2-10 宇宙を見上げて




満天の夜空。

幼い頃、カガリは夜空へ向かって手を伸ばした。
時が経てば大人になれると思っていたあの頃。
星に触れられる気がして。
宇宙に触れられる気がして。

今も変わらぬ満天の夜空の星の瞬きに、胸が詰まる。
カガリは、差し伸ばそうとした手を留めた。
今は手を伸ばせない。
伸ばさない。
でも、

――触れなくとも届く。
   私は受け取っているから。

カガリは瞳いっぱいに宇宙を映しながら、 胸元で両手を包んだ。
遠く祈りが届くように。



「どうして人は宇宙を見上げるのでしょう。」
ラクスは両手で包まれたハロに問うた。
掌の中でハロはくるくるろ回転して真上を見上げた。
「そうですわね。
そこに答えを求める時も、宇宙を見上げますわ。」
にっこりと笑ったラクスに、 ハロは手元で飛び跳ねた。
「プラントは宇宙にありますのに、
人は宇宙を見上げます。」
「オ前モナ!」
「はい。」
ラクスは笑みをこぼしながら、瞳に星を映し出す。
「わたくしは宇宙を見上げて歌います。
思いが、
願いが、
祈りが届くように。」
ラクスの歌声に共鳴するように、星は瞬く。
遠く旋律が届くように。



カガリはガスパル共和国から再提示された報告書を手に取った。
再調査による新たな事実は判明せず、 最初に報告された内容が繰り返されるばかりだった。
アスランの追跡に不許可処分を下したのは異例のことであり、
慣例通りであれば追跡許可を下し共同調査に当たるはずだった。
所属不明のMS2機が領海内へ侵入することは国家の安全保障そのものを脅かす事態であるにも関わらず、
ガスパル共和国の対応は消極的とも悠長とも映った。
オーブ国内ではガスパル共和国と2機のMS及びその背後にあるであろう組織との協力関係が囁かれていた。
積極的にしろ消極的にしろ、
自発的にしと強制的にしろ、
事実を隠蔽している蓋然性は拭えなかった。
懐疑や批判的視点が真実を明らかにする術の一つであることは、
太古から続く人類の営みが証明している。
しかしそれが時として、
不安や憎しみ、争いに変質することも歴史が物語っている。
だからこそ、カガリは信じることの尊さを確信していた。

人を、
国を、
世界を、
信じる尊さ。

だが、信じるものと事実が両立しないことを、
時としてどちらかが崩れ去ることを、
それが人を傷つけ傷つくことを、
2度の戦争はカガリに深く刻み付けた。
それでもカガリは信じることを貫く。

消えた命の灯、
傷つけたもの、
失ったもの、
向けられた憎しみ、
悲しみ、
怒り、
胸を刺す痛み。
全てを受容し信じる力にかえて。
人々の平和を希求する思いと願いの風を、
両手いっぱいに孕んで。

信じること無しに平和は実現しない、
それはカガリの信念だった。



「カガリ、相変わらずワーカホリックだな。」
私服に着替えたロイが肩をすくめた。
「コラっ!もう退庁時間をとっくに過ぎているぞ。早く帰れっ。」
カガリは声を強めたが、そこには思いやりが込められていた。
ロイは時計に目をやった。
とうに日付は変わっていた。

ロイがオーブへ帰国し入庁して第一に驚いたのは、
カガリの熱意に裏打ちされた仕事ぶりだった。
誰よりも早く入庁し、職員には半ば強制的に帰宅を促す割りに、
自身は日付が変わってもなお仕事を続ける毎日だった。
おそらく庁舎内の誰よりも仕事に向き合っていた。

『至らない分を補うには、まだまだ足りないよ。』

カガリは笑ってそう言いのけたことを、ロイは鮮明に覚えていた。
カガリを突き動かしているものは、
共に描く未来や平和への希求であり、
カガリを変えたものは、
先の戦争への責任と償いだった。
その姿勢は人々の胸を打った。

要領の良いロイが晩くまで残業していた理由をカガリは知ってた。
「アンリのことは心配無い。
あいつの強さは、ロイ、お前が一番知っているだろ?」
カガリは努めて明るく振舞った。
メンデル調査隊へ加わることは、アンリにとって初めて経験する大役であった。
C,E.71年の戦争でオーブが焼かれたその時に、ロイとアンリは家族を失った。
兄としてアンリを守りつづけてきたロイにとって、
メンデル調査という任務に対する 親心にも似た心配は尽きなかった。
「わかってるさ。だけど・・・。」
アンリはカガリの机に寄りかかった。
自然と窓の外が目に入った。

満天の夜空。

ロイはふーっと一呼吸置いた。
「アンリに何もできないのが、不甲斐ない。」
カガリはふっと笑みを浮かべてロイの隣に立ち、机に腰掛けた。
「何もできない訳じゃない。
アンリが頑張ってるって思うと、自分も頑張らなくちゃって思うだろ?
それと同じで、きっとアンリだってロイのこと思い出して、ロイに励まされてる。」

ロイは真直ぐに宇宙を見上げるカガリの横顔を見た。
一点の曇りも無い瞳は、幼い頃と変わらない。
だが、カガリが得た強さが瞳を澄ませているのだと、 ロイは悟った。

――変わったんだな。
   俺の目の外で。

「だから、今、私たちにできることは、
私たちも精一杯励むことだと思う。
私はそうやって応えてる。」
カガリの手に触れようとしたその手をロイは留めた。
カガリが応えているのは、アンリだけではない。
オーブの民や戦火で傷つけた人々、
命を落とした人々、
そして世界に応えているのだと。

「俺も、もっと頑張らなきゃな。」
「そうだ。
さっきみたいな顔してると、アンリに笑われるぞ。」
「そうだなっ。」

――アンリにも、カガリにも。
    笑ったりしないだろうけど。

弾みをつけてロイは立ち上がった。
目に入った満天の星空に、幼い日の光景が重なる。
ロイとアンリとカガリの3人で丘の上に寝転がって、
満天の星空をキャンバスにして星座をつくった。
宇宙の広さは胸を高鳴らせ、
いつか大人になれば手が届くような気がした、あの日。


宇宙を見上げる意味が変わったのは、いつだったのだろう。




←Back  Next→  

Chapter 2  Top