6-20 2人の光を抱きしめて





隊長であるアスランからの情報と寸分の狂い無く、カリヨンはオーブ領海に着水した。
着水予測地点で待機していたアンリは一瞬言葉を失った。
カリヨンは、メンデルで起きた惨劇と失った笑顔を連想させるものであるはずなのに、

――綺麗だ。

その着水は水鳥のごとく滑らかで美しく、そこにいる存在の清らかさを映し出しているかのように感じられた。

大きく傾いた西日が照らす柔らかな黄金色の空には、筆を滑らせたような雲が浮かび、
微かに茜色が射しはじめていた。
海は、カリヨンを抱きしめるかのように凪ぎ、丸みを帯びた光の粒が揺れる波の間をカリヨンは静かに滑っていった。




どのくらい、そうしていたのであろう。
時を刻むものが秒針だけであるのなら、それは宇宙と地球を結んだ距離の間だけだ。
しかし、魂を重ねるように抱きしめあうキラとラクスは、確かに永遠の中にあった。
コックピットは、電源が落とされたように暗く、手を伸ばさなくとも硬質な何かに当たる程に狭く、
それでも2人は、2人の間に生まれた小さな光を抱き、
何処までも広がる宇宙に抱かれていた。

キラの瞳から零れ落ちる涙がラクスの肩に染み入り、
ラクスの瞳から溢れる涙がキラの胸に浸透していく。
2つの涙は斑み、溶け合い、一つになる。
出会えた奇跡からずっと一つであった2人は、再び一つになった。
2人の時間を刻むものは、重なった鼓動の音色だけだった。
ひとつ、またひとつと続いていく生命の旋律。
ラクスはその尊い喜びを胸に、キラの胸に埋めていた顔をあげ、真直ぐにキラを見据えた。
紫黒の瞳を射抜き、心の瞳を手繰り寄せ重ねるように。
ラクスは花が綻んだような微笑を浮かべると、キラが初めてラクスを求めた証である重ねられた手を、愛おしく頬に寄せた。
生命の音色に耳を澄ますように瞳を閉じたラクスは、凍てついたように硬く冷えたキラの掌に微かな温もりを感じた。
何時も、どんな時でもラクスを守り抜いた大きな手も、
共に芳しい程の旋律を奏でた長い指も、
少し深爪な指先も、

――全てが、愛おしい。

ラクスは朝露のような涙に縁取られた瞼を開くと、歌うように願った。

「参りましょう、わたくしと共に。
世界へ。」

キラは顔も身体も硬直させたままであったが、ラクスは微笑みを深めるようにゆったりと頷いた。






アスランは、地球連合の追撃に備え配備された布陣を解かせ、
ザラ隊の少数と医療班を乗せた移送機以外の後退を、指揮監督権を持つ幕僚長へ進言した。
同席していたキサカ総帥により、人命救助に必要以上の配備を行えば国民の不安を煽るとの言葉を受け、
アスランの進言はそのまま命として下ることとなった。
アスランは、これらの配備がキラに与える精神的衝撃を憂慮しており、それは言葉にされずともキサカに伝わっていた。
キラがラクスを求めた、あの瞬間ただそれだけでアスランはキラが生を選んだと信じることができた。
しかし、キラは命を絶とうとした原因も理由も痛いほど良く知るからこそ、
それが覆る可能性を極力排除することによって何としてでも防ぎたかった。
このまま、キラがラクスと結ばれたまま歩んでいってほしい、
それはアスランの願いでありカガリへの約束でもあった。





――後はこのままカリヨンを誘導して・・・

行政府のある首都から程離れた地点に着水したカリヨンの誘導をアンリに任せ、
アスランは全体を俯瞰できる位置を飛行しながらめまぐるしく思考を廻らせていた。
カガリの地球連合軍月基地訪問に伴い、国防より事実関係の再確認が求められていた。
事実を洗い出し、それを元にオーブの国としての姿勢を表明しなければならない。
ケイによって連合の戦艦が撃破されたことは事実であるが故に、
プラントとの関係性を考慮すればオーブの対応は慎重にならざるを得ない。
つまり、キラとケイと地球連合との交戦の存在を未確認のままクライン議長よりの要請を受けアスランがキラを救助したと表明すれば、
問題はプラント、地球連合間に集約され、オーブは責任問題を回避することができるであろう。
しかし、そうなれば“全責任を負う”と声高に表明したラクスの言葉に拠り
地球連合はクライン議長、キラ・ヤマト及びMSストライク・タキストスの早期引渡しを、オーブに要求することは目に見えている。

――それを易々と認めることは、できない。

アスランの感情がそう言っていた。
同様の感情をカガリも抱いていた。
そして、内実を知る軍本部及び行政府の者たちも、同様の感情は抱いているはずである、
”これは偶然に降りかかった不幸によって避けられなかった交戦であったのだ”と。
しかし、それは感情であるが故に、地球連合に共感を生むことは難く、
さらに“偶然に降りかかった不幸”の具体的な事実を伝えることは、オーブの役割を越えている。
つまり、オーブは内実を知りえなかったという姿勢を原則的には保つことになるであろう。

――俺は地球連合軍へ自衛行為を超える攻撃は行わなかった、
   だから恐らくオーブに問われる責任といえば、地球連合軍製空域への侵入。
   だが、通告は行政府と月基地から断続的に行われていた。
   責任は軽微なものとなると考えるのは、決して楽観的な結論ではない。

アスランは国防および行政府の見解を概ね妥当であると判断していた。

――事実とオーブの姿勢を示しながら、プラントを間接的に擁護するとなると・・・。

アスランは薄く瞼を閉じて頭を振った。
そうなれば、少なからずプラントと足並みをそろえることが必要となる。

――だが、今、ラクスにそれを課すことはできない。
   まして、キラに事実関係を問うとこは不可能だ。

今、コックピットの中で抱きしめあっているであろう2人にとって、
キラであるために、ラクスであるために、これからも共にあり続けるために、
何より大切なことは今ここで、共にあることだ。
そして、それが結果としてクライン議長にとって最善の選択であり、プラントの国益につながることとなる。
何故なら、ラクス無くしてクライン議長は存在しえないのであるから。
そして、キラがいるから、ラクスはラクスとして生きることが出来るのであるから。

――しかし、それ知っているのは恐らく一握りの人間で、
   それを納得できるのは、
   一体どれくらいの人間なんだろうな・・・。

プラントの国民も、政治家も官僚も、強いラクスしか知らないのだ。
プラントの過ちを恒に正してきた、強き女神としてのラクス・クライン、
その強さの源は、彼女自身だけにあるのではないということを、どれだけの人間が知っているのであろう。
彼女の強さは、愛しい人を愛するがゆえに生まれてくることを、
愛する人が彼女の全ての源であることを、
どれだけの人間が知っているのであろう。



アスランはキラとラクスを最優先にするという前提のもとで、プラントとの協議をもてないかどうか思案をめぐらせた。
緊急の事態であったため、副議長は状況に精通しているとは考え難く、
プラントでの様子から推測するにクライン派の政治家や側近の官僚にさえ、
キラの本質的な事実と原因を伝えていたとは考え難かった。
では、傍でラクスを補佐し続けた秘書官等は限定的に情報を得ていたと考えられるが、

――それは職務の域を超えている。
   彼等に政治的責任を負わせる訳にはいかない・・・か。

そうなれば、やはり結論は一つである。
即ち、オーブがプラントの出方を想定し、中立国としての理念の範囲内で擁護すること。

――オーブの公式的な見解がそうなれば・・・ 
  俺が何処まで関与できるか分からないが、打診はしてみよう。

そこまで思考を廻らせたアスランは、茜が射し出した西日の柔らかな光によって薄れゆく蒼穹に目を細めた。
まさにその時だった。

「アスラン、聴こえておりますか。」

ラクスの歌ような声がコックピットに響いたのは。

「ラクスっ、どうしたっ。」

アスランの慌てた声にラクスは笑みを深めたような声で応えた。

「お願いがございます。」

澄み渡った泉のように穏やかな声に、アスランはキラとラクスの無事を読み取ると漸く胸を撫で下ろした。

「俺に、叶えられることなら。」

アスランは落ち着いた手順で映像を繋ぐと、そこには花が綻んだような微笑を浮かべるラクスがいた。
キラと、共に。

「連れて行っていただきたい場所があるのです。お願いできますか。」

――今?何処へ?

そんな言葉を表情に書いたようにきょとんとしたアスランに、
ラクスはくすくすと笑みをこぼした。

「今、あの場所へ。」

その場所の名を聴くと、アスランは柔らかな微笑みを湛えながら頷いた。




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