2-15 ファイルを見た者の末路




それは、理解ではなく状況判断だった。

クォンのナイフは大動脈を完全に切断していた。
ナイフを引き抜いて数秒。
クォンの体をアスランが支えたその時、
クォンは永久にその瞳を閉じた。

鮮血が真白な軍服を真紅に染め上げる。

アスランはクォンの遺体をゆっくりと横たえると、
キラとメイリンの側へ駆けた。
鈍い音の正体はおそらくメイリンであったのだろう。
メイリンはキラの足元に仰向けに横たわっていた。
アスランはメイリンの首筋に手を当て、口元に耳をかざした。
力なく瞳を閉じ、薄紫色に染まった唇に泡を滲ませていた。
メイリンの生存を確認すると、
崩れるように座り込んでいるキラに目を向けた。
今はもう叫び声を混じらせた激しい息遣いは治まっていた。
メイリン同様、キラの生存を確認しようとした手が一瞬止まる。
キラの咽喉元には深い引っ掻き傷が複数あり、
肩には掻き毟ったであろう髪が散乱していた。
キラは眼光を失った瞳を見開き、
唇を震わせ、
抜け殻のような体は重力で押しつぶされそうな程であった。

アスランは流れるように切り替わるPCの画面を見た。


鼓動が高鳴る。
全てを理解した。
キラとメイリンに何が起きたのか、
ダニエルが何故自ら命を絶ったのか、
そしてクォンの言葉。

叫びだしたい衝動が、逆にアスランを現実的な任務に向かわせた。
アスランはキラの手元に滑り落ちたインカムを装着すると、
全員に指示を出した。
凪いだような静かな声で。
「キラに変わって指令する。
即刻作業を中断・終了し、艦へ撤収せよ。
中央棟B4エリアで死者2名、負傷者2名が発生。
そのため中央棟B4エリアには近づくな。」

アスランはPCに向かい、濁流のように押し寄せる情報の保存に取り掛かった。
キーボードにクォンの返り血が滲む。

「アンリ、ヴィーノ、応答してくれ。」
キラの前のPCを終えると、ダニエル、クォンのPCで同様の作業を行った。
「アンリです。ヴィーノとコル爺と共に艦内で待機しています。」
全てを保存するために要する時間を逆算する。
「了解。ドクターコールマンを連れてB4エリア04081研究室まで来てくれ。
負傷者の治療と遺体の収容を行いたい。」
「了解しました。」
キラとメイリンの手当て、現場の確認作業と遺体の収容にかかる時間を合わせても、
保存できるデータには時間的限界があった。
「ドクター・コールマン、応答願います。」
「こちらコールマン。」
「負傷者に目立った外傷はありません。
脈拍、呼吸、共に正常。
唇が紫色に変色し泡を吹いています。
毒物の可能性もありますが、おそらく精神的な要因かと考えます。」
「了解した。すぐにそちらに向かう。」
「お願いします。」


通信が途絶えると、アスランは急に体の痙攣を感じた。
ねじ伏せるように両腕を抱える。
血に染まった軍服がPCのライトに照らされる。

呼吸も、
鼓動も、
思考も、
抑え切れない。

無意識に手を当てた胸元に、
小さな手ごたえを感じる。
服の上からそれを強く握り締めた。
ずっと自分の命を繋ぎとめ、
護ってくれた石。
それだけが今アスランを
アスランたらしめる確かさだった。



キラの指先がかすかに動いた。
意識の混濁から覚めれば、最悪の場合クォンと同様の道を辿る可能性がある。
アスランはキラから武器を抜き、キラの手をとった。

――ラクスがキラを繋ぎとめる。

「キラ、ラクスの言葉を思い出せ。
ラクスは君に何と語ったか。」

キラの頬を一筋の涙が伝う。
小さく開いた口は、声にならぬ言葉を紡ぎ出していた。




複数の足音が折り重なるように迫ってきた。
アスランはもう一度胸元を握り締め、
瞳を閉じ、
深く呼吸をした。
二次災害防止のため、
アスランは3つのPCの画面を切り替え、作業を続行させた。
丁度その時、アンリ、ヴィーノ、コル爺、ドクター・コールマンが研究室へ駆けつけた。

4人はその光景に絶句した。
頭部を失ったダニエル、
血の雨を浴びたクォン、
青白い顔で横たわるメイリン、
崩れ落ちたキラ。
その中央に軍服を真紅に染めたアスランが立っていた。
いつもと変わらぬ表情を浮かべる顔は蒼白で、
冷静な声は底知れぬ寒気を感じさせた。
その状況が、
救わなければならないという使命が、
今のアスランを支えているのだと、4人は瞬時に理解した。
故にアスランの指示に従った。

「先ず、ドクターはキラとメイリンの治療に当たってください。
その間に、こちらで状況確認を行う。」
ドクターはキラとメイリンの元へ屈み、
残った者はダニエルとクォンを取り囲んだ。
ヴィーノの顔がぐちゃぐちゃに歪む。
瞳に浮かべた大粒の涙をかき消すように、
袖をこすりつけた。
アンリはメイリンへ視線を向けずにはいられなかった。
雪のように白く冷たい顔に薄紫色の唇だけが浮かび上がって見えた、
恐怖を帯びた美しさをたたえて。
コル爺は2人の腰を叩いた。
振り向いた2人が見たのは、コル爺の表情に刻まれた数え切れぬ程の現実だった。
アンリとヴィーノはコル爺と共に作業に取り掛かった。



「俺が到着した時、すでにダニエルはこの状態でした。
その後にクォンがナイフで咽喉元を切りつけました。」
アスランは目撃したままの事実を告げた。
どちらも自殺であることは、アスランの報告を聞かずとも明らかであった。
強く握り締められた引き金、ナイフ。
そこに表れていたのは死への強い意志だった。
アスランはキラとメイリンに目をやった。
「ドクター、2人の容態はどうですか。」
ドクターは一瞬肩を震わせたが、すぐに安堵の表情を見せた。
「お2人とも毒物を投与された訳ではありませんし、外傷もありません。
おそらく、この陰惨な状況を目にしたことに拠る一時的なショック状態かと思います。」

アスランは、ファイルを見た者の末路であることを口に出さなかった。

ドクターは続けた。
「お2人に鎮静剤を投与しましたので、しばらくは落ち着いているでしょう。
後は艦に戻り次第再度診察を。」
「ありがとうございます。」
アスランは安堵の表情をかすかに見せた。
しかし、安堵の感情が今の自分を足元から崩すことを無意識の内に感じ取っていた。

ドクターがダニエルとクォンの死因を特定し、
それぞれの遺体は収容された。
「アンリ、メイリンを運べるか?」
「はい。」
アンリはこみ上げる胸の痛みを飲み込み、メイリンを優しく抱き上げた。
それがせめてもの、自分にできることだった。
腕の中に納まったメイリンはアンリが思う以上に小さく、
蒼白の顔には今朝目にした笑顔の欠片も感じられなかった。
「ヴィーノ。」
アスランの呼びかけにヴィーノは頷いた。
その拍子に大粒の涙がヴィーノの瞳から零れ落ちた。
「俺が、お2人を艦まで連れて行きますっ!」
「頼む。」
アスランはコル爺へ視線を向けた。
コル爺はすっとアンリとヴィーノの背中を押すように2人を連れて研究室を出た。
「ドクターも戻ってください。
キラは俺が連れて戻ります。
この一件で他の乗組員に多大な精神的ダメージが波及するかと思います。
彼等のメンタルケアもお願いいたします。」
「わかりました。どうか、あなたも無理をなさらないで。」
と、ドクターは頭を下げ、その場を辞した。


その時既に、ドクターの瞳の眼光に曇りが宿っていたことを、
誰も見抜くことができなかった。




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