「キラ様、間もなくストライクを上げますので・・・。」
コックピットの脇で最終確認を行っていたエンジニアは顔を上げ、キラへ声をかけた。
しかし、その声などキラに入るはずもなく、
「その間にパイロットスーツにお召し更えを・・・。」
コックピットに就こうとするキラをやんわりと制止したエンジニアを
キラは荒々しく振り切った。
ラクスの傍に寄り添うように守り抜く、
恒に目にしてきた姿とかけ離れた行動に、エンジニアは言葉を失った。
「キラ様、一体・・・。」
クライン議長より内密に下った特務であると、キラは言った。
しかし、特務特有の緊急性故の切迫性はキラから感じられなかった。
喩えて言うなら、何も感じさせない、
エンジニアたちはその狂気じみたキラの姿をただ立ち尽くして見ていることしかできなかった。
間もなく、コックピットの扉は硬く閉ざされ
ストライクは起動されていく。
紫黒に染まったキラの瞳に映し出されるのはGANDUMの文字。
人の命を奪い、
人の命を守り、
大切な人を守り、
愛する人の未来を切り開いた
キラの剣。
その切先が
ゆっくりと自己へ向けられていく。
接続されていたコードが次々に切り離され
息吹をあげたようにストライクの眼光が燈った。
「キラ・ヤマト。
ストライク・タキストス、いきます。」
議場に隣接された控えの間で、プラント独立自治区ソフィアの総代カミュ・ハルキアスは
カップに注がれたアールグレイの香を堪能していた。
「アールグレイは、本当にいい香だ。
そう思わないかい、マキャベリ。」
骨ばった指先は陶器のカップよりも白く
脆い印象さえ与える程だ。
マキャベリと呼ばれた仮面の男は、問いかけに答えることなく
ただ黙ってPCの画面をカミュへ向けた。
カミュは琥珀色の瞳を肥大させ、
そうして口元に柔らかくも儚い笑みを浮かべた。
「それが、君の答えかい?
キラ。」
「予測は、ついていたのであろう。」
マキャベリの地を這うように低く響く声を耳にしながら
カミュは瞳を閉じてアールグレイを口に含み
特有の渋みと香をゆっくりと呑みくだした。
「問いに、意図はあっても
それ以上の感情も意志も無い。
そうだろう?」
そう言葉を結んだカミュは、ゴールドブラウンの髪を揺らしながら薄い唇をカップに寄せようとした。
その動きを留めたのは、マキャベリの一言だった。
「では、何故そのような顔をする。」
「もしかしたら、同じ顔をしているのかもしれないね。」
誰と――
マキャベリはその問いを
カミュに投げかけることも自身に問うこともなかった。
答えは目の前にあるのだから。
と、隣の議会から地鳴りのような歓声が沸き起こり
「さてと。」
カミュは柔らかな笑みを浮かべたまま、気だるげに腰をあげた。
「やっぱり、ラクス・クラインは拒否権を行使しなかったんだね。」
議場で湧き上がった歓声とは、
プラント議会においてソフィアの独立が正式に決議されたことを意味した。
ソフィアの完全なる独立の承認が下院、上院の両院で可決されたとしても
議長の拒否権が行使されれば下院へ議案が戻され、再審議となる。
プラント国民に絶対的な支持を得ているラクスによって拒否権が行使されれば
おそらく今期のソフィアの独立は見送られる結果になったであろう。
しかし、ラクスは拒否権を行使しなかった。
否。
「こうなることも、予測していたのであろう。」
クライン議長が拒否権を行使できないことを、
言外にそう言っているようなマキャベリの問いに
カミュは儚げな笑みを浮かべるだけだった。
控えの間の扉が開くと、総代を待ちきれずに詰め掛けた議員や官僚、マスコミでごった返していた。
湧き上がる歓声にかこまれながら、カミュは至極穏やかな笑みを浮かべ
議場へと続く紅いビロードの絨毯の上を歩んでいった。
議会の重厚な扉が開くと、天を割るような拍手と歓声が地を轟かせていた。
「聴こえるかい?ラクス・クライン。
これが君の答えの結果だよ。」
鳴り止まぬ拍手喝采に片手を挙げてカミュは応えた。
「やはり・・・か。」
カガリはエンジ色の袖に腕を通しながら表情を歪ませた。
カガリの前の画面に映し出されていたのは、
同じ琥珀色の瞳を持つプラント独立自治区総代の柔らかな笑顔と
独立を果たした高揚感に包まれるソフィアの民の姿だった。
カガリは前を合せる手を早めながら秘書官に鋭い声を発した。
「祝辞の用意は済んでいるな。
近いうちに建国の祝いと友好のために訪問したい。
他国に遅れは取るな。」
「はい、滞りなく。」
カガリは口元を固く結んで凛々しく深く頷いた。
「よしなにな。」
扉を開け放ち、カガリが進んだ先はキサカの待つ軍本部総司令室であった。
「コル爺っ!」
アスランは疾走する勢いそのままにコックピットに乗り込んだ。
コックピット脇で作業をしていたコル爺は捲し立てるような剣幕で叫んだ。
「遅いぞっ、アスランっ!!」
それに呼応するように操縦席脇にすっぽりと収まったハロがはしゃぎだした。
「遅イゾ、アスランっ!遅イゾ、アスランっ!」
アスランはハロを黙らせるかのようにヘルメットを被せ、
空いた手でシステムを起動させていく。
「すみません。」
そう言って眉尻を下げたアスランの目に飛び込んできたのは
新たに設置されたシステムと、それと連動した機器だった。
アスランは瞳を見開きコル爺に向き直った。
「移送機内でお願いした件、間に合ったんですかっ?」
コル爺はくちゃくちゃの笑顔に深い皺を刻み込んで、ぐっと親指を立てた。
――この人は、本当に・・・。
一刻の猶予も許されない、
それなのにアスランは知らず微笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます。」
と、コル爺はエンジニアとしての厳しい表情に豹変した。
「間に合ったのは最終試作段階の1発だけじゃ。
チャンスは一度、外すなよっ。」
そう言って、ハロに被せられていたヘルメットを乱暴にアスランの頭に突っ込んだ。
そのぶっきらぼうな仕草の端々に香ような優しさに
アスランは心がほぐれていくのを感じた。
「はい。」
アスランはヘルメットを装着しながら深く頷いた。
「外しません。
必ず、助けます。」
覚悟を宿した瞳を真直ぐに行く先へ向けながら。
「アスラン・ザラ。
紅、出る。」