12-9 小さな花
この艦の中で
小さな光が燈されていく。花々がつぼみをほころばすように
次々に。
アスハ代表が同船して3日。
食器を片づけながら、
キッチンを取り仕切る料理長はこの艦の変化を感じていた。
その変化は残飯の量が減っただけでは無かった。料理長は綺麗に磨き上げられた皿を指で擦り、
清潔な音色に耳を傾けながら、今日の献立を思い出した。
クルーの健康増進は任務遂行の下支えになる、
だからこそ料理長は、味はもちろん栄養バランスにも配慮した献立を立ててきたが、
それは乗組員に何処まで理解されているのか、疑問に思っていた。
コーディネーターは強靭な肉体を生まれながらにして持っているが故に
食事による健康管理を軽んじているのではなかろうか、と。
特に閉鎖的空間で中長期的な調査を行っているジュール隊の乗組員は
それ相応のストレスを抱いており、
数少ない息抜きの一つである食事においては、
栄養管理よりも好みを優先させる傾向にあった。アスハ代表がダイニングに立つようになってから残飯の量が激減した。
それは同時に、乗組員全員に食事の中に含まれる栄養が行き届く様になったことを示す。
しかし、より大きな変化は彼らの顔つきだった。
料理を囲んで弾む会話はうるさい位で、その表情はみな明るく、
ダイニングから出ていく背中には、次へ向かう気力を感じさせる。たった数日で、これ程人は変化するのだろうかと、
感慨深く溜息をつき、
テーブルを拭くカガリの背中を見ながら理屈抜きで納得した。
何故、オーブという小さな国にこれ程の力があるのか、
それは生命の輝きなのではないかと。
「よしっと。」
布巾でテーブルを拭き終えたカガリがキッチンへ戻ろうとした時、
トレ―を持ったルナが掛け込んできた。「すみません!遅くなっちゃって。」
ルナがキッチンへ差しだしたトレ―の上には
2人分の皿が重ねて置いてあった。
受け取ったカガリは、それがシンとルナのものであることを知っていた。
そして、2人がダイニングではなくシンの自室で食事をしていることも。
理由をルナに問わずとも分かった。カガリがキッチンの手伝いを始めたその日、
ダイニングの入口に現れたシンが遠ざかっていくのが見えた。
あの時以来、シンは食事をダイニングではなく自室で取っており
見かねたルナがシンに付き合っているのだ、
一人の食事は寂しすぎると。「ありがとな。」
そう言ってキッチンへ向かうカガリに、
ルナは言いづらそうに告げた。「あの・・・ごめんなさい・・・。
私が、言うことじゃ無いですけど、本当は。」“優しい子だな”そんな思いのままに、カガリは微笑んだ。
シンに抱かせてしまった哀しみも
胸を巣食うような憎しみも、みんな。
止まらない加速度で広がるそれを
私は止められず、
彼を受け止められず。そんな私と、
同じ場所に居たくないのだろう。「分かっている。
だから、気にするなよな!」向けられた笑顔があまりに自然で
ルナはふいに胸の内が軽くなるのを感じ、
常夏の風にさらわれそうになる自分の心を、とっさに繋ぎ止めた。
うっかり救われている場合ではない。
自分が軽々しく立ち入るべき問題だとは思わない、
だけど、黙って見ていられる問題でもない。シンとカガリを隔てる距離、
流れる空気の質感、
それはルナの胸を締め付ける、
ルナにとって2人が大切な分だけ、深く。でも、自分に何が出来るのだろう。
今を変え、想い描く未来に手を伸ばしたい、
あるのはそんな気持ちばかりで、
現実的な行動が何一つ浮かばない。
無力感に冷えていく体に
締め付けられるような痛みに胸ばかりが熱くなる。「どうした、ルナ?」
目の前には、瞳を丸くして小首をかしげるアスハ代表。
子猫のような無垢さが、なおもルナの心を揺さぶった。――カガリ様だって、痛くない筈、無いのに・・・。
「いえ、何でも!
ごちそうさまでした!!」動揺が声を大きくし、
恥ずかしさにルナは顔を伏せるように背を向け駆け出した。
ダイニングの扉を抜け、廊下の一つ目の角を曲がったところで立ち止り
思わず壁に背を預けた。
心を落ちつけるように胸に手を当て、
しかし乱れた鼓動に深呼吸は中途半端に途切れる。「また、
私は力になれないのかな……。」そう呟いて、ルナは視線を落とした。
キッチンの手伝いを終えたカガリは、ダイニングを出て廊下を見渡した。――静かだ。
昨日の間に、今日のスケジュールはディアッカから言い渡されている。
予定通り、コンファレンスルームで全体会議を行っているのだろう。中心部へ向かって廊下を移動する。
その間に、すれ違う者は誰もいなかった。
それを確かめ、カガリは静かに頷く。
この時を待っていた。いつもは通り過ぎる角を曲がる。
突き当たりに扉が見えた。
この艦に乗ってから初めて踏み入れる領域に、
視線はぶれることは無い。足を止める。
扉に手を触れ、想いを馳せるように瞳を閉じた。
ずっと、会いたいと思っていた。
話を、しなければならないと。この艦に巡り合ったのは
神様が願いを聴き届けたのか、
それとも、運命がそうさせたのか、分からない。想いが現実になるのとは違う。
想いを自らの手で現実にする。微かに震えた手に気付き、
胸の前で左手を右手で包み込んだ。顔を上げ、
前を向き、
カガリは扉をノックした。沈黙が返る。
それも分かっていたこと。「入るぞ。」
扉が開く。
瞳を刺すような白い色彩に、
艶を無くした赤が哀しい程映えていた。迷い無い足取りで
距離が無くなっていく。「久しぶりだな、メイリン。」
そう言ったカガリは
たおやかな微笑みを浮かべていた。
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