messenger





窓ガラスに映った自分の姿を横目で見る。
ふわふわとしたモヘアのニットにショートパンツ。
軍の職員とすれ違う度に感じる視線は、この格好が浮いてるからだと結論付けた。
念のためパワハラにならないようにと首長服から私服に着替えて来たが
思わぬ注目を集めてしまったかもしれないと、カガリはニットから覗く白い首筋を掻いた。

――まてよっ。

もし、自分がアスランにチョコレートを渡している所を
誰かに見られでもしたら――

そう考えて青くなりそうな思考に、カガリは一笑した。
誰に見られてもいいじゃないか、
後ろめたい事なんて何も無い、
隠さなければならない想いなんて何処にも無い、
このチョコレートには。

やっぱりそれが、
少し羨ましい。

 


オーブ軍庁舎の廊下に響く靴音が普段よりも大きく感じる。
周囲を見渡して、カガリは“なるほど”と納得する。
退庁時刻をとうに過ぎているため行きかう職員の数が平時より少ないのだ。
“今日がバレンタインデーだから”というのも理由の一つであればいいなと、
カガリは淡い微笑みを浮かべる。
大切な人に想いを伝えることが出来る世界は、なんて平和な事だろう。
そんな当たり前の幸せが奪われる瞬間を幾度となく見てきたからこそ
この素朴な煌めきを愛おしく思う。

――そうか。

カガリはもう一つ納得した。
想いを伝えられない自分にとって、バレンタインデーとは何だろう。
その答えが見つかったのだ。

――想いを馳せる日だ。

人々が幸せな日を迎えられた事に感謝し、
この平和が常しえに続く様にと祈ること。

きっとそれが、
今私にできる
精一杯のバレンタインデーだ。

軽くなった心が背中を押して
カガリは控えめにノックをして扉を開けた。
と、思いの外職員が残っている事に驚いて
カガリは一拍置いて労いの言葉をかける。

「皆、残業か。遅くまで御苦労だな。」

驚いたのはカガリばかりでは無い。
事務机で明らかにだべっていたであろう若手男性職員3人組が
飛び上がるように敬礼した。

「アっ、アスハ代表っ。」

そんな彼らに苦笑いを浮かべながら壮年の男性が丁寧に対応した。

「こんな時間にお一人で…、一体どういった御用でしょうか。」

すると瞳を輝かせた若手職員が、天を突き刺さんばかりに挙手をした。

「まさか、ザラ准将にチョコレート、でありますか!」

と同時に、両脇の2人の悲鳴が上がった。
カガリは“やっぱり誤解を招くよな”と内心思いながら応えた。

「あいにく私はチョコレートを用意していない。
ただの届けものだ。」

そう、この言葉に嘘は無い。
確かにアスランにチョコレートを渡しに来たのだが、
カガリ自身はチョコレートを用意していないし、託されたチョコレートを届けに来ただけなのだから。

すると3人組はがっかりと安心を混ぜたような表情を浮かべ、
“だよな〜”と頷きあっている。

「もしもだけど、アスハ代表のチョコレートを渡されたらザラ准将はどうするんだろうな。
だって、チョコレートは全て断ってるんだろ?」

「流石に受け取るんじゃないか、だって代表首長直々のチョコレートだぞ。」

その発言にカガリは軽いツッコミを入れる。

「それじゃパワハラにセクハラを疑われるぞっ。」

室内に笑い声が響いて、若手の一人が思いついた勢いのまま声を上げた。

「もしも断ったら伝説になるぞ!
“オーブの姫のチョコレートを突っぱねた”ってさ!」

“間違い無い”とさらに笑い声が重なった。
カガリは思う、なんて気持ちの良いやつらだろうかと。
誤解を恐れる必要等無かったのだ、
彼等からの信頼を前にして。

 

笑いは絶えなかったが頃合いを見て壮年の職員が手を叩いた。

「さぁ、お前たちはそんな所で油を売ってないで
そろそろ退庁したらどうだ。」

「あれ、彼等は残業してたのではないか。」

カガリの疑問に壮年の職員は眉尻を下げて応えた。

「彼等は残業ではありません。
今日はザラ准将が気を利かせてノー残業デイとしてくださったのですが…
彼らは帰宅したがらないんですよ。」

彼等に向けられた視線は“困った奴等だ”と語っている。
バレンタインデーに特に予定も無い寂しさを、こうして職場でだべることで紛らわしているのであろう。
カガリはふっと笑みを浮かべて彼らに問うた。

「家に帰りたくないってコトは、今夜は特に予定は無いんだな。」

すると3人は拳を突き上げハモりながら応えた。

「俺たちロンリーバレンタインですから!!」

“何だそのグループ名は”と突っ込みたかったが肩を組んで明後日を指差している彼らには何も言えず、
“しょうがないな”と呟いて携帯用端末を取りだした。
不思議そうな眼で見る彼らにウインクして、カガリは通話を開始する。

「あ、モエギか?
いや、公務の事では無いんだ。
実は暇そうな男たちが居てさ…。」

話を終えたカガリは携帯用端末を手早く操作し、
ロンリーバレンタイン3人組に向かって告げた。

「恋人のいない女子職員が焼肉パーティーをやっている。
途中参加は大歓迎だそうだ。」

すると3人は飛び上がり喜びの雄たけびを上げている。
3人はカガリから店の位置情報とモエギの連絡先を受け取ると
どんな訓練でも見せた事の無い素晴らしいダッシュで席を後にした。
“気持ちの良い馬鹿どもだな”と壮年の職員の呟きにカガリはクスリと笑って頷いた。

「平和だなぁ。」

カガリの漏らした言葉に、壮年の職員は頷きながらも言葉を返す。

「確かに平和になりつつあります。
が、まだこれからです。」

間もなく定年を迎えるであろう彼の言葉に込められた厳しさに、時の重みを感じる。
彼は入庁してからの大半の時間を、世界で繰り返される争いの中に身を投じてきたのだと思い
カガリは軽はずみだったかと口を結ぶ。
しかし返されたのは朗らかな微笑みで。

「真の平和は、
カガリ様、あなた様が自ら望んで幸せになった時です。」

「私は十分幸せだぞ。」

カガリは驚きに見開いた瞳を細めて応えると、
壮年の職員は何事も無かったかのように鞄から財布を取り出し席を離れた。

「私は残業が長くなりそうなので夕食をとってきます。
この部署の職員は一時的に空になりますので、ザラ准将によろしくお伝えください。」

「や、でも准将は離席しているようだが…。」

「奥の部屋で作業をされております。
私から内密な相談があると言って引きとめておきましたので。」

まるで人払いをしたかのように静まり返った室内に視線を滑らせ、カガリははっとしたように彼を見た。
が、既に彼の姿は扉の先に消え
扉が閉まる音だけが無機質に響いた。

カガリは手に持っていた大きな茶封筒の蓋を覗きこんだ。
通常であれば書類が入っているであろうそれには、
薄茶色の質素な紙袋に包まれたチョコレートが入っている。
“お前は人騒がせだな”と、カガリは子猫のように睨んだ。
恐らくモエギが気を利かせて人払いをするよう事前に連絡を入れたのであろう。
“チョコレートポストにチョコを入れればアスハ代表が届けてくれる”なんて噂が立ったら
公務どころではなくなってしまうのだから。
これだけ人を巻き込んだのだから、
このチョコレートは必ず送り届けなければならないとカガリは心に決める。
“想いは伝える事が大事なんだぞ”
そう、チョコレートに言い聞かせて。

 

 

控えめにノックをすれば扉の向こう側から返事が聴こえた。
耳を澄ませたくなるような優しい響き。
作業の邪魔にならないよう極力音を立てずに扉を開けば
こちらに背を向けて作業に取り組む広い背中が見えた。
資料の並べ替えでもしているのだろうか、
いくら科学技術が進んでも役所は紙社会だと証明するような膨大な量の資料が積まれている。

「リードさん、ソファに掛けてお待ちいただけますか。
後少しで終わりますから。」

アスランはリード氏からの内密の相談だと思いこんでいるのであろう、
背を向けたまま声を掛けてきた彼に、カガリは小さな悪戯を思いつく。
誠実さが滲み出るその背中に私が声をかければ、
どんな驚いた顔をみせてくれるだろうかと。
涼やかなアスランの表情が崩れる瞬間を想い描き、カガリは小さく笑った。

「わかった、急がなくていいからな。」

しかしアスランは振り返る事も驚きの声を上げる事も無く、
カガリの予想に反して沈黙が落ちること数秒――
大量の資料が床に落ちた。
雪崩のように床を滑る紙の乾いた音が室内に響く。

「おいおい、大丈夫か。」

床を白く塗りつぶすように紙をばら撒いたまま動けずにいるアスランの横に
カガリはちょこんと座りこむと、せっせと紙を拾い出した。

――ひょっとして怒ったか・・・?

直立不動のアスランに拾い集めた紙の束を差し出し

「ごめんっ。
ちょっと驚かせようと思っただけだったんだが・・・。」

カガリは困ったように微笑みかけた。
すると、ゆっくりと顔を向けたアスランの唇が何かを形作る。
名前を呼ばれたような気がして、一瞬で瞳が潤む。
ずっと隣にいたから唇の動きだけで分かる、
でもそれ以上に、
今のアスランがカガリの名前を呼ぶことは無いとも分かりきっている。

「ア・・・スハ、代表?」

――やっぱり、気のせいだよな。
   名前を呼ぶなんて。

カガリは想いを胸に仕舞うように瞳を閉じて、
次の瞬間には鮮やかにアスハ代表の姿を現す。

「すまないな、邪魔してしまったみたいで。」

肩をすくめて再び足元の資料を掻き集め出すと
先程の緩慢な動作が嘘のようにアスランは姿勢を低くするとカガリの手を制し

「片付けは自分が。
代表の手を煩わせる訳にはいきません。」

しかしそれにカガリがそれに応じる筈は無く

「気にするな。
と言うか、もとはと言えば私のせいじゃないか。」

ここで引くアスランでも無く、

「気が緩んでいた自分のせいです。」

「私が驚かさなければ、こんな事にはならなかっただろ。」

「この程度で取り乱すなど、自分が至らなかったからです。
代表に責めはありません。」

言葉を返す隙を奪うように、アスランはカガリが手に持っていた紙束を取り上げると
しゃがみ込んでいた彼女を軽々と立ちあがらせた。
が、やはりここで諦めるカガリでは無く
アスランの手に渡った紙束を両手で掴み、

「これでは私の気がすまないんだ。」

アスランが紙束から手を離す訳は無く

「代表に紙拾いをさせるなんて出来ません。」

最早、互いに意地になり

「いいから手伝わせろよっ。」

カガリが半ば強引に紙束を引いた拍子に
床に散らばった紙に足元を取られ

「ぉわっ。」

後方に倒れるようにバランスを崩した。

反転する視界、
白い天井に幾つもの紙が舞っているのが見える。
衝撃に備え受け身を取ろうとした腕が体が動かないのに
来る筈の衝撃はいつまで待っても来ず、
舞い上がった紙が床に降り積もる音だけが耳を掠める。

「大丈夫、ですか。」

至近距離で響く耳慣れた声は
あの頃と違わず心を震わせて、
瞳に映る彼は困ったように微笑んでいて、
この顔を知っていると思った。
笑いを堪える時、いつもこんな顔をしていたと。
“笑うなよっ”そう口に出そうとして唇がそれを拒む。
今とあの頃は違う、
そうだろ。

「代表?」

アスランの呼びかけで現実に引き戻され、

「す、すまない。
大丈夫だ。」

彼の腕に抱きかかえられている事に気付くとさっと頬に赤みが差し
それを髪で隠すように顔を斜めに傾けた。




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