12-32 姫の騎士(1)





この世界から君を奪うもの、
その全てを
俺は許さない。

 

 

 


光の世界に響く君の声。
名を呼ばれた。


それだけで震えたのは
心だったのか
自分自身だったのか。


分からない程曖昧な境界線上にいるような浮遊感と、
限りなく研ぎ澄まされた神経が共存している。


瞬間的に音の無い世界が広がって
自分の鼓動と息遣いだけが鼓膜に響く。


神の手が時計の秒針に触れているかのように、
全てがスローモーションのように映る。


ずっと欲しかった君が
そこにいる。
そして君を奪おうとする手が
そこにある。


澄んだ泉のように広がるのは喜びで、
同時に突き上げるのは暴力的な衝動で、
二つが制御できない速さで全身を駆ける。


抗うようにもう一度自分に問い返す、
君を護ると言ったその意味を。
そうしなければこの衝動を止めることなんて出来ない。


君を奪うもの、
君を泣かすもの、
君を苦しめるもの、


全てを
破壊してやると。


トリガーに掛けた指先、
今この瞬間にも引きそうになる激情を力づくで抑え込む。


君を護る、
その誓いの意味は
ただ君を護るだけじゃない。

 

 

 

 


「答えろ。
投降するのか、
それとも――」

宇宙の息の根を止める程冷涼な声が響く。

「討たれるか。
選べ。」

画面に映し出された敵艦のブリッジの中央で、
恐らく艦長であろう空色の髪をした男が苛立ちを露にして画面を睨んでいる。
まだ視界を取り戻していないことを知っていながらも、アスランは冷酷に告げたのだ。

と、散っていたMSの内1機が動いたと同時にアスランは容赦なくファンネルを撃ち込み、

「動くな。
動けば破壊する。」

敵機は電源を落としたかのように動きを止めた。
アスランには離れたMS全ての動きが肌に触れるように見えていた。
それ程研ぎ澄まされた神経が放射状に広がっていた。

画面上では空色の髪の男が白んだ世界に現実を見たのであろう、
目元の手が滑り落ちた。
と同時に叫んだ言葉が
アスランの神経を逆なでした。

≪姫っ、何処へ行かれる。
我らと共にっ。≫

「笑わせるな。」

放たれた言葉、
それさえも切り裂く剣のようにアスランの瞳に鋭利な眼光が宿る。

「アスハ代表はオーブの姫だ。
貴様等には渡さない。」

剣の切先を喉元に突き付けるような気迫。
しかし男はシフォンのように柔らかな笑みを浮かべる、
その瞳には同じく剣のような眼光を宿して。
まるで姫に忠義を尽くす騎士のように。

≪まるで、姫の騎士気取りだな。≫

男は大儀を示すように
姿勢を正した。

≪我々の元へお越しになると、そう望んだのは姫ご自身だ。≫

“そうであろう、イザーク・ジュール。”と水を向けられ、
イザークは淡々と答えた。

≪確かにアスハ代表は貴艦へ向かうとおっしゃった。≫

イザークの言葉に頷き、その男はさらに続ける。

≪そして貴殿はこう約束したであろう、
“姫の望み通りにする”と。≫

イザークが“違いない”と頷くと、
男は正当性に裏付けられたような顔でアスランに告げた。
その表情はどこか憐みを向けるようでもあった。

≪姫は我々と共にあることを選ばれたのだ。
良いのか、アスラン・ザラ、
こちらに銃を向けること、それは即ち、姫に銃を向けることになるのだからな。≫

すると男は真っ白な手袋に包まれた手を宇宙へ差し出した、
カガリを乗せた救難ポットへと。

≪さぁ、姫。
我々と共に参りましょう。≫

そこにイザークの声が割り込む。

≪確かに我々は“アスハ代表のご意思に従う”と約束した。≫

男は微かに眉を寄せる。
イザークの言葉は確かに自分を擁護するものである筈なのに、

――この違和感は…。

否、違和感という言葉で片付けられない冷ややかな感触、
それはまるで、背中に突き付けられた銃口のような温度だった。
冷や汗が背に浮かぶより先に、予感は現実のものとなる。

≪故に我々はアスハ代表を渡すことはできない、
“アスハ代表のご意思に従って”。≫

冷涼なアイスブルーの瞳を細めたイザークとは対照的に
空色の髪の男は同じ色の瞳を大きく晒す。

≪貴様、何を言って…っ。≫

“お忘れか。”と前おいてイザークは続ける。

≪アスハ代表のお言葉はこうだ、
貴艦が“我が艦に危害を加えるのであれば”、と。
つまり、代表が貴艦へ向かう場合とは、貴艦が我が艦に危害を加える場合に限定される。
しかしこの状況で、≫

イザークに不敵な笑みが浮かぶ。

≪貴艦に何ができようか。≫

“もちろん、アスハ代表に救難ポットの回収の許可は得たがな。”と加え、
イザークは緩やかな弧を描いた口を閉ざした。

“そんな馬鹿な”と呟いて、男は声を張り上げる。

≪お戻りくださいっ、
姫っ。≫

遠ざかる救難ポットそれ自体にカガリの固い意志が表れているかのようで
男は打ち消すように首を振った。

≪姫、お聞かせください、
貴方様の声を、お言葉をっ。≫

 


救難ポットの中で、カガリは決して振り向かなかった。
彼等と話をしたい、
だが。
カガリは瞳を閉じる。

アスハ代表として、
オーブ軍に守られながら、
ジュール隊を巻き込んで。

今ここで一体、何が言えよう。
今のままの自分で、
彼等と何を分かり合えよう。


――今は、その時ではない。


落ちた沈黙、
その隔たりこそがカガリの答えだった。

 


空色の髪の男の表情に衝撃の色が微かに浮かんだ、
その瞬間をアスランは見逃さない。
衝撃から広がる微かなひびは
突けば一気に亀裂と化し
容易に崩し落とすことが出来る。

討つ時は今――

「これ以上の言葉は不要だ。
アスハ代表のご意思は既に示された。」

アスランはビームライフルを再度構える。

「貴艦にもう一度問う。
投降するか、
討たれるか、
選べ。」

しかし、尚も男は声を張り上げる。

≪姫っ。
我々の願いは、ガラスの天井を突き破ることです。≫

振り向かぬ背中と知っても、
声は、
想いは、
届くと信じて。

≪遮られた未来と
温室のような偽りの平和。≫

平和な未来を
誰よりも祈るカガリだからこそ、
聞き届けてくれるのだと、信じて。

≪今このままの世界では、
憎しみや哀しみに背を向け合う人々が
幸せを手にすることは叶いません。≫


彼の願いと想いには
真実だけが宿す熱で溢れていて、
言葉がカガリの胸を突き刺していく。
深く、
熱く。


≪自由への扉を開き、
世界を解き放つのです。
それを可能とするのは、姫、あなた様だけなのですからっ。≫

「黙れっ。」

アスランの怒号。
全てを薙ぎ倒すような声に
宇宙は打たれ静まり返る。



 


ルナは操作パネルに乗った手が震えていることに気づき、
咄嗟に両手を覆ったが目に映る揺れは収まらず、
漸く自分自身が震えているのだと理解した。

――こんなアスランを初めて見た。

頭で出された結論。
しかし彼女を震え上がられたのは紛れもなく恐怖だった、
アスランが放つ殺気への恐怖。

 

同時刻、
イザークを取り巻くクルー達にも同様の事が起きていた、
ただメイリンを除いて。
メイリンはモニターへ一瞬視線を移し、誰にも気づかれない程浅く頷いた。


――これ以上の言葉は、許せない。


アスランもそう思っているのだろうと、メイリンは思う。
何も知らされていないクルー達にFreedom trailの糸口ともなる言葉を聞かせたくは無い、
それは事実。


――でも、それ以上にアスランさんは…。


これ以上、カガリに言葉の矢を降らせたくは無かったのではないか。

メイリンは紅と敵艦を映すモニターから、
姉が抱えた救難ポットを映したモニターへと視線を転じた。


――きっと今、カガリさんは泣いている。
  誰かの想いを
  誰よりも感じてしまう人だから。


向けられた夢へ共に歩もうと
差し出された想い、
寄せられた信頼。
言葉の響きだけでわかる、
彼等にあるのは純粋な願い。
カガリはそれを
拒絶する他無いのだから。



        


 


←Back  Next→  

Top   Chapter 12   Blog(物語の舞台裏)