ラクスは白銀に輝くピンを両手で包み込み、
瞳を閉じた。
その様は、まるで女神が祈りを捧げるような神聖さを感じさせ
ルナは何も言えず瞳を逸らした。
掛ける言葉が見つからない。
それなのに、聴きたいことばかりが浮かんでくる自分に憤りを感じた。
隣で祈りを捧げ続けるラクスの力になれないばかりか、
そんなことすべきでは無いことなど
分かりきっているのに。
「これは、キラとアスランが創ってくださいましたものですわ。」
自らの心の声に応える様なラクスの言葉に、
ルナはぎょっとして咄嗟に口元に手を充て振り返った。
確かに、自分は何も言っていない。
それでも、ラクスの心には届いてしまったのであろうか。
ラクスはそっと掌を開くと、柔らかな曲線上を踊るように白銀が煌いた。
「綺麗・・・。」
思わず漏れた言葉に、ルナはさっと羞恥に頬を染めたが
ラクスは至極嬉しそうに微笑んだ。
「ルナさんも、そうお思いになりますか。
わたくしも、同じように思いますわ。
とても、綺麗だと。」
「それ、何なんスか?」
気になっていたのであろう、ずっと車窓へ視線を向けていたシンが
おずおずと尋ねた。
ラクスは懐かしさに瞳を揺らめかせながら答えた。
「これは暗号を発信する発信機のようなものですわ。
先の戦争の前・・・。
キラと子どもたちと共にオーブで暮らしていた時、
カガリやアスランと連絡を取ることは容易ではありませんでしたから。」
一国の代表たるカガリが特定個人とプライベートな通信を頻繁に交わすことは差し控えなくてはならず、
且つオーブに身を隠していたラクスとの通信が傍受される蓋然性と
それに伴う危険性を考慮すれば、
それは当然のことであった。
「ですから、キラとアスランがこれを創ってくださいましたの。」
ラクスの歌声に乗せて送られる暗号は、安全を確保するためキラが設定した特定のプログラムでのみ解読可能な代物で、
さらにそのソフトを機能させるハードをアスランが組み立てたのだ。
どうせなら、と美しい外装を整えたのがなんともアスランらしく
キラは無邪気な笑顔を見せながら搭載できるシステムを詰め込めるだけ詰め込んだ。
『すごいんだよ、ラクスっ!』
子どものように瞳を輝かせ弾むような声で、
キラはその機能を支えるシステムの細部に至るまでひとつひとつ解説していったが、
その全てをラクスが理解できる筈も無く。
それでも、
『はい。』
ラクスは微笑を湛えながら返事を繰り返した。
4年前の戦争を越えて、あんなに楽しそうに笑うキラを見たのは初めてだったから。
『ラクス、これでいつでも、みんなに会えるよ。』
今でも、あの時の愛しい人の声が
オーブの伸びやかな潮風と共にラクスの元へ届くようだった。
その白銀に刻まれた思い出を胸に抱くように、
柔らかな曲線の上を光が踊るピンを大切に両手で包み込んだ。
と、車窓を彩る緑が消え暗転した。
「ラクス様、そろそろです。」
エレノワの針のように尖った声が響くと、ラクスは真直ぐに行く先を見詰めたまま頷いた。
「はい。」
ラクスの微笑みが白銀のピンの上で儚く揺れる。
そしてルナははっと、そのピンの先へ視線を向けた。
左の薬指にあるはずのものが、無い。
ルナは急に重力を増した視線をゆらゆらと車窓へ運び込み、ぼんやりと外を眺めた。
掛ける言葉も、
自分に出来ることも、
何も無い。
――無力だわ・・・私・・・。
車を降り、真直ぐにカリヨンへ向かって歩みを進めるラクスに
ルナは声を掛けようとして胸が詰まった。
どう考えても、掛ける言葉が見つからなかった。
そして、カリヨンへ同乗することが出来ない自分に
出来ることなど見つからなかった。
無力に打ちひしがれるように視線を下げたルナの肩を、黙ってシンは抱いた。
同じ感情を抱いているから、
その感情を晴らすことが、きっと自分には出来ないから。
だかた、せめて思いを分け合いたかった、
寄り添いあいたかった。
そのシンの優しさを手繰り寄せるように、ルナはシンを仰ぎ見た。
その時、前を行くラクスの歌うような声が響いた。
「お2人とも、ありがとうございました。」
ラクスの、心からの労いの言葉に確かに心が軽くなるのを感じ、
ルナは瞳を見開いた。
――こんな時まで、
人を救わなくていいのに・・・っ!
ずっと意識を失っていた愛しい人が目を覚ました、
その理由が自らの命を絶つためであるのに。
愛しい人はこの瞬間も死へ向かっているのに。
――どうして、
あなたはそうやって人を救ってしまうの・・・。
――そんなあなたに、
どうして私は何も出来ないの・・・?
眠り続ける妹に、
どうして私は何も出来ないの・・・?
どうして、
先へ進めないの・・・?
守れないの・・・?
わからないの・・・?
――どうして・・・。
ルナは行き場の無い感情が涙となって溢れるのを感じ、
その涙さえどうして良いのか分からず
ただ、シンの胸に顔を押し当てる事しかできなかった。
ラクスはカリヨンのブリッジに上がると、
ふわりと靡いた桜色の髪をひとつにまとめ、
ワンピースに付着した土を一払いし、
ゆっくりと瞳を閉じた。
瞼に映る最愛の人は、
いつも、
いつでも、
どんな時でも。
――わたくしを、守ってくださいました。
ですから、
今度は、
わたくしが守ります。
あなたを、
守り抜きます。
瞼を開けば、そこには蒼穹を思わせる澄んだ瞳に
覚悟の威光を宿していた。
「カリヨン、発進してください。」
宇宙へ。
あなたのもとへ。