キラとアスランは研究室を飛び出した。
廊下を駆ける足音が反響によって幾重にも重なり合い、
重力を帯びるように迫る。
アスランはキラにインカムを投げた。
指示を出せ。
行為が示す言葉、
キラはインカムを受け取った。
「中央棟B4エリアで異常を感知。
確認に向かっています。
皆さんは今すぐ作業を中断し、その場で待機してください。
くれぐれも警戒を怠らないように、
安全第一でお願いします。」
キラの指令はメイリンを含め全員に発せられた。
しかし、メイリンからの応答は無かった。
それはメイリンが答えられない状況にあることを示していた。
考えられる原因は2つ、
答えたいのに答えられないのか、
永久に口をつぐんだか、
どちらかだった。
――間に合ってくれっ。
キラはアスランの背中を見た。
その手に、既に銃が構えられていた。
研究室のエントランスは開け放たれ、
その死角にキラとアスランは身を隠し耳をすます。
アスランの深く穏やかな呼吸と冷気を帯びたような静かな表情は、
事態に不釣合いな程落ち着いていた。
視線を合わせ頷くと、2人は研究室内部へ銃を向けた。
研究室内にいたのはザフトのシステムエンジニア3名。
ダニエル・カサノヴァは原形を留めない程に頭を粉々に撃ち砕かれ、
メイリンは硬直した体を痙攣するように震わせPCのバックライトに照らされ、
メイリンの瞳の先でクォン・チャンイクが銃口を向けている。
それは、理解ではなく、
状況判断だった。
アスランは発砲しクォンの銃が床を滑った。
「キラっ!」
キラは自分へ顔を向けずに発せられた声で、
「うんっ!」
自分の動くべき行動を理解した。
キラはメイリンの元へ一直線に走り、生存を確認した。
「大丈夫っ!」
クォンに銃口を向けじりじりと間合いを縮めるアスランは、
キラの声に頷き、
クォンの銃の位置を確認した。
銃はクォンの遥か後方に転がり、
クォンが手にするにはアスランに背を向けることになる。
クォンは銃を弾かれた反動で痛めた右手を押さえ、
うなだれている。
キラはメイリンの様子の異常さに目を見開いた。
硬くなった体は痙攣し、
開ききった瞼から涙を流し続け、
薄紫色に変色した唇にはかすかに泡を滲ませていた。
「メイリン、しっかりっ!」
キラはメイリンの頬を叩いた。
「クォンさん、どういうことですか。」
呼吸と鼓動を乱さずに、
しかしアスランの表情がかすかに歪む。
何故、と。
キラはメイリンを抱きかかえたまま、
右に視線をずらした。
PCの画面に映し出された情報は瞬く間に更新されていく。
クォンはダニエルに視線を滑らせた。 ア
スランも一瞬ダニエルを確認し、すぐにクォンに視線を戻した。
ダニエルはおそらく・・・自殺だ。
ダニエルは血の海に浮かぶように倒れていた、
握り締めるように引き金を強く引いたまま。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
キラの叫び声。
アスランの視線が、一瞬、キラへ向けられる。
その隙だった。
クォンは左手を背中へ回しベルトの隙間からナイフを取り出す。
アスランがクォンに視線を戻した時には既に、
ナイフは振り上げられていた。
アスランは銃を構えなおす。
「キラっ!どうしたっ!」
一瞬目にしたキラの周囲に、危害を加える蓋然性のある第三者は見当たらなかった。
外傷は無い筈だ、
その予想がアスランをその場に留めクォンと対峙させた。
「武器を捨てろ。
さもなくば、撃つ。」
アスランの淀みない声が、冷たく響く。
ひとつ、アスランの鼓動が胸を打つ。
振り上げたナイフ、のけぞった身体。
クォンは止め処なく涙を流し続けた。
涙の雫が輪郭から滴り落ち、
床に無数のしみをつける。
叫び声を混じらせたキラの不規則な呼吸と、
クォンの落とす涙が、
室内の時を刻んだ。
クォンは口を開いた。
「これは俺の尊厳だ。」
アスランは深い呼吸を続け、
鼓動を整える。
さらにクォンの低い声が地を這うように響く。
「何も知らなかった。
何も知らないことは罪だ。
俺は、生命を汚した。」
クォンの言葉から発狂したかのように捉えることができた、
が、
アスランが対峙するクォンは底知れぬ寒気を感じる程に
静かだった。
御伽噺にあるような
禁断の真実を目の当たりにしたような表情を浮かべて。
「ナチュラルが野蛮だと言ったことがあった。
訂正したい。
ナチュラルは清らかだ。」
その瞳は絶望に眼光を失っていた。
「俺の血に、
細胞に、
人間の欲望が、
負そのものが沈殿している。
汚れ、そのものだった。」
クォンは瞳を閉じた。
「メイリンとキラを殺してやってくれ。」
瞼を開くと、そこに現れたのは優しい目だった。
その言葉とはかけ離れ、
クォンの中で一致した、
純化した優しさ。
アスランの胸をまたひとつ、
鼓動が叩く。
「そしてメンデルを破壊しろ。」
クォンの瞳から大粒の涙がこぼれ、
落ちた。
「そのファイルは人を殺す。
内側から壊す。
プラントを砕く、粉々に。
細胞ひとつ残らぬ程に。」
アスランの胸を鼓動が叩く、
強く。
クォンは力なくナイフを降ろした。
「生まれてきた意味を考えることなど、
無意味だと。
生そのものが、
悪の象徴だと。
何故、
気が付かなかったっ。」
その時、アスランの背後で何かが倒れる鈍い音がした。
アスランの意識の糸が揺らいだ、
その一瞬だった。
「生まれてこなければ良かったっ!」
クォンは一気にナイフを咽喉元に突き刺した。
アスランはクォンに駆け寄った、
が、
クォンはナイフを引き抜き血飛沫があがった。
クォンの真紅の意思が宇宙を突き刺すように。