12-38 自転車





12-38 自転車
この話をあっさりと打ち切ったのはイザークだった。

「憶測に憶測を重ねた所で、結果出来上がるのは何の役にも立たない幻想だ。
よって、次に移る。
自爆した敵艦についてだが――」

それはイザークなりの気遣いの混じった艦長としての判断だった。
現段階における最善の利益から逆算すれば、不確かな憶測に割く時間等コンマゼロ秒すら無いのだ。
イザークは本艦の安全性を確認すると、
艦長室からブリッジへと面々を移動させた。
総責任者であるイザークは、アスハ代表を保護したことを
一刻も早くオーブとプラントへ報告すべきだと考えていた。
ブリッジへ向かう途中、ふと宇宙に目を止める。
耳を澄ましても音の無い空間が
世界に渦巻く混沌を浮き彫りにしているように思えてならなかった。
だからこそ、アスハ代表の保護という吉報が必要なのだ、
世界に風を吹かせるために。
ずっとこの時を待っていたのは、未だ無事を知らされていないオーブだけでは無い、
イザークもまたその一人だったのだ。

――それこそが最善の利益だ。

先陣を切るイザークの背中を見て、カガリは何と誇り高いことだろうと思う。
彼は世界を俯瞰し、プラントからザフトの一軍人という立ち位置から、
世界を護ろうとしているのだから。
と、カガリはクルリと振り返った。
見れば、皆の列に続かずオープンスペースに留まっている奴がいるではないか。
壁面一面に広がる宇宙を見上げる姿は、
まるで果て無き宇宙に漂っているようだ。

――まったく、これだから放っておけないんだ。

 

 

 


「お前大丈夫なのかよ。」

突然左袖を引かれて、
アスランは振り返った。
振り返れば君がいる、それだけで笑みがこぼれる。
が、

「何笑ってるんだよっ。」

どうやらそれがお気に召さなかったようで
子猫が毛を逆立てるような剣幕の彼女に、
アスランは“ごめん、ごめん。”と言いながらも笑い声は治まらない。
まるで幸福の羽にくすぐられているようで。
するとカガリは元気いっぱいのため息をつくと、
アスランと肩を並べるように宇宙を見上げた。

「さっき、艦長室で…」

カガリ自身が言いだしにくい、というより
アスランが応えづらいことを見越した気遣いが
隣の肩から伝わってくる。
そんな彼女のいじらしさにアスランはもう一度笑みを浮かべた。

「あぁ、父上のことか。
もし、父上のクローンなのだとしたら政治的に利用される蓋然性がある。
今プラントは強硬派が力を強めているから――」

この数カ月で風向きは大きく変わった、
そしてこの状況を押し上げているのは、間違いなくクライン議長の不在だ。

「プラントの国民は欲している、パトリック・ザラのような指導者を」

プラントの未来と最善の利益を第一に考え、強く正しく力強く前へ進む指導者を。
しかしもし、パトリック・ザラのクローンがパトリック自身の意思によって造られたものだったとしたら――
彼の成し遂げるべき目的はただ一つ、

――ナチュラルの殲滅。

アスランの脳裏に浮かんだジェネシスが発光して消える。

「私は政治の話をしているんじゃないっ。
大事なのは、アスランだ。」

するといつの間にかこっちを向いていたカガリは
そっとアスランの胸に手をあてた、
まるで心の声に直接触れるように。

「だから、大丈夫なのかと聞いている。」

その瞳と同じく真っすぐな想いが
アスランの胸を刺す。
だから、本音が零れ落ちた。

「よく・・・分からない。」

ずっと分かろうとしていなかったのだ、
既に用意していた“父上のクローン”という答えを白く塗りつぶして
思考から排除していたのは自分だ。

「気のせい・・・かもしれないが、
マキャベリ・・・からは、父上の意思のようなものを感じるんだ。」

「うん。」

――受け止めてくれる、君がいる。

カガリの存在がアスランを強くする。
無意識の排除、それこそが自分の弱さだったのだと気づかされる。

「また、銃を向けられるかもしれない。」

撃つべき相手として、立ちはだかるかもしれない。

「それでも、
マキャベリという“人”と向き合いたいと、
今は思っている。」

覚悟は、何度もこの胸に結んできた。
始まりはメンデルへ向かう時、
それからマキャベリの影を見る度に銃を交える数だけ
覚悟は重く強くなっていく。
いつか迎えるであろう現実を自分が受け止められるか、なんて無視をして。

“そっか。”と言って、カガリは先程と同じように
肩を並べて宇宙を見上げた。
無くなってしまった胸元のぬくもりに寂しさを覚え、
離れた手を捕まえようと視線が追いかけて。
素直になりすぎている己の心に赤面し今更鼓動が高鳴って、
コントロールのきかない自分に細く長い溜息をついた。

――どうかしているな、俺は。

遂行しなければならない任務も、
考えなければならない方策も、
折り合いをつけなければならない感情も…
今すべき事は整然と頭の中で優先順位の通りに並べられているのに、
突き動かされるような感情が全てを吹き飛ばしてしまう。
時折、オーブで感じた熱い突風のように。
そして、その風に身を委ねて飛び立ちたくなる自分がいる。

「アスランの支えに…なってくれる、身近な人がいればいいのにな。」

それは、音の無い宇宙でなければ聞き逃してしまいそうな程
儚い声だった。

「カガリ…?」

そう問い返せば、カガリは子猫の突進のような勢いで詰め寄ってきた、
その頬はほんのりと染まっているように見える。

「だってさ、お前、危なっかしいし、
放っといたら自分を後回しにして全力で頑張っちゃうし。
今だってっ、」

かと思えば、猫の耳がしゅんと伏せられるように

「ボロボロじゃないか…。」

ポツリとこぼして、視線を外された。
その横顔が、何故だか泣き出しそうに見えて、
勘違いかもしれないけれど、カガリも自分と同じように感情を隠せずにいるのではないかと思う。
だってこんなに君を近くに感じる。

「それ自体がアンバランスな物体は、
動いている時の方が安定していて、逆にその場に静止するとバランスを崩すことがある。
例えば、自転車とか。」

突然のアスランの例え話に、カガリは無垢な瞳を向けた。

「そういうものが立ち止まる時は支えが必要だ。」

「うん…?」

カガリには未だアスランの言わんとしていることが分からなかったが、
続く言葉を待った。

「だけど、前に進んでいる時は支えはいらない。
むしろ必要なのは光だ。」

「光…?」

「そう。
オーブの神話やおとぎ話に出てくるように、
星の光は旅人の標になって、
太陽の光は自然を育み人をあたためる。」

光が無ければ、前へ進めない。
だから。

「もし俺が、カガリの言うように危なっかしい状態なら
必要なのは光だ。
そしてそれはもう、ここにあるから。」

――そう、君がいるから。

驚いた君の瞳と、
頬が、髪からのぞく小さな耳が色づいていく。
あまりにかわいい君をこの腕に閉じ込めてしまいたくて
心のままに伸びた腕、
掴んだ君の細い手首、

――まっ、マズイ…っ。

を引いて、アスランはカガリに背を向け
無言でブリッジへと向かった。
このままでは何もかもが伝わってしまいそうで
思わず口元を手で覆った。

 

 


君の傍にいて
次々に放たれる矢を薙ぎ落とし
降りかかる火の粉を払い
忍び寄る手に触れられる前に潰すだけでは、
きっと君を護れない。
君の護りたい世界を護れない。

今は前へ進む時。

だけど、自分はどこまで前へ行けるだろう。
君と離れた分だけ、君に届かなくなる。
“間に合わなかった”、
その言葉は君を失うことを意味する――

アスランは無意識に
カガリの腕に触れる手を強める。

カガリを失う恐怖が、
アスランの胸に深く刻まれていた。
              


 


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