないと知っていたからだろう。」

と言うから、カガリは呆れたとばかりに言い返す。

「じゃぁ、全部チョコ受け取って、その後どうするんだよ。
甘いものが苦手なザラ准将。」

マイクを向けるように拳をアスランの口元へ運ぶと、
アスランは苦笑する以外無い。
カガリは軽やかな笑みを浮かべ頷いた。

「これはお前のせいじゃない。
それに送り主は断られた場合も想定してたみたいだぞ。」

と言って、カガリはチョコレートが入っていた薄茶色の紙袋に記されたメモ書きを読み上げる。

「“ザラ准将が受け取らなかった場合は、チョコレートの処分はカガリ様に一存します。”」

“な?”とばかりにカガリはアスランに視線を投げる。
今だ納得しないアスランに肩をすくめて、カガリはメモ書きの続きを読み上げる。

「“ただし、ザラ准将には、チョコレートを受け取るかどうかの判断は
メッセージカードを読んでからにしてくださいとお伝えください。“だってさ。」

カガリからもう一度ギフトボックスを差し出され、
アスランは諦めたようにそれを受け取り、メッセージカードを開いた。

カガリは薄茶色の紙袋を畳んで茶封筒に仕舞いながら、胸の内で語りかける。
“良かったな、お前の気持ちはちゃんと伝わったぞ”と。
そうしてカガリは気付くのだ、“私はメッセンジャーなんだ”と。
チョコレートに託された想いを届けるメッセンジャー。
こんなバレンタインの過ごし方もあるのだと、役目を終えたカガリは満足げな表情を浮かべた。
しかし――

「このチョコレートは、受け取る事にする。」

「え?」

アスランの言葉を確かめるように顔を見れば、
彼はまるでチョコレートに語りかけるような優しい笑みを浮かべていた。
この顔も知っていると、その事実が胸を刺す。
アスランが嬉しい時の顔だと。

カガリは動けずにいた。
何を言えばいいのか、
息をする事すらどうすればいいのか分からない。
次々と気泡のように浮かんでは消える言葉。

『…真の平和は自ら幸せを選んだ時に…』

アスランが自ら幸せを選んだこの日、
アスランにとっての真の平和が訪れて。

『想いを馳せる日だ。』

人々が幸せな日を迎えられた事に感謝し、
この平和が常しえに続く様にと祈ること、
それが私にとっての精一杯のバレンタインデーで。

だから――

アスランはもう一度メッセージカードに目を通しては
肩を揺らして笑っている。
胸の内に冷たい澱が降り積もっていく。

そう、だから、
アスランに訪れた幸せが、平和が、
常しえに続く様にと祈りたいのに
何も出来ない。

――本当に?

知らずカガリは自らに問いかける。
本当に祈りたいのだろうか、私は。
誰よりも大切なあなたの幸せを
きっと誰よりも望んでいるのだと自信を持って言える。
でもそれを目の前にして動けなくなるのは、何故――

『夢を叶えるために選んだこの道に、悔いも迷いも心残りも無い。』

その言葉に覚悟に
嘘は無い。

『だから、
誰が彼に想いを寄せようと、
彼が誰に想いを寄せようと、
私が出来る事は一つだけだ。』

そう、一つだけ。

『彼の幸せを祈り、結ばれた幸せを祝福すること。』

アスランの夢を護れる力が欲しいと思った。
夢を叶えたその先で、アスランの笑顔が見れるならそれでいいと思った、
例え隣に私が居なくても。
なのに――

――私は…。

『私はメッセンジャーなんだ。』

誰かの想いを届けるメッセンジャー。
メッセンジャーは送り主と受取る人との間を繋ぐだけ。
2人の想いが繋がるようにと。

もう一度カガリは胸の内で呟いた、
私はメッセンジャーなんだ、と。
そこに私の想いが入る余地なんて、何処にも無かったんだ。

 

 

「そっか。
用は済んだし、私はこれで。」

カガリは紙袋を仕舞った茶封筒と救急箱を抱えて立ちあがる。
アスランが私では無い誰かと結ばれる未来、
それを目の前にして、祝福する事も祈る事も
何もできない自分が許せなかった。
誰よりも、誰よりも、

――アスランの幸せを望んで、
   祈って、
   頑張って…
   なのにこんなっ。

自分ならできると思っていた。
でも本当は、それを受け入れる準備なんて何も出来ていなかった。

『応えられない気持ちは受け取れない』

アスランの言うとおりだと、カガリは苦味と共に唇を噛みしめる。
アスランの幸せに応えられない自分、
気持ちを受け取れない自分。

アスランの気持ちを、想いを

『私は全部受け取っていたよ、
抱えきれないくらい、いっぱい。』

そのつもりだった。
過去も今もこれからも。
なのに私は――

 

「あんまり残業するなよな。
って、今日の残業は私のせいだったな。」

少しおどけて肩を竦ませた、
その肩が震えていないか、
想いが見透かされてしまわないか
怖くて仕方が無い。

逃げるのは嫌いだ、
だけど今は早く背を向けてしまいたい。

「じゃぁな。」

胸が痛くて苦しいからじゃない。
このままじゃ、アスランを傷つける。

――そんなの絶対に嫌だっ。

アスランの幸せを今この時に祝福出来ないのなら、
せめてその幸せを護らせてほしい。
次に会う時までには、もっと強くなっていると約束するから。

――だって私は、今でもアスランの事が。
   ずっとアスランの事がっ。

カガリは扉へ向かって駆け出した。






←Back  Next→

Top   Blog