12-10 叫びを、苦しみを




ベッドの上で上半身を起こし、足を投げ出すように座るメイリン。
微かな振動でさえ崩れそうな程弛緩しきった体は、
瞳を刺すような白いシーツに沈んでいた。

その光景に、カガリの胸の内でフラッシュバックする。
降りしきる粉雪と、
視界も
ぬくもりも
光も奪う
白い闇――

カガリはメイリンと目線を合わせるためベッドの横で膝を折り、面差しを向け、
吸い込まれるような哀しみに、瞳が揺れた。

背景が透けて見える程蒼白な顔からは一切の感情が抜け落ち。、
果てなき闇を宿した瞳には何も映さず、
音も無い呼吸をただ繰り返す。

――同じ闇を、私も知っている。
窒息するような白い闇を。

同じ闇に飲み込まれ
ある者は命の尊厳の保持だと叫び、
ある者は抗えぬ絶望に身を鎮め、
命を絶った。

それでも。

メンデルで成された事実を知っても、
果てなき闇の世界に閉ざされても、
今ここに
メイリンがいる。

生きている。

その真実の尊さが胸を熱くし
熱が瞳に立ち昇る。
祈るように瞳を閉じ静かに涙を落したカガリは
奇跡に手を伸ばすように
メイリンの頬に触れた。

「生きていてくれて、
ありがとう。」

その瞬間、
空間を切り裂くような乾いた音がした。

目に映る光景は何も変わらない。
しかし、確実に空気の色彩は変わった。

沈黙が、
空間の切れ目を埋めていく。

状況判断が追いつかずにいると、
手の内側からしびれるような熱を感じ
視線を落とせばメイリンに伸ばした筈の掌に赤みが差していた。
そうして漸く気付いた、メイリンにはたき落とされたのだと。

尚早だったのかもしれない。
姉妹でも友人でも仲間でも無い私が、
自ら世界を閉じたメイリンの領域に踏み込む前に
言葉を重ねれば良かったのか。
そこまで思考が進み、カガリはそれらを一蹴する。
必要なのは、そんなことじゃない。

今、メイリンに必要なことは、
今、私がすべきことは、
この今に、私ができることは、
ひとつしかないのだから。

もう一度カガリは眼差しをメイリンに向ける。
言葉は無く、ただ真直ぐな眼差しを。

すると、眼光を亡くした瞳が
こちらを向いた。
メイリンの蒼白の顔には一切の表情が表れていないのに
闇に染め抜かれた瞳から
確かな拒絶を感じた。

カガリは確信したように頷くと、
もう一度同じ言葉を告げた。
たおやかな微笑みと共に。

「生きていてくれて、
ありがとう。」

言葉が結ばれるのを遮るように
乾いた音が響いた。
カガリは衝撃と共に姿勢を崩し床に手を付いた。
だが再びメイリンのベッドの脇で膝を折り、顔を上げた。
打たれた頬は1秒ごとに朱に染まり、
口元に花びらのような血が差した。
それでもカガリは、強く迷わずメイリンを見詰めた。
それは、メイリンにとって脅威でしか無かった。

自己の存在を否定したメイリンにとって
自らの生存を肯定するカガリの存在は排除すべき者以外の何者でも無い。
Freedom trailで成された血塗られた軌跡が
この遺伝子にも刻まれている。
生命の煌めくような尊さを
人間の尊厳を
根底から瓦解させる軌跡が、
二重螺旋を描いている。
罪の遺伝子によって構成された自己を肯定することは出来ない。
何故ながら自己を肯定すれば
Freedom trailを肯定することになるからだ。
恣意的に奪われ続けた生命を、
飽くなき人間の欲望を、
穢れた存在を、
許され得ぬ罪を。
故にメイリンにとってカガリは
排除しなければならない他者となる。

しかし、

「生きていてくれて、
ありがとう。」

直も繰り返される言葉に
メイリンは叫びを上げた。
酷く掠れた声は言葉とならず、
荒い息使いに遮られる。
長く言葉を通さなかった喉は、意思を阻む。

「や・・・め、て・・・っ。」

声にならないもどかしさにメイリンは喉元を押さえ、
力加減を忘れた手は陶器のような喉に爪痕を残す。
無意識に自己を傷付けていくメイリンを止めようと
とっさにカガリは彼女の手を取った。

触れ合う手。

メイリンの瞳は驚愕で見開かれ、
叫び声と共にカガリを突き飛ばす。
ナチュラルの女性では考えられない程の力で
カガリは床に叩きつけられ、
反動で浮き上がった拍子にくぐもった声が漏れた。

「触らないで・・・っ」

底知れぬ哀しみに満ちた声が降り
見上げれば、メイリンが光を失った瞳を揺らしていた。
不自然に痙攣した頬に、
青白い唇が非対称の弧を描く。
狂気にも似た表情に漂うのは、
絶望と哀しみ。

「・・・私に、触らないで・・・。
ナチュラ・・・ルの、くせに・・・っ。」

ふいにアンリの姿が脳裏を過る。
澄んだ鳶色の瞳に映る自分、
何も知らずに笑いあい、
触れ合っていた自分――

メイリンは否定するように大きく肩を揺らし、
その拍子に艶の無い髪が半面を覆う。
息使いで揺れる赤い髪。
まるで脈打つそれに生命が連想され、
メイリンは悲痛な声を上げ両手をベッドに叩きつけた。

永遠に繰り返される光景――
メンデルの研究室で見た真実。
米神に銃を当てたダニエル。
首筋にナイフを突き付けたウォン。
絶望の目で私を見たコールマン。

私も同じなのに、
そのどれをも選べない、弱い私。

罪に穢れた自己の存在を拒絶しても、
自らの命に、自らの手で触れる勇気を持たず、
罪を知りながら
生き永らえる自分が
許せない。
この世界に実存し続ける
この遺伝子が許せない。
永久に描かれる螺旋のような苦しみを、

「貴方には、分からない・・・。
ナチュラルの、貴方にはっ。」

世界を砕く真実を知れば
貴方はコーディネーターを否定する。

「それなのに、
触らないでっ。」

触れられたそばから
罪に満ちた己の命を感じる。

「消えてっ。」

ナチュラルがいるから
体中に刻まれた穢れが蠢く。

「消えてよっ。」

肺が潰れる程の声で繰り返すメイリンは、
やがて自らの存在を隠すように蹲った。

 

瞳を閉じればフラッシュバックする
メンデルの研究室、

――どうして、あの時・・・

――クォンさんは私を・・・殺してくれなかったの・・・

白で埋め尽くされた医務室、

――どうして、あの時・・・

――コールマン先生は私を・・・殺してくれなかったの・・・

逃げるように瞳を開けば、永久に続く白い闇。
罪から逃れられない己に救いなど無いのだと
在ってはならないのだと知っている。
絶望と共に生き永らえる他無いのだと、知っている。
知って――

 

メイリンの思考が断絶する。
ふいに包まれたぬくもりに息が止まる。
カガリに抱きしめられているのだと、分からなかった。
それ程思考は混濁していた。
そして、耳元に落とされた言葉に
自分が息を飲んだ音がした。

「知っている。
全部・・・、知っている。」

何をと問わずとも、
真実を告げる言葉。
メイリンの体は、恐怖に遺伝子が共鳴するように震えだし、
声ともつかない叫びを上げ抗う。
その度に強くなるカガリの腕。

「知っている。
メンデルで成された全てを
知っている。」

他者から告げられる真実はメイリンの胸に突き刺さり
打ち消すような声が上がる。
それでも届くと信じて、カガリは告げる。
暁の世界で見つけた
真実を。

「それでも、私は思う。
メイリンは、
生きていて良かったと。」

暁の世界で
アスランが告げた真実は
今もこの胸にある。

キラとラクスが支えてくれたから
信じ抜くことができる。

「今こうして、
メイリンと会えて良かったと。」

Freedom trailという
世界を砕く程のものを創り出したのは人だ。
だけど今、私は信じたい。
Freedom trailを越えることが出来るのも、
また人なのだと。

「それが私の真実だ。」

 


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