カガリは真直ぐな瞳で宇宙を射抜いた。
澄み切った青空に不釣合いな
底知れぬ胸騒ぎが
カガリを宇宙へひきつけた。
みなを艦へ帰し、研究室にはアスランとキラだけが残された。
アスランの意志とは無関係に、
視界が蜃気楼のように溶け出し、
足元がうねるような感覚に襲われた。
全身の細胞が不協和音を奏でるように、
アスランの体が痙攣を起こした。
当たり前の存在を意識化すると、時として不適応を引き起こす。
友が大切な人にかわった瞬間も、
誰かの秘密を知った瞬間も、
古傷の存在が脳裏を過ぎった瞬間も。
同じことが今、
その規模を変えて、 アスランの体内で起こっていた。
細胞の意識化、
いや、
その中の遺伝子の意識化による不適応・・・。
アスランは右手で頭を押さえ顔をキラへ向け、
歩みを進めた。
――今は・・・。
無題のファイルに記されていたのはキラとカガリの真実だった。
2人の生命の根源だった。
クォンの言葉がアスランの脳裏で反芻する。
『俺は、生命を汚した。』
ファイルに保存されていた映像に映し出されていたのは、
物体とされた人間、
倫理を失った実験、
そして無数の命が故意に奪われる瞬間だった。
希望に瞳を輝かした人間が、
物体になった人間の命を、
いとも簡単に突き落とす。
踏み潰す。
消す。
『何も知らなかった。
何も知らないことは罪だ。』
その上に自分は立っている。
進歩と淘汰の名の下に、
人の手によって奪われ続けた生命。
『俺の血に、
細胞に、
人間の欲望が、
負そのものが沈殿している。』
それが等しくコーディネーターの血潮に流れている。
それなのに、
『生そのものが悪の象徴だと、
何故気が付かなかった。』
何故――。
「うぅ・・・。」
キラは悪夢にうなされるような悲痛な表情を浮かべた。
しかしキラに降り注いだのは悪夢ではなく、
残酷すぎる事実だった。
『そのファイルは人を殺す。内側から壊す。』
重力に従うように堕ちてゆく思考にアスランは抗った。
身を任せればクォン同様、楽になるであろうから。
アスランは絡みつく思考を振り切り、
思考そのものを打ち切った。
――今は。
目の前のキラを安全な場所へ連れ戻すこと、
今はそれだけなのだと言い聞かせて。
アスランは研究室を離れキラを艦へ連れ戻すために、
一旦PCに付着したメモリリーを回収しようとした。
と、その手が一瞬止まる。
完全にデータと取り込むにはまだ時間を要するはずであった、
にも拘らず画面上には完了の表示がなされていた。
その原因を詮索するより先に、アスランは3つのメモリーを回収したその時、
突然キラが起き上がった。
――
鎮静剤が効果を失うには早すぎる・・・っ。
キラは全身を抱えるように震えている、
まるで怯える子どものように。
「キラ・・・。」
アスランはそっとキラの背中をさすった。
「艦に戻ろう。」
アスランは自分の声を他人のように耳にしていた。
しかし、その途切れそうな感情をも置き去りにして、
今は前に進むしか無い。
キラの腕と腕の間から消え入りそうな声が漏れた。
「いるんだ・・・。」
アスランはキラの返答を汲み取ることができなかった。
「キラ?」
「・・・分かるんだ、
どうしてだか、
分からないけど・・・。」
「何を言っているんだ。」
「・・・ケイ。」
アスランの鼓動が重く、
小さく、
一つ打つ。
全身から冷たい汗がゆっくりと滲み出る。
――何故、気が付かなかった・・・。
回路が繋がったのではなく、
既に繋がっていたとしたら・・・。
情報を掴んだのではなく、
掴まされたのだとしたら・・・。
手にした事実の意味は既に植えつけられ、
蒔かれている・・・。
だとしたら、誰が・・・。
何のために・・・。
『そのファイルは人を殺す。
内側から壊す。
プラントを砕く、粉々に。
細胞一つ残らぬ程に。』
――いや、世界を砕く・・・!
アスランはインカムに手を当てた。
「艦内で手漉きの者、今すぐ施設内及びメンデル内の生命反応及び熱源の存否を確認しろっ。」
アスランは矢のような声を飛ばすとすぐにキラの肩を背負った。
「触るなっ!!」
キラは震える声で叫ぶと、アスランの腕を振り切った。
勢いで体勢を崩し床に手をつきながら、
アスランを怯えた目で睨みつけた。
涙がキラの頬を伝い、
輪郭から零れ落ちた。
「・・・っ。」
キラの豹変にアスランは言葉を失った。
胸元と頭を両腕で抱えるように押さえ込み、
キラは紡がれない言葉を、落とした。
「来るな・・・来る・・・なっ・・・。」
覚束無い足取りで、
一歩、
半歩、
また一歩と、後ずさった。
ダニエルの選択、
クォンの言葉、
突きつけられた事実、
目の前のキラ。
アスランの理解はとうに振り切れていた。
しかし、今それを背負えるのは自分しかいない。
「やめろ・・・。
消えろ・・・。
来るなって、言ってるだろっ!!」
キラが両手を振りほどいた瞬間に、
アスランはキラの腕を押さ込み自由を奪った。
「キラっ。」
「離せっ!」
キラはアスランの足元を払うように蹴り、
それを回避したアスランの一瞬の隙に勢い良く腕を引き抜いた。
勢いあまったその手の先で、 キラは自ら右頬を傷つけた。
頬を伝う涙でないぬくもりに、
キラの体の動きが止まる。
キラはゆっくりと頬に触れ、
そのぬくもりの存在を確かめるように眼前に手を運んだ。
アスランは、キラの逆の手を取ると背後に回りこみ首筋に手刀を入れようとした。
が、キラは鮮血に染まった指先を開ききった瞳で直視すると、
魂を引き抜かれるように体勢を崩した。
指先の血の中の無数の細胞の中の遺伝子――
それが突きつけられた事実がオーバ-ラップし、
キラに迫る。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
キラは研究室を飛び出した。
自分の影から逃れるように。