オーブ軍本部総司令室では、クライン議長よりの通告と救助要請を受け
武官等は緊張に満ちたその空気に晒されながらも尽力していた。
その中央に鎮座するキサカは黙ってその様子を見守っていた。
わざわざ自ら指揮を執らずとも自立的に機能する、
そういう組織に編みなおしてきた自負が、
キサカに有事の場合の迅速かつ柔軟な初動及び対応を可能とさせる余裕を帯びさせ、
それが部下である武官等へ波及し、彼等に精神的な安定をもたらしていた。
そして、その場に凛と姿勢を伸ばして立つカガリの存在が
彼等を照らし同時に彼らの胸に希望の火を燈していた。
カリヨンと通信が繋がれ、総司令室の中央に位置するテーブルが点灯すると俄かに将官等が集まりだした。
ラクスが深々と頭を垂れた拍子に桜色の豊かな髪がゆったりと靡いた。
集まったものたちは最高敬意を示す敬礼で応えると、キサカ総司令官を中心として参謀から作戦の確認がなされていった。
「ストライク・タキストスが破損した場合は、生存を確保するため緊急収容する必要がある。
また、クライン議長直々の通告だが、連合側の対応がそれに沿わず国際法を遵守する蓋然性は否定できず、」
制空圏に侵入した武装兵機の排除の執行は自衛権として国際法によって保障されている。
それを遵守するならば、ストライクが制空圏へ侵入した瞬間に打ち落とすことは正当な権利であることになる。
「ストライク・タキストスが暴発する可能性も考えられ、さらなる被害拡大も想定し得る。
よって、キラ様とクライン議長をお守りするため、月に駐留する我が軍は連合の制空圏の境界に布陣する。」
テーブルの上で三次元で表示された軸の上に、アスランから送られてきたストライクの予測経路に合せたパターンが表示され、
それに適応した布陣が展開されてゆく。
さらには、それを迎える地上の配備においても綿密な計画が練られていた。
カガリとラクスはそれぞれに静かに頷きながら
一字一句取りこぼさぬように耳を傾けていた、
その時。
「カガリ・・・。」
ラクスは通信のマイクでは拾え無い程の小さな呟きを洩らした。
カガリは、聴覚が消え去り、
ゆっくりと視界が傾いていくのを感じた。
自分の体勢を把握するより先に痛みが伝播し、
全身を痺れさせる程の頭痛と、まるで心臓を素手で鷲掴みにされたような胸の痛みを感じ、
手をあてがうよりも先にその体はテーブルへ向かって崩れ落ちた。
「カガリっ!」
ラクスの悲鳴にも似た呼び声が、騒然となった室内に響き渡る。
傍に控えていた武官によって体を支えられたことにより衝突を免れたカガリは
弱弱しくも片手を挙げて皆に微笑みを向けた。
「大丈夫だ・・・。」
肺に残った空気を搾り出したような声は儚くも掠れ、
それまでこの場にいる者を燈し続けた強き光とあまりにかけ離れていた。
代表直属の新米秘書官は瞳を潤ませながらカガリの腕を引いた。
「代表、やはりまだお体が・・・。」
その先の言葉を拒むように舌が痺れ、秘書官は小さく首を振った。
カガリは視界の隅に入ったモニターの先で、ラクスが澄んだ空色の瞳を潤ませているのを捉え、
さらに緊迫した室内に混入した不安を嗅ぎ取った。
強がれば強がる程、不安を煽ることに帰結する
だからカガリは秘書官に頼みごとをし、敢えて弱さを見せた。
「すまないが、冷たい水を1杯もらいたい。
“流行の頭痛”には、これが一番らしいしな。」
そう言ってモニターへ悪戯っぽい笑みを浮かべれば、
ラクスは口元をおさえてくすくすと笑った。
2人の脳裏に浮かんだのは、同じ人。
――愛する人。
――大切な弟。
――どこまでもお優しい、あの人。
――きっと今も泣いてる、あいつ。
――キラ。
ラクスはカガリの軽い冗談に気持ちが軽やかになるのを感じながら、
一方でカガリの胸を打ったのはおそらくキラの痛みなのであるのだと、直感的に確信した。
愛する人のために、
金襴の友のために、
大切な人たちのために、
今、自分自身に出来ること。
ラクスは、ひとつゆったりと瞬きをすると
歌うように呼びかけた。
「急ぎましょう。」
そのひと言、ただそれだけで立ち込めた暗雲が消え去り
澄んだ青空が何処までも広がっていくように感じられた。
通信用モニターが暗転して、カミュはデスクチェアーの背に身を預け
両腕を前へ伸ばしながらふーっと息を吐き出した。
その仕草は至極幼く映るが、自ずと向いた天井への視線は遠く、
まるで全てを透かして宇宙を見上げているかのようで
何故か長い年月を積み重ねているようにも見える。
茶道具のみを給仕して秘書官等が席を外すと、カミュは優雅な手つきで紅茶を華奢なティーカップへと注いだ。
伸びやかに広がるアールグレイの香と、静かに響く水音に潜ませるようにカミュは尋ねた。
「ケイを、行かせて良かったの?」
壁面にひっそりと佇んでいたマキャベリは、厳格に引き締められた口元を緩める事無く答えた。
「止めても行ったであろう、あやつは。」
カミュは言葉少ないマキャベリの返答に琥珀色の瞳を儚く緩めると、
そっと薄い唇をティーカップに寄せた。
「どうなるか、賭けようか?」
名案だ、とばかりにカミュは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
その笑顔はやはり幼子を連想させるが、
「結果は同じであろう。」
マキャベリの真理を射抜いたような声の
溶け行く先を見上げたカミュの憂いに満ちた微笑は
計り知れない時の重さを感じさせた。