6-22 真実の口づけ




「僕が、
終わりで
始まりなんだ・・・。」

何の、と問わずともラクスの脳裏に描かれるのは
メンデルの事実が記されたファイルの文字。
“Freedom Trail.”

「僕は許せない。」

2人の足元を濡らした波が
砂を奪いながら引いていく。

「この遺伝子を、
許せない。」

キラは前を向いたまま
その先に続く宇宙を瞳に映し出していた。

「生まれてきたことも、
生きていることも、
僕は、許せない。」

今も、宇宙空間に浮かぶ
メンデルを見詰めるように。

「僕を創る為に
沢山の命が奪われたんだ。」

あの研究室が
見える。
人間の手によって造られ
人間の手によって廃棄されていく、
人間の命が見える。

「僕であることを試すために
沢山の人の尊厳が奪われたんだ。」

搾取され続けた
沢山のナチュラルとコーディネーターの人たちが
見える。

「コーディネーターに
自由っていう悪夢を見せたんだ。」

名前を付けられることもなく
殺されていく子どもたちが
見える。

「僕が望まれたから、
僕を望んだから。」

純粋な希望を見ながら
死体を生産し続ける人間が
見える。

「そして、
僕は今も
望まれているんだ。」

同じ遺伝子を持つ子どもが見える。

「だから僕は、
僕を許せない。」

 

 

キラは拳を握り締めた。
骨が軋んだ音がする程、強く。
それを、ラクスは止めなかった。
そこに、キラの意志を感じたから。

 

 

「ここに、」

キラは掌を力なく開くと
爪が食い込んだ跡から滲み出た血を
静かに見詰めた。

「あるんだよ。
人間の負の螺旋が。」

胸の前まで持ち上げた掌の上を
ゆっくりと血液が滴っていく。

「刻まれているんだ。
僕の遺伝子に、
あの軌跡が。」

 

 


「だから、命を絶とうとしたのですか。」

ラクスは射抜くような瞳でキラを見詰めた。

「そうだよ。
僕が螺旋を壊さなくちゃいけないんだ。
だって、
“自由への軌跡”は今も続いているんだ。」

キラは掌を持ち上げ
滴る血液を茜色に輝く夕日に透かした。

「僕が、
今、
生きているから。」

 

 


「それが、キラの“真実”ですか。」

 

 

強く寄せた波に乗った日の光に照らされ
キラは反射的に瞼を閉じた。
瞬間、暗闇に浮かんだ親友の姿に
閉じた瞼が跳ね上がった。
『辛くないか。』
――そう言った君は、
   とても優しい目をしていて。
   僕は、応えたんだ。

 

同じ言葉を、キラは紡いだ。

「“今”の僕が“全て”だって、教えてくれたんだ。
ラクスが。」

「受け止めてくれたんだ、
アスランやカガリやみんなが。」

「それを信じてる。
“真実”は、もう僕の胸の中にあるから。」

過去の言葉を結ぶと、
キラは懐かしさの苦味を含んで俯いた。

「でも、それは。
何も知らなかったから
信じられたんだ。」

「真実で在ることが出来たんだ。」

 

 

打ち寄せた波がまた一つ、
2人の足を濡らした。

 

 

「それでは、」

ゆっくりと、
ラクスの頬を涙が伝った。

「“今”は、
キラの“何”ですか。」

「それが、
キラの“全て”ですか。」

「それが、
キラの“真実ですか。」

 

 

打ち寄せる波は全てを包み、
還る波は全てを撫で
戻してく。
いつの間にか、
2人の足跡は消えていた。
色鮮やかに染まった白い鳥たちは
淡紅色に茜色を重ね、蒼から藍へと変わりゆく大空に翼を広げ、
薄桃色だった雲に微かに藍が混じり、
爽やかな風を吹き込む丘陵は宵闇に溶け出していた。
大地と宇宙を繋ぐように沈む太陽は
柔らかな煌きを波に乗せ
手を繋いだ2人を優しく照らし、
豊かな海風と大地の風が
2人を優しく抱きしめる。

 

 

「僕は・・・。」

苦渋に表情を歪めたキラは無意識に
自ら傷つけた掌に力を込めた。
握り締めた拳にあたたかな感触を覚え
顔を上げたそこには、
花の綻んだような微笑があった。
そこで初めて、
キラはラクスの涙を知った。
ラクスが、
泣いているのだと。

「はい。」

ラクスの声は微かに震えていたが
瞳は澄み渡り
眼差しは真直ぐだった。
決して揺れることは無く、
逸らされることは無く、
迷うことは無く、
ずっとそうしてきたように
真直ぐな瞳で
キラを見詰めていた。

「僕は・・・っ。」

ラクスは緩んだキラの掌に細い指を滑り込ませ
血の滲んだ掌に自らのそれを重ねた。
流れ出ていた血液が
止まる。

「僕はっ・・・、本当は・・・。」

紡ぎだされる言葉を
魂の器である身体が阻むように、
強張った全身は震え、

「ほ・・・んと・・・はっ・・・」

喉は締め付けられるように痛み、
乾ききった指先は燃えるように熱く、
けたたましく鼓動が胸を打った。

せき止められていた何かが決壊したように
キラの瞳を熱い膜が覆う。

「ぼ・・っく・・・はっ。」

嗚咽に言葉は遮られる。
涙で視覚は意味を成さなくなる。
それでも、
酸素を渇望するように肩を揺らして、
締め付けられた喉を抉じ開けて、
干上がったような口内も痺れるような舌も、
鼓膜を破るような鼓動も、
身体のあらゆる機能の不協和音に抗って、
キラは思いを取り出そうとした。
心を差し出そうとした。

「僕は・・・、
いっ」

引いていく波によって攫われた砂でキラは体勢を崩した。

それは、本能だった。
キラは繋いだ手に力を込めてラクスを抱きしめ
その肩に顔を埋めた。

「僕は、
いき・・・た・・・。」

ラクスはキラの背中に腕を回した。
身体も
思いも
魂も、
キラの今を抱きしめるように。

「い・・・きたっ・・・い。」

魂を削るように言葉を紡ぐキラの
熱い吐息がラクスの肩をあたためる。
触れ合った胸が心を篤くする。
胸を焦がすような熱が瞳に立ち昇り
澄んだ思いを溢れさせる。

「きみっ・・・と。」

キラはゆっくりと顔を上げ
ラクスの耳元に唇を寄せた。
――聴いてほしいんだ、
   君に。
――伝えたいんだ、
   君に。

「君と・・・
生きたいっ。」

何故ならそれが、
キラの。

「それが、
僕の・・・。
僕の、真実だ・・・。」

 

 

ラクスは今のキラを
出会えた奇跡を
今ここで共に生きている喜びを
その尊い光を、
抱きしめるように
瞳をゆっくりと閉じた。
そして、
見上げたそこには愛する人がいた。
果て無き闇を越えた
澄んだ瞳の
キラが。


「それは、
わたくしたちの、
真実です。」

震える呼吸も唇も、
視界を遮る涙さえ、
もどかしい。

「わたくしも、」

――聴いてほしいのです。

「わたくしも、
キラと。」

――伝えたいのです。
   あなたに。

「キラと共に、
生きていきたい。」

「そう、願います。」

その言葉は
ラクスの唇からキラの唇へ伝えられた。

 

それは、
真実の口付けだった。



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