2-7 出会いの意味




「キラっ。」

モニターの向こう側から歌うような声が響く。
聴き慣れたその声は、今日に限って弾んでいる。
画面に現れたその姿に、キラは赤面した。
「ラクスっ、何か羽織る物をっ。
かっ、風邪引いちゃうから・・・。」
ほのかに染まった透き通るような素肌の上を、
ネグリジェだけが包んでいた。
長い髪からは雫を落とし、
真珠のように肌の上を滑り落ちた。
頬と唇は淡く色づき、
瞳は潤んでいた。
ラクスのシャンプーの香も、
滑らかなネグリジェの手触りも、
その肌のぬくもりも。
現実のものとして感じられるほどのリアリティが迫る。
それは、
キラがラクスを求める思いの 強さの反動だった。

キラは紅潮した顔を背けた。
「ラクス、また後で連絡するからっ。
先に髪を・・・。」
くすくすと、くすぐるような笑みが聴こえてくる。
キラは自然と、感情と表情が緩むのを心地よく感じた。




「んーーーーっ、終わったぁ。」
メイリンは先刻までシステム復旧を行っていた研究機器を目の前にし、
満足の笑みを浮かべて両手を伸ばした。
「お疲れ様、メイリンさん。」
アンリは機材を片付けながら、優しく声をかけた。
「もうっ。メイリンって呼んでいいのに。」
それぞれのエンジニアたちは既に打ち解けた雰囲気の中で作業を行っていた。
各班の編成は日によって変化したものの、
原則的にオーブとプラント双方のエンジニアによって構成された。
調査の透明性を向上させる目的の他、
双方の交流も意図されていた。
それはキラとアスランの配慮に拠るものだった。

メイリンとアンリが受け持っていた研究室に、
アスランとコル爺が顔を出す。
「お疲れ様。
今日の作業の報告は俺の方に提出して、
今日はもう上がっていい。」
アスランはメイリンとアンリを労うように穏やかな声を発した。
「あの、キラさんは?」
メイリンは最終点検に顔を出さないキラに疑問を持った。
「今、ラクスと話している頃だと思う。
ゆっくりさせてやってほしい。」

モニター越しで交わされる話は他愛も無いものであったが、
それが2人にとってどれだけ重要であるか、アスランは認識していた。
「おやすみ」
の一言が、明日の2人の背中を押すのだと。

「ほーら、お2人さん。今日は上がった、上がった。
アンリ、さっさと部屋へ戻らんかっ!」
コル爺はアンリだけを急き立てるように、2人を研究室から追い出した。
「アスランさん、おじいちゃん、おやすみなさい。」
メイリンの声にコル爺はにっこりと微笑みを浮かべた。
コル爺はメイリンのことを孫のように可愛がり、
メイリンはコル爺を肉親のように慕っていた。


長い廊下に2人の足音が響く。
メイリンは手を後ろに組みながら、アンリの横顔を覗き込んだ。
「どうかした?」
あっと、メイリンは口を押さえ顔を背け、
すぐにアンリの顔をまじまじと見た。
アンリはメイリンの可愛らしさと可笑しさを口にふくみながら、
その様子を見守っていた。
「もしかして、レセプションにお兄様かな、来てなかった?」
「あぁ、兄さんなら。」
「カガリ様をエスコートしてたのって。」
「うん、兄さんだよ。」
メイリンは胸元に手を当てて、ふーっと溜息をついた。
「メイリンさん、1人でスッキリした顔してる。」
アンリはわざと口を尖らせた。
笑いながらメイリンは胸の前で手を振った。
「ごめんごめん。
実はね、私、アンリを見た時から初めて出会った気がしなかったの。
私、お兄さんと勘違いしてたみたい。
恥ずかしいなぁ。」
メイリンは柔らかそうなほっぺたに指をあてた。
「確かに、僕はレセプションには参加しなかったけど。
メイリンさんとは初めて出会った気がしなかたよ。」

「えっ。」
メイリンの足が止まる。

「ごめんなさいっ。やっぱり何処かで・・・?」
メイリンは眉を寄せて視線を足元へ落とした。
アンリは焦って言葉を足した。
「言葉の綾ですっ!!初めて会いましたっ!!!」
声が大きくなったアンリを見て、メイリンは噴出した。
「そんなに、必死にならなくてもっ。」
可笑しさで潤んだ目をメイリンは押さえた。
「アンリ、それじゃぁ、おじいちゃんに言われるよ。このクソ真面目がー!ってね。」
メイリンはコル爺を真似て拳を上げた。
「もう言われてるよ・・・。」
アンリは舌を出して、メイリンと共に笑いあった。

「でも、真面目にもなりたくなるんだ。」
と、アンリは鳶色の瞳を閉じ、その先の言葉を伏せた。
口元に指を立てて、 ふーん、 といった表情をしたメイリンは、
思い出したように手を叩いた。
アンリはメイリンの一挙一動に笑みをこぼした。
「今度は何を思い出したの?」
思考が見透かされていることに恥ずかしさを覚え、メイリンは頬を染めた。
「あのね、アンリってお姉ちゃんやシンと同じ年なんだなって。」
「あぁ、名簿見たんだ。
じゃ、やっぱりメイリンさんは年下だったんだ。」
アンリは名簿には興味が無さそうだった。
「アンリって大人っぽいな。」
「年の割に背が高いから?」
アンリはメイリンを茶化した。
「もー、そうじゃなくって。」
メイリンは笑いながら答える。
「私の艦に乗ってる男の子って、なんだか子どもっぽくって。
アンリの方がずっと大人。」
「ありがとう。」
アンリの見せた笑顔の瞳には一抹の影が射していたが、
暗い廊下がその影の存在をメイリンに悟らせなかった。

「名簿見たってことは、俺がナチュラルだってことも。」
「うん。知ってる・・・。」
メイリンの声が心なしか小さくなっていった。
コーディネーターであるのか、ナチュラルであるのか。
その問いは避けられつつあった。
個人のアイデンティティに土足で踏み入る問いそのものが差別に繋がるとの考えがあったからである。

「アンリはアンリ。」

アンリの言葉にメイリンは顔を上げた。
「って、カガリが教えてくれたんだ。」
「カガリって、カガリ様のこと?」
メイリンは、アンリの誠実さを考慮すると
カガリを呼び捨てにすることに疑問を覚えたが、受け流した。
アンリは快活に続けた。
「確かに、違いはあると思うよ。
だけど、人と人が違うことなんて、大昔から分かってたことだろ。
男と女、宗教、肌の色、貧富、文化。
それで人間を分けて戦争を繰り返してきた。」

メイリンは目を伏せた。
ナチュラルとコーディネーターの戦争もその一つだったからだ。
そして今も各地で紛争が、経済摩擦が、政治的抑圧が絶えない。

「もっと身近な所だと、
身体能力や情報処理の差とか、
容姿とかで、
人を羨んだり、
尊敬したり、
悔しかったり、
嬉しかったり。
そんな気持ちになることは仕方ないと思う。
人間だからさ。」
「それは私だって同じだよ。
お姉ちゃんみたく、スレンダーで運動神経良かったらなぁって思うもん。」
アンリはメイリンの年頃の乙女らしい反応に笑顔を向けた。
「違いは特徴だったり個性だったり、
人を豊かにさせると思う。
だから違いが悪いんじゃない。
違いを争いの理由にすることが、間違っていると思う。
違いで個人を一括りにしたくないんだ。
だって、そしたら個人が埋まっちゃうから。
メイリンさんも、俺も。
そしたら、きっと出会えなかった。」

アンリは足を留めて、メイリンと向き合った。

「出会う度に思うんだ。
どんな出会いも、良かったって。」

鳶色の瞳に吸い込まれそうになる。

「そう思えるのは、
俺が俺として、
メイリンさんがメイリンさんとして、
出会ったからかなって。」

メイリンはアンリに向けて右手を差し出した。

「私はメイリン、あなたはアンリ・・・。」
そう呟いたメイリンの唇に微笑みが浮かんだ。
「よろしくね、アンリ。」
アンリはメイリンの手を両手で包んだ。
「よろしく、メイリン。」

アンリの手の大きさに、あたたかさに、 メイリンは胸が熱くなるのを覚えた。
それは初めて意識した 出会いの意味だった。
優しい出会いだった。




 「お待たせ。
ごめんね、アスラン。
コル爺、今夜もありがとうございます。」
キラが息を弾ませながら研究室へ入ってきた。
アスランとキラは他のエンジニアが上がった後に、最終点検と称して作業を進めていた。
その動きを察知したのはコル爺ただ1人であった。
年齢を考慮すれば休養を優先させるべきだったが、
それを頑固なコル爺が受け入れる可能性は皆無であった。
アスランはコル爺の厚意に感謝しつつも、甘えている自分に不甲斐なさも感じていた。
作業を進めるには、キラとアスラン以外にもうひとつの手があった方が捗っることは確かであった。
それも、事情に精通した人物が。
「わしゃ、大丈夫じゃ。」
アスランの思考を見抜いたように、コル爺はアスランに声をかけた。
アスランは困ったような笑顔を見せた。
「アスランは甘えるのが下手じゃのぉ。
それじゃぁ女を寂しがらせるぞぃ。」
コル爺の意外な言葉にキラがくすくすと笑った。
「キラに教えてもらうんだな。
甘え方ってやつをさ。」
キラは驚いた顔をして、頬を染めた。
「はぁ。」
アスランはきょとんとした顔のまま、さっさと作用に取り掛かろうとした。

「カガリにぁ、手ぇ出すなよ。」
コル爺はニッパーを光らせ、アスランに釘を刺した。
「出しません。」
アスランの言葉に嘘は無かった。
師弟のやりとりをキラは微笑ましく思った。




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