12-21 再会
何処の国にも属さない公空域を紅い閃光が駆け抜けていく。イザークとの通信を傍受され犯行グループに網を張られる蓋然性はゼロでは無いため、
アスランは細心の注意を払いながら最短距離を最大速力で飛ばした。
犯行グループは製造、保持及び使用を禁じられた兵器、ネビュラを散布し襲撃を仕掛けてきた事から
ネビュラを感知した瞬間から戦闘態勢に切り替える準備は整っていた。
だが、これまでの道程でネビュラは感知されず
また犯行グループはおろか誰とも何もとも遭遇せずここまで来た。目標地点は公空域とプラントの空域の境目。
警護のため定期巡回しているザフト軍との無用なトラブルを避けるため、イザークが指定したポイントだ。全ては順調に進んでいる。
座標をもう一度確認し到達予定時間を割り出した時だった、
モニターが微かに揺れた。
プロミネンスの爆発的なエネルギーに耐えられず機体が震動しているのだろうか。――不具合か、こんな時に。
コル翁と共にプロミネンスのエネルギーにも耐え
尚且つポテンシャルを遮ること無く発揮できるよう改良を重ねた結果が今の紅だ。
しかし、リミッターを解除した状態でこれ程長時間の飛行は製造段階の作動テストを含め数える程であり、
機体に不具合が生じる可能性は限り無く低くても否定は出来ない。一刻も早く君の元へ――
その想いと裏腹な現実に苛立ちを覚え
アスランは機体の状況を確認しようとパネルを操作する。
その指先が震え、的外れな表示が瞬く間に広がると同時に、
何かがおかしいと冷静な判断を下しながら視界は一気に斜めに沈み込む。
視線に従順に崩れ落ちる体勢、
それを支えようとグリップを握る拳に力を込める、
その筈がアスランは衝撃を受ける。
掌では体重を支えきれず肘から落ちた現実に体と思考が追いつかない。そして一つの結論が導き出される、
不具合をきたしているのは機体ではなく、――俺の方・・・なのか・・・っ。
その瞬間痺れるような頭痛に打たれた。
まるで遺伝子が粟立つような痛みは波紋のように全身に広がり、
空気を渇望するようにヘルメットのシェードを上げる。
コックピット内は最適な温度に保たれているにも関わらず
僅か数秒で噴出した汗が珠のように散っていく。声さえ上げられ無い痛みの中で
呼吸も鼓動も思考も、全てが混濁していく。その中1つだけ確かなことがあった。
――この痛みを、知っている・・・。
フラッシュバックする2つの過去。
重なりあう2つの声。――奴が・・・居るのか・・・っ
父と同じ声を持つ者が。
その問いの答えだと言うように機体の接近を知らせるアラームがけたたましく鳴り
画面には自動照合するライブラリの結果が点滅する。
“該当無し”その結果こそが証明している、
奴が来たのだと。――くそっ、こんな時に。
意識と共に霞む目で座標を確認すれば、所属不明のMSが一直線に近づいてきている。
莫大な広さを持つ公空域でわざわざ他国のMSと接触するような導線は先ず選ばない、
故に――奴の標的は俺だと見て間違いない。
肺が麻痺したように息が途切れても
アスランの思考は淀みなく進んでいく。目算して速度はジャスティスレベル。
キラとラクスの婚約レセプションが行われたあの日、
オーブ領海線上で遭遇したMSエレウテリアーは形状だけではなく性能もフリーダムに酷似していた。
故に燃料は核の可能性が高い。
ならばあの時ケイと共に現れた父の声を持つ男、
奴のMSも同様に核で動いていると考える方が自然だ。――厄介だな・・・。
白銀の閃光が宇宙に尾を引いた。
接触まであと1分。痛みに蝕まれていく肉体を振り切り
アスランは集中力を高めていく。カガリの救出を最優先とし、無用な戦闘は避けるべき事は分かっている。
現在のポイントであれば幾通りもの退路があり、
紅の速度であれば奴を巻く事だって不可能じゃない。
故に奴との接触を避けて後退する、
その選択肢はアスラン自身によって瞬時に否定される。アスランが戦闘を回避する可能性を奴が考慮しないとは考え難い、
むしろ、根拠の無い予感が確実さを持って告げている、
奴であれば目的遂行のために慎重を期し確実に仕留めると。――何かがある。
仕掛けられた罠に目を凝らすように
黒よりもなお深い漆黒の宇宙へ視線を流す。
しかし、煌めく星もコックピットに表示される画面も複視でしか捉えられない。
それならばと瞳を閉じて意識を研ぎ澄ませば、
可視化されない糸が幾重にも張り巡らされた気配を感じる。
それでも。アスランは瞳を開いた。
例えこの先にどんな罠が仕掛けられていたとしても
「迎え撃つ。」
それが君へたどり着く唯一の道。
紅の一閃が宇宙を切り裂いた。
「こちらはオーブ首長国連邦捜索隊隊長アスラン・ザラ。
プラントからの要請により航行中である。
そちらの用件を聞こう。」体の異変を微塵も感じさせない落ち着き払った声でアスランは呼び掛ける。
これが形式的な通信に終わる事が分かっていても。
最悪のシナリオが回避される可能性があるのであれば手を尽くしたい、
例えそれが限り無くゼロに近かったとしても。しかしアスランの予測はそのまま具現化する。
漆黒の宇宙に映える白銀の輝きを湛えたMSは
真っ直ぐに銃口を向けた。
迷い無き銃線は確実に急所を狙っている。「言葉は・・・、聞かないのかっ。」
通常であればビームライフルをかわすと同時にカウンターを撃ち込む筈が
近づくほどに強まる痺れに体は拘束され、
銃線を読んでかわす事しかできない。
アスランは胸の内で悪態をつきながら
戦意が無いことを示す信号弾を放つ。
その光を煌々と纏いながら、なおもMSは射撃の手を緩めない。――正確な射撃・・・っ。
冷えきった手を熱湯に浸けたように麻痺した感覚では繊細な操縦は不可能であり、
紙一重のタイミングでなければかわせない程に畳み掛けてくる。――まずい。
噴出した汗が一瞬で冷え切るような感覚の中、限界を超えた集中力で意識を定める。
標的、流れる動きのタイミング。
狙いを研ぎ澄ますアスランの瞳には二重にぼやけたMSしか写らず、
もはや目を凝らしているのか痛みに顔が歪んでいるのか分からない。これだけの攻撃を受けながらも、アスランはビームライフルを構えることはしなかった。
表向きは戦意の無いことを証明するためだったが、その内実は時間稼ぎであった。銃の構え、
そこから放たれる銃線、
狙い、
タイミング。その全てからアスランは相手のコンディションや意図を推し量ることが出来る。
しかしその能力はアスランだけが持つ特殊能力ではない。もしも相手も同じ能力を備えていたとしたら。
その予感は確信へと変わっていた。
これまでの様相から見て、相手はかなりの手練れであるが故の余裕さえ感じられる。
ここでアスランが不用意に発砲すれば、今の自分の状況を暴かれてしまうだろう。
だが、このまま攻撃を避けているだけでは状況は好転しない。故にアスランは戦意が無いことを示すというポーズを取りながら
次の一手に繋げるため相手の動きを観察していた。
肺が痙攣するように息が止まっても、
チリチリと疼く指先が操作を鈍らせても、
それを相手に悟られてはいけない。――隙を見せては一撃で討たれる・・・っ。
そんな相手だと、何故自分は確信しているのだろう。
実戦において最も排除すべきもののひとつが思いこみであることは、
幼少の頃から父に叩きこまれている。
なのに、今の自分はあまりに思いこみに忠実すぎる。
無数の仮説が浮かんでも、直感的に、まるでシナリオをなぞるように、
奴の特性も思考も特定してしまう。
何故――。
光の矢のような銃線を左翼に流し
間髪入れずに降り落とされる光の粒をシールドでいなし
相手の狙いを拡散させるように不規則な軌道を描く。肩を大きく揺らして息をする動きに合わせて視界が揺れる。
その端でハロがしきりに何かを告げているのが見えた、
しかし何を言っているのか分からない。
聴覚さえも狂いだした事しか分からない。グレーのMSは寒気を覚えるほど美しい軌道きながら距離を詰めた。
再びあらゆる無駄をそぎ落とした所作で銃が構えられる。クリアする程に難易度を上げていくゲームのように射撃の厳しさが増してくる。
それは満ち潮が砂浜の白さを奪うように、じりじりとアスランを追い詰めていく。アスランは相手からの攻撃をかわしながらも目的地の方角へと着実に歩を進めていた。
万全では無いコンディションのまま主導権を奪われれば
そのまま命まで持っていかれる。点滅するような意識の中で、
アスランはグレーのMSのパイロットに魂を引かれているような感覚に陥っていた。
相手に引きずり出されたのではない、
雨が大地に落ちるように引き寄せられる。――この感覚は…一体…
引き寄せられるほどに強まる痺れ、
それは細胞だけではなく心までも反応しているような錯覚さえ覚える。――こんな所で討たれる訳にはいかないっ
アスランがビームライフルを構えると同時に降り注いだのは声。
「アスラン、
お前は何の為に戦う。」声に撃ち抜かれ動けない。
記憶の中の声に、
現実の声に。――父…上…?
遠のいていく意識の中で記憶の中の声が
再び自分の名を呼んだ。
それは確かにこの鼓膜を震わせる。
細胞が内包する水分が一気に気化するように急速に体が冷え切っていき
同時にアスランの動きが止まる。幾つもの父の姿が折り重なるようにフラッシュバックする。
今が持つ強力な引力が、アスランの胸から過去を引き摺り出していく。――父上…
漆黒に浮かぶ白銀のシルエットが滲む。
そして初めて気付く、自分は泣いているのだと。意識と共に落下する機体に
アスランは身を委ねる事しかできなかった。漆黒に滲む白銀の光に
父の姿を見てしまうのは、何故――「軟弱者めが。」
向けられた銃口。
そこから伸びる予測線は、機体の急所を同時多発的に狙っているのが見える。「終わりだ、アスラン。」
向けられた銃口に赤い光が灯った。
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