12-4 正義と夢




「着替えはロッカーの中に用意してあります。
シャワーはご自由にお使いください。
私はここで待ってますから、何かあれば声をかけてください。」

ルナは手短に説明すると、カガリを更衣室へ促した。
カガリは“ありがとう”と告げ、更衣室に入るなり
大胆に胸元のファスナーを下ろした。
その拍子に零れた溜息、
それだけで軽くなる体、
無意識に溜めこんでいた何かの存在にカガリは驚き
とっさに口元を押さえた。
シャトルの襲撃、
メンデルでのケイとの出会い、
全ての出来ごとが鮮明に思い起こされるのに
何故だか遠くにも感じる。
いや、自分がそれだけ遠くに来てしまったのかもしれない。

――いつ何時、自分がどうなってしまうか分からないんだな。

ありふれた言葉が胸に浮かび、指先で抑えた口元は引き結ばれた。
そんなこと、分かり切っていた筈なのに。
国家元首としての身、
今はそれだけではない、Freedom trailの遺伝子を持つ身なのだ。

――分かっていた筈なのに。

自分の甘さが許せない。
だからと言って立ち止っている彼女ではない。
カガリは扉が開いていたロッカーにパイロットスーツを納めると
シャワールームへ向かった。

今できる全てをする事。
それが、こうなってしまった今を生きるということだと分かっていた。

 

降り注ぐ湯の雨に瞳を閉じる。
一粒一粒が体に沁み込み、体を伝う流れに乗って疲労が消えてゆく。
ボディソープを手に取り、ふわりと香った柑橘系の薫りに
ふっと表情が緩む。

――ルナが好きそうな薫りだな。

ベルガモットの薫りに心をほぐされながら
カガリは今自分に出来ること考えていた。
これから数日間はここで皆と共に暮らすのだ、
ただ時間を待つだけなんて、出来る彼女ではない。

 

「ぷはー、さっぱりしたぁ。」

ふかふかのバスタオルを体に巻き付け、
もう一度ロッカーへと戻り、
丁寧に置かれた着替えを手に取って絶句した。

――まさか、嘘だろ!?

本当に自分にこれを着ろと、ルナは言っているのか?
到底信じることが出来ず、カガリは横並びのロッカーに手をかけたが
全てロックされている。
そのままの勢いで、カガリは更衣室の扉を開けた。

「おい!ルナ!」

扉の前で談笑するルナとシン、そしてヴィーノ。
彼らは一様にぎょっとした表情を浮かべた。
その筈だ、いきなりバスタオル一枚の女が飛び出してきたのだから。
しかし、カガリの頭の中には用意された服のことしか無く、

「何かの間違いだ!
私は着れないぞ!」

両手をきゅっと握り、ルナに迫る。
その拍子に首筋から水滴が流れ落ち、胸の谷間に消えた。
“絶対着ないぞ!”そう言ってふるふると頭を振るカガリ、
飛び散る水滴はまだ温かく、シャンプーの薫りが余計に色気を匂わす。

ごくり。

シンとヴィーノが同時に喉を鳴らした時
いち早く我に返ったルナがカガリの肩を掴んで
更衣室に押し込もうとした。

「とっ、とにかく、更衣室に戻ってください!」

「私は着ないぞぉ!」

カガリは抗議するように手足をばたつかせ
その度に胸元で留められたバスタオルが揺れる。
現実が飲み込めずシンとヴィーノ目は釘付けで、
それに気付いたルナの甲高い声が響く。

「ちょっと、あんたたち!何見てるのよ!」

ルナの声で漸く自分の置かれた状況に気付いたカガリは
「うわあぁぁぁ!」
ルナの背後に隠れるように回り込み
「うぅぅぅ。」
子猫のように唸ってはシンとヴィーノを睨んだ。
ルナは溜息をつき、米神に手を這わせた。
ただ着替えをするだけで、何でこんなことになったのだろう。
先行不安だが、今はそんなこと言っている場合ではない。
ルナは腰に手を当て、学校の先生のような口調で告げた。

「唸っても恐くないですから、
早く更衣室へ戻ってください!」

「うっ。」

ぴくんと肩を揺らし、頬を真っ赤にしたまま小さく頷いたカガリは
更衣室へと戻った。

 

「もう、一体どうされたんですか!」

ルナの厳しさの混じった声に、
頬の火照りが引かないカガリは黙って背を向けロッカーへ向かった。
ちょっとしょんぼりとした態度に、ルナの口元に笑みが浮かぶ。
メディアを通して見るアスハ代表はいつも凛々しいのに
目の前にいるアスハ代表は、
タオル一枚で騒いだり、年下に怒られてしょんぼりしたり・・・。

――おもしろい人、なんだな。

メディアから受けるイメージとはかけ離れているけれど
それは違和感ではなく、むしろ親しみが湧いてくる。
“カガリ”という人に触れている気がするのだ。
そんなことをのほほんと考えていたルナに
カガリはぽつりぽつりと言葉を落とした。

「騒いだりして、ごめんな・・・。」

心もとない声にルナの笑みが深まる。
なんと素直な人だろう、と。
しかし、ロッカーから服を持ってきたカガリの表情を見て、
ルナは息を飲んだ。
どんな格好でも、
本物の気品は滲み出てくるものだと思い知った。

「でも、私はこれを着ることはできない。」

カガリはたおやかな微笑みを浮かべ、大切そうに両手で服を持ち
そっとルナの前に差しだした。
カガリが手にしていたのは、ザフトの赤服だった。
エースパイロットだけが着ることを許される色彩に敬意を込め
カガリは目を細めた。

「これを着るために、どれ程の努力が必要か、
想像に難くない。
この服は、それにふさわしい者が着るべきだ。」

“それだけじゃない”、そう言ってカガリはルナの瞳を真直ぐに捉えた。

「これは己の正義と夢を、示すものだ。
護りたいものを、
叶えたい未来を。」

“そうだろう”とルナに問うようにカガリは首をかしげ
その拍子に濡れた髪から雫が舞った。

 

赤服をカガリのために用意したのはルナ自身だ。
それは、イザークからの命だった。

『どうして赤服なんですか!
捕虜の服はともかく、私の私服を提供しますから!
赤を着せろだなんて・・・、納得できません!』

命が下された時、ルナはイザークにかみついた。
赤服に誇りを持っているルナの反応は当然のものだ。
この赤服を目指し積み重ねた努力も、初めて袖を通した喜びも、
赤に恥じぬよう自ら縛め鍛錬を重ねた日々も、
それらが軽んじられたような気がしたのだ。

しかし、イザークの返答は淡々としたもので

『彼女がアスハ代表であるならば、
我々は最高敬意を示した対応が必要となる。
我々が差しだせる最上の衣類は何か、考えれば分かるだろう』

当然ルナは納得できる筈が無い。
さらにディアッカの言葉が追い打ちをかけた。

『おまえが赤を貸さなきゃ、
イザークは、白を差し出すだぜ?
俺たちが用意できる最上の衣類は白だからな。』

“どうする?”と挑発的な視線を向けられ、ルナは鋭い眼光をでそれを受け止めた。

『分かってます・・・っ。』

小さくとも強い語気でルナは言い切った。
感情を抑え込むように握られた拳が微かに震えていた。

 

自分の予備の制服をロッカーの中へ置いた時
他人の素手で信念を捻じ曲げられたような感覚がした。
言いようの無い感情は、
命令だからという理由で切り離せるものではない。
誇りは胸に根を張り、枝葉を伸ばし
時に自らを支え、時に誰かの安らぎとなる。
それを簡単に手渡す事は出来ない。

――そう、思っていたのに・・・。

目の前にいるカガリの眼差しがあまりに澄んでいるから
心が静まっていく。
暁色の瞳には確かに威光が輝いている。
いくつもの願いを束ね、覚悟を刻んできた色彩だと分かる。
オーブの正義と、人々の夢を。

――だからこの人は、赤服を差し出しているんだ。
私の気持ちを、分かってくれているから。

いつまでも黙っているルナの手を取り、カガリは赤服を握らせた。
“返したからな!”と、ぶっきらぼうに告げると
カガリは一度仕舞ったパイロットスーツを引っ張り出した。
その瞬間、
感情がルナを突き動かした。

「これ、着てください!」

ルナは赤服をカガリに差しだした。
それまでの感情を飛び越えて、
理解が追いつくよりも早く言葉が飛び出していく。

「あなたならっ!」

心のままの衝動は、決して不快なものではなかった。
己の口から出た真実に驚いた胸が、大きく鼓動を打つ。

「着てもいいと・・・思いますから。」

「ルナ・・・。」

ルナの決して滑らかではない言葉の間から
十分すぎる程気持ちが伝わってくるから
カガリは何も言えなくなった。
射抜くような目でルナを見た。
彼女は折れないだろう、そんな目をしている。

数秒間の沈黙の後、
先に口を開いたのはカガリの方だった。

「本当にいいのか?」

カガリの問いに、ルナは迷わず頷いた。
カガリは静かに赤服を手に取ると、
“一つだけ聞かせて欲しい”と前置いて問うた。

「なぜ、この服を選んだ。
捕虜の服だってあったろうに。」

「隊長からの命令です。」

カガリは目を見開き、そして微かに唇を噛んだ。

「本当のコト言うと、私だって最初は嫌でした。
ザフト以外の人間が袖を通すなんて、ありえないし許せないって。」

からりと晴れた空のようなルナの声を聞きながら
カガリは理解した。
この赤服を差し出してくれたのは、ルナだけではない。
イザークはカガリを護ろうとしたのだ。
本国と通信中の映像や報告資料にカガリの姿が映ってしまうことも考えられる以上、
カガリを保護していることが何処から漏れるか分からない。
ならば、赤を着せ、隊員に紛れ込ませることで、
保護したことそのものを伏せるのが安全だと判断したのだろう。

あれだけ誇り高いイザークが、
己の正義と夢を示す制服を差し出してまで
護ろうとしてくれている。
そのことにカガリは胸打たれた。
それだけではない、
今目の前にいる勝気な少女も。

「でも、あなたを見ていて、気持ちが変わりました。
今は私の意思で、この服があなたにふさわしいと思います。」

カガリを信じ、自らの意思で託そうとしてくれている。
ルナの澄んだ笑顔が、カガリの胸を締め付ける。

最早、受け取らなければならないとカガリは思った、
イザークとルナの想いを。

「・・・ありがとう・・・。」

掠れた声がルナの耳を掠めると同時に
思わぬ衝撃に体が熱くなる・

「えっ・・・」

ルナは驚きに声を漏らした。
突然のことで何が起きたのか分からなかった。
お気に入りのベルガモットのボディソープの香り、
視界の端で揺れる金髪、
体に感じるぬくもり。
そして漸気付いたのだ、カガリに抱きしめられていることに。

「わっ!ぇっ、え!!
どっ、どうされたんですか!!!」

一気に頬が紅潮して、どうしていいのか分からず
焦りに任せて声を張り上げた。
抱きしめるカガリの腕は弱まらず、
もう一度肩口から声が聴こえた。
丁寧な響きだった。

「ありがとう、ルナ。」

 

 

「サイズ、大丈夫ですか?」

ルナに手伝ってもらいながら、慣れない服に着替えていく。
水色のアンダーシャツに合わせたのはルナのスカート。
黒のタイトスカートの丈は短く、左の太股にあたる部分に深くスリットが入っている。
スレンダーなルナに良く似合うだろう、
そんな事を考えながら、スカートのファスナーを上げた。
シュっと背筋が伸びるような音が室内に響く。

「ん。ウエストは大丈夫なんだけど、ヒップが…。
これで平気か?」

そう言って確認するように半身を捻るカガリを横に
ルナは肩を落とした。

――ウエストは同じなのに…

細いウエストに不釣り合いな程グラマーなヒップ。
適度に筋肉がついているのだろう、きゅっと上を向いている。

「すみません。私のヒップが足りなくて…。」

「あっ!そういう意味じゃないんだ!
ただ、変じゃないかなって…。」

カガリの声がだんだんと落ちてき、ルナは首をかしげる。

「どうかされました?」

すると、カガリがぶっきらぼうな口調で
そっぽを向いた。

「そのっ、私はスカートなんか、小さい頃からはかなかったからな。
今でも、はかなし…。」

あぁ、そうかとルナは思う。
この人は照れているんだ、と。

――スカートをはいただけで。

「しかも、こんな大人っぽいの…。」

ルナは、この短時間の間に
想い描いていた“アスハ代表”というイメージが崩れていくように感じた。
それは失望では決してなく、
色彩が芽吹く様に新たな印象が焼き付いていった。
どうしようもなく、鮮烈に。

“う〜”とか唸りながらスカートの裾を引っ張るカガリに
居てもたってもいられずルナは抱きついた。
今度はカガリが驚く番だった。

「わっ!何だっ!どうしたんだよ〜。」

「かわいいっ!」

「は・・・?」

「だから、カガリさまがかわいいと、言ってるんです!」

「ばっ、バカヤロウっ!
かわいいってのは、ラクスみたいな子を言うんだぞっ!」

「いいえ、カガリさまだってかわいいですよ。
私、ツボだわ〜。」

「意味わんないぞ〜!」

同世代の女子のじゃれあい。
あぁ、こんなに笑うのはいつ以来だろう。
そんなことを頭の片隅で思い、ふと哀しみに心が冷える。
メイリンが眠ってからだと、気付く。
喉を締め付けるような冷たさをさを飲み込んで、

「さっ、最後にこれを!」

ルナはカガリを鏡の前まで押し出し
赤のジャケットを広げ、
カガリは仕立ての良いそれを受け取った。
ゆっくりと袖を通し、
想いを馳せるように瞳を閉じる。

ザフトのエースパイロットたちは、
どんな想いで袖を通したのだろう。

己の正義と夢を胸に、
どんな想いでこの赤を纏い
どんな想いで戦い続けているのだろう。

ふと感じるのは
燃えるような熱。
それは誇りなのだと気付く・

オーブとは色も形も違えど、
同じ誇りを感じる。
未来へ手を伸ばす、希望を感じる。

――同じなんだな。

 

急に静かになったカガリを、ルナは黙って見守っていた。
ザフトの正義と夢を彼女なりに思ってくれているのだと、
なんとなく分かった。

――なんて誠実な人なのだろう・・・。

言葉に導かれるようにアスランの姿が胸に浮かぶ。
何故アスランを想い浮かべたのか、ルナには理由が分からなかった。
だがもし、彼がカガリと同じ状況になったなら
きっと同じことをしただろうと思う。

――アスランの場合、もっと大変かも。
   馬鹿がつく程真面目なんだから。

以前の上司の真面目っぷりを思い出して笑みを深めたルナは
カガリの邪魔にならないように、そっと彼女の前を整え始めた。
襟元まで手が伸びた頃、
たおやかに微笑むように瞳を開いたカガリと目が合った。

「さ、これで完成です!」

くるりと背後に回り
“どうですか?”と楽しげな声を上げたルナに促され
カガリは鏡を見て、息が止まった。

鼓動がひとつ、胸を打った。
鏡の中にアスランが見えた。
それは一瞬で消えてしまうから、
追いかけるように、唇は彼の名を形作る。

――アスランっ。

この2年間で培われた予防線が
声をなることを拒み、
しかしふいに溢れた想いは、
言葉ともつかない呟きになって落ちた。

「今、何かおっしゃいました?」

ルナの問いに我に返ったカガリは
鼓動の乱れを隠し、伏し目がちに首を振った。

「いや、何でもないぞ。」

“手伝ってくれてありがとな”、
そう言って鏡の前からロッカーへ戻っていくカガリの背中に
残光のように切なさが見えてルナは目を瞠った。

鋼鉄の女と比喩されるように
アスハ代表には浮いた話はおろか、恋愛の気配すらしない。
“オーブと結婚した彼女は、伴侶は必要としないのだろう”
そんな言葉だって耳にする。
ルナ自身も、カガリに対して鋼鉄の女とは言わないまでも
恋愛とは別の次元で生きているのだと、思っていた。

だからこそ信じられなかった、
これほどまでに胸を締め付ける切なさを
彼女に見たことが。

――さっき、誰かの名前を呼んだ・・・?

ルナは鏡の前から動けずに、カガリの様子を目で追っていた。
カガリは先程を変わらぬ様子でロッカーの中を手早く片付けると
髪を拭き終えたタオルを洗面台の横のカゴに戻した。
と、洗面台の鏡に映った姿が目に入ったのだろう、動きが止まった。

「・・・アイツみたいだな・・・。」

微かに聴こえた呟き。

――アイツって・・・?

そんなルナの問いは、
振り返ったカガリの常夏の空のような笑顔で
霞んでいった。

「さ、今度は艦内を案内してくれよな。」

「その前に、髪を乾かしましょう!
風邪、ひいちゃいますよ?」

ドライヤーを手に持ち、ルナはカガリの元へ駆け寄った。


BLOGにおまけのSSがあります♪よろしければこちらから!
 


←Back  Next→  

Top   Chapter 12   Blog(物語の舞台裏)