6-21 海風





ゆるやかに傾くスピードで、丸みを帯びる陽の光を紅く反射させながら
アスランの操縦する紅が前を行く。
カリヨンはそれを海上から見守るがごとく追随していた。

先導役であるアンリは、カリヨンの左翼につけ並行していたが、
ふわりと加速させカリヨンの前方へ出ると、向かう合うように停止した。

「申し訳ございませんが、カリヨンのこれ以上の進入は許可できません。」

アンリの停止要請は至極丁重なものであったが、それにカリヨン側は納得できるはずかない。
何故なら、前を行く紅に輝く機体の鋼の掌の上には、自らの主が婚約者と共に乗っているのだから。
プラントという国としてラクスとキラの御身を守ることが出来るのは、
このカリヨンに乗船している者たちだけなのであるから。

「どういうことですか。」
エレノワは手厳しく問い返したが
「この先は、国際天然記念物の珊瑚礁の生息地なんですよ。」
アンリのマイルドな声と物腰によって空気が穏やかになっていく。
「珊瑚礁・・・。」
思わず復唱したエレノワや乗組員の声に応えるように、
アンリは珊瑚礁の監視用モニターの映像をカリヨンへ転送した。
映し出された映像に、カリヨンのブリッジでは感嘆の声が上がった。
先ず目に入ったのは澄み渡ったマリンブルー、
その手前にくっきりと浮かび上がった壁のようなシルエット。
映像が壁へと近づくと、それが形も色彩も様々に咲き乱れたような珊瑚礁であることにようやく気が付いた。
「すご・・・。」
自然が生み出した壁画のような珊瑚礁の壁には、色鮮やかな魚が群れを成して泳いでいる。
人間の手によっては決して創りだすことの出来ない美の存在に、言葉が失われていった。
あるのは感嘆だけだった。

「現在の位置は戦艦の往来が可能な程度の深度がありますが、
この先は、この珊瑚礁の壁を境として遠浅が続くんです。
紅の進路から向かわれるのはこの先の半島だと思われます。
迂回していただければ半島へ入ることも可能ですが、いかがなさいますか。」

操縦士が反転しながらニコライへ指示を仰いだ。
「どうします?迂回、しますか?」
ニコライはたおやかな笑みを浮かべながら首を左右に振った。




キラとラクスは手を繋いだまま紅の掌の上で、互いの身体を預けあうように寄り添っていた。
夕凪の海風は等しく、ラクスの桜色の髪をゆったりと梳き、
キラの頬を撫で軍服の裾を翻していく。

「なんて、気持ちの良い風でしょう。」

そう言ってラクスはキラに微笑みかけるが、キラは依然として蒼白の顔面に明確な感情を示さない。
それでも、ラクスは声にも表情にも表れないキラの思いを確かに聴き届けたように頷いた。
と、ラクスの春の空のような瞳に真白な翼が映った。

「まぁ、カモメさんが。」

真横を並行するように飛ぶカモメに、ラクスは手を伸ばした。
すると、
「あらあら、こんなに沢山。」
まるで2人を迎えるように次々とカモメが集まり、掛け合うような鳴き声が賛歌のように響き渡る。
キラの肩に止まっていたトリィもその群れに加わり、刻々と色彩を帯びていく大空に翼を広げ飛び回った。

一面に広がるのは透き通った海と、
柔らかな光の粒が踊る波と、
見え隠れする色鮮やかな海の世界。

地平線の果てでは、輝く太陽が結ぶように、蒼
い空に溶ける宇宙と穏やかな海が溶け合っていた。

ラクスはその光景にゆったりと目を細め、世界を分かち合うようにキラに微笑んだ。

「わたくしたちは、還ってきたのですね。
地球へ。」



紅は、孤児院の前に広がった浜辺に降り立った。
着陸の際にラクスの目に入った孤児院は、かつてのそれではなかった。
戦争が終結した後、カガリから伝えられたのは “戦争中に破壊された”というオーブの正式な回答だけであった。
その時のカガリの飲み込んだ表情から、伝えることの出来ない何かの存在を察したが、
当時のキラとラクスはそれ以上問うことも詮索も行わなかった。
2人が暮らしていた孤児院は修繕不可能な程に破壊されたが、
そこにはかつてと変わらずに孤児院が建てられていた。
その子どもたちのはしゃぐ声が海風にのってラクスの耳に届いた。

――今もこの場所には
   子どもたちが集っているのですね。

アスランはキラとラクスを丁重に浜辺に降ろすと、自身も紅を降りようとコックピットを開いたが、
「わたくしたちは、お散歩をして参りますわ。」
ラクスがキラと繋いでいない方の掌を頬に寄せながら良く響く声で告げると、
「ラクスっ!」
アスランの制止の声に微笑みだけを返し、キラの手を引いて波打ち際を歩いていった。

「ワシモッ!」
アスランは、紅のコックピットから飛び出したハロを片手でキャッチし、
「だから、野暮なことを・・・」
そう嗜めた顔には安堵の微笑みが浮かんでいた。
「コノ堅物ガッ!」
やり返したハロに悪戯っぽい笑みを浮かべると
「何とでもっ。」
アスランは遠く沖へ向かってハロを投げた。





真横から射す夕日に照らされながら、キラとラクスはただ静かに波打ち際を歩いた。
重なった2人の影の長さは過去を、
確かな2つの足跡は今という時の連続を、
繋いだ手は結ばれた絆を表しているかのようだった。

紅の掌にのった時は黄金色だった海は宇宙を吸い込んだように蒼く、
凪いだ水面の上を茜の光の筋が真直ぐに伸びていった。
常夏の抜けるような蒼さは窶し、柔らかな淡紅色のベールが時と共に一枚一枚重なるように色彩が深まっていく。
波の上を滑る海風と丘陵から吹き抜ける風が、
母が愛する子どもを撫でるように優しく吹き抜けていく。
懐かしい海の匂いと、瑞々しい青葉と芳しい花の香が溶け合っていく。

自然と、耳が澄んでいく。

安らかな波の音も、
爽やかな森の音も、
遠く聴こえる子どもの声も、
今、踏みしめている砂の音も、
そして、あなたと私の息づかい、
胸の鼓動も、
みんな聴こえる。

今、2人の瞳には同じ世界が映っている、
その奇跡と喜びをラクスは抱きしめるように微笑んだ。

「キラと、共に生きてゆきたい。
それがわたくしの、望みですわ。」

「でも、僕は。」

ラクスは大きく瞳を見開いた。
淀みなく進めていた足は、止まっていた。
さざめく波が2人の靴を濡らし、
丘陵から吹き降ろされた風が、等しく2人を撫でた。

「キラ。」

「でも、僕は・・・。」

キラの凍りついた表情に、微かに感情が差した。

「僕が、終わりで
始まりなんだ・・・。」

それは寄せては返す、波のような告白だった。




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