「間も無くですっ!!」
操縦士は耳に当てたインカムを手で抑えながら主の方へ振りむき、
同時に、ブリッジ前方に映像が広がった。
最愛の人が親友に剣を向けている現実に、小さく首を振った拍子に
ラクスの桜色の髪が流れるように揺れる。
「キラっ!!」
魂が震えたその呼び声は、宇宙に響き渡る鐘の音のように愛する人の心を震わせた。
微かに、
だが、確かに。
キラの振りぬいたビームサーベルが逆手に持ち変えられ、紅を貫くように向けられた剣先が微かに揺れた。
アスランは揺れから生じる剣筋の差異と威力の減少率を読み取り、
構えたシールドを微かにずらし、突き刺さるそれは紅のシールドの側部へと弾かれて行く。
何がキラを揺らしているのか、感覚的に悟ったアスランは画面の座標に映し出された“carillon”の文字に安堵する間もなく、
ハーネスのスタンバイと同時にレーダーの空域をさらに拡大させた。
オーブ軍よりの情報通り、地球連合軍の追軍はもうそこまで接近している。
キラの正面には視覚に収まりきらぬ程に地球の蒼さが広がり、
眼前に迫るオーブ制空域に近づく分だけ地球の引力が増していった。
いくらストライクが最新鋭の機体であったとしても、パイロットスーツを着用していないキラが大気圏を通過することは
生存に過度の負担をかけるであろうことは目に見えている。
さらに、アスランがキラと接触する以前に地球連合と交戦していた事実から、多くのエネルギーを消耗していることは容易に想像がつく。
エネルギー切れで大気圏に突入すればキラの生命維持は絶望に近くなる。
――その前に、手を打つ。
そのアスランの思考に流れ込んだのは、キラの消え入りそうな声だった。
「・・・ラ・・・ク・・ス・・・。」
キラ自らの意志とは無関係に、凍りついたはずの胸の内が震えだす。
そこにある光の存在を震える魂が呼ぶ。
うららかな春の空から射す光のようにあたたかく優しく包む、その人の存在を魂が呼ぶ。
「・・・キラ・・・」
魂が応える。
その呼び声に応えたいと、氷を打ち崩すように胸を鼓動が叩く。
「キラっ!」
胸から響くその声は明瞭に聴覚も刺激した。
その呼び声に応えようと唇が形作るその瞬間、キラは血が滲んだ唇を噛み締めた。
口元に、血の雫が這うように垂れていく。
飲み込んだ、愛したかったその人の名は、
何かで首を絞められているかのような痛みと共に喉元で詰まった。
その代わりに全てを浄化する蒼さに染まった瞳から、涙が溢れ出した。
――応えちゃ・・・だめだ・・・っ!
いけないっ・・・
――僕は・・・求めちゃいけない・・・。
求めたら・・・、
僕は、認めることになる・・・
あれを、
全部・・・
「いやだっ!!
違うっ・・・。僕は・・・っ!」
ストライクは、対峙する紅の存在を忘却したように、
MSの性能を超越した加速度で地球へと疾走した。
「何をっ!キラっ!。」
アスランは瞬時に体勢を整えるとストライクの後を追った。
キラが軌道を修正しない限り、ストライクは地球連合の領空へ墜落することになる。
そうなれば、背後から迫る連合の追軍ばかりではなく、地上からも狙われることになり、
キラの救済と生存の確保の望みはさらに薄くなる。
「くそっ。」
アスランは悪態をつくと、紅のリミッターの限界値まで速度を上げた。
キラは身体を揺すらせて荒々しい呼吸を繰り返し、その度に米神から汗が滴り、
短期間で信じ難い程鋭くなった輪郭を滑っては散っていく。
一秒ごとに重くなる身体が、生命を還すその場所の存在に実感をもたらす。
間もなく、終焉を迎えることができるのだと。
地球の引力に肉体の生存と魂を委ねようとしたその時、
「キラっ!!」
愛していたかったその人の魂に触れるような呼び声に繋ぎとめられる。
春風のように優しく香る旋律に抱きしめられる。
そこから愛しいぬくもりが甦る。
だから、
キラは差し伸べた手が魂に触れるような呼び声を振り切るように、宇宙を駆けた。
――僕に守ることを、許して・・・。
その言葉は、誰に向けられることもなく
誰に受け止められることも
言葉にされることもなく消える。
――君を愛する代わりに
君を守りたいんだ・・・。
重力に従順に従って堕ちゆく機体の加速度は止まる事無く上昇していく。
次々に作動する大気圏突入へのスタンバイの表示が、清らかな蒼い色彩を汚していくかのように感じ、
キラは苛立たしげにシステム自体を切断した。
生命維持など、終焉の完遂の阻害要因以外の何物でもない。
このまま地球の業火によって全て燃え尽くされればそれでいい。
そのまま魂が、地球へ散ってこの蒼とひとつになれればそれでいい。
けたたましく鳴り響く警告を示すアラームも
抱きしめられるような桜色の旋律も、
身体を縛りつけるような重力も
止まぬ痙攣のような振動も
いとも簡単に抜け落ちた。
「還すんだっ!!この命をっ!!」
キラは蒼に身を沈めるように全てを手放し、両手を広げた。
それで、生命の終焉を完遂する、
その筈だった。