12-20 白い花




胸の内を占めるのは大半の諦めと、目覚める感情。

――ステラ・・・。

細く小さな体
白い花のような笑顔
真綿のように無垢で
泉のように透明で
戦争から一番遠い所に居るべき、
そんな少女。

なのに戦火に巻き込まれ、
抜け出せない程に引きずり込まれ、
目の前で儚く散った命。

護りたかったのに、誰よりも。

シンは話をしなければならないと思っていた、ステラを知る彼と。
終戦から2年間――、ムゥと話をする機会が一度も無かったと言えば嘘になる。
実際にシンはディアッカを通してムゥにコンタクトを取ろうとした。
しかし、ディアッカから返された返答に、口をつぐむしかなかった。

“おっさんは、ムゥ・ラ・フラガとしての記憶と引き換えに、
ネオ・ロアノークとしての記憶を失った…それが検査結果ってことになってる。
お前、意味分かるだろ?“

今の医療技術でも記憶のメカニズムを全て解明することは出来ない。
故に、この検査結果は言葉の通りなのかもしれないが、
一方でひとつの仮説が立ち上がる。
検査結果は地球連合からムゥを護るために書き変えられたのではないか、と。
地球連合の裏の中枢にいた者がオーブに渡ったとなれば、
連合はやっきとなって口封じをするだろうことは容易に想像できる。
ここまでムゥが生き伸びていることが、彼がネオとしての記憶を失っている証拠のような気がして、
シンは自室にムゥを招き入れたものの、失望が胸の中でじわじわと湧き上がってきた。

――話はステラの事じゃない…、
  なら、残るはアイツの事だろ。

溜息と共にデスクの椅子に腰かけたシンがムゥに視線を向ければ、
彼は扉に寄りかかったまま変わらぬ表情を浮かべている。

「あ、ベッド、使っていいっすよ。」

動揺からおかしな敬語を発し、恥ずかしそうに視線を外したシンに、
ムゥは頭を振った。

「いや、手短に話すから。」

その一言だけで、シンはムゥが今の自分の状況を理解してくれているような気がした。
自己を脅かす他者、即ち敵では無い気がする。
ならば何者なのか、コイツは自分にとって。

「話は2つ。
先ずはカガリのこと。」

体はムゥの方へ向けたまま、シンは視線を滑らせた。
聴く、だけど聴かない、そんな態度にムゥは苦笑を漏らして続けた。

「別に今すぐじゃなくていいさ、
だけどいつか話をしてみろよ。」

――説教かよ・・・。

シンの口から洩れたあからさまな溜息。
しかしムゥは真顔で続けた。

「逃げたままじゃ、何時まで経っても終わらない。
終わらせる事が出来るのは自分自身、だけだ。」

シンは深紅の瞳を床に落とす。

――そんな事、分かってる。

何かを終わられるのも、始めるのも、自分自身でしかない。
世界が変わる事をどんなに望んでも、自分が動き出さなければ何も変わらない。
戦争を通して痛い程刻まれた真実を、シンだって理解している。
だが、

――分からない・・・。

アイツと何を話せばいいのか。
何を聴きたいのか。
何を終わらせたいのか。
そして、自分はどうなりたいのか。

「だから俺も、ここに来た。」

続く言葉の繋がりが掴めずシンは顔を上げた。
思考がムゥの言葉を聴き落としていたのだろうか。

「2つ目は、ステラのことだ。」

思わぬ形で目の前に現れた望みに、思わずシンは立ち上がる。
言葉は無い、しかし食い入る様な目がそれ以上に彼の想いを告げている。
しかしムゥは眉尻を下げて首を振った。

「すまない、お前が知りたい事は・・・多分答えられない。
ネオの記憶は曖昧なんだよ・・・。」

額を掌で押さえてムゥは続けた。

「元々、記憶を操作されていたんだ、
俺が覚えていることが真実かどうかは確証を持てない。
フォールスメモリーって可能性もある。」

ムゥの能力を戦士として利用するのであれば、
記憶を消すだけでは無く、記憶を蘇らせる糸口さえも抹消する事が望ましい。
そう例えば、偽りの記憶を植え付け、
疑念など入る余地等無い程に空白の記憶を塗りつぶす事だって考えられる。

シンは行き場の無い感情のままどうする事も出来きず苛立ちだけが渦巻く。
もしも目の前の男にネオの記憶があるのなら問いたい、
いや本心は、記憶が無くとも頭の中から引き摺り出してやるとさえ思っている、
あの約束を破った理由を。

ミネルバで保護したステラは、
あの戦艦の中では手の施しようが無く時とともに衰弱していった。
傍に居ることは出来ても、
戦火から護ることは出来ても、
ステラの命は護れない。
その事実を突き付けられ、
シンは自らの想いから手を引いて、ステラをネオに引き渡す選択をした。
あの約束と引き換えに。

『ステラを戦いに出すのはやめてくれ。
戦争のない、優しくて暖かい世界へ
ステラをかえしてやって欲しい。』

叶えられない願いを
託すしか無かった。

敵に想いを
渡すしかなかった。

『約束しよう。』

護られるかどうかも分からない約束を
ただ信じることしかできなかった。

無力な自分。

あの時の冷たい風の香りが
今でも鼻腔をくすぐる。

 

「でも、確かなこともある。
この感情に嘘は無い。
例え偽りの記憶から生まれた感情でも・・・な。」

ムゥの声で思考は途切れ、強制的に現実に引き戻される。
だからであろう、シンは無垢な瞳を向けた。

「ありがとう、シン。
ステラはシンと出会えて、良かったと思う。」

その拍子に弾けた感情。
シンはムゥから差し出された右手を叩き落とし、
胸ぐらを掴んだ勢いのままムゥを壁まで追いつめる。
ムゥの背中から伝わる衝撃さえも殺すように、シンは握りしめた拳に力を込めた。

「だったら何で・・・っ、何で約束を破ったっ。」

せり上がる感情がシンの喉元に詰まって、上手く声が出せない。
それでも構う事無くシンは言葉をぶつけ続ける。

「あんた、約束しただろう、俺に。
ステラをっ・・・、ステラを戦いには出さないって。
戦争の無い世界に、かえすってっ。」

胸ぐらを掴まれ歪んだムゥの表情に哀しみが差す。
いつもは読めない蒼い瞳が、静かにシンに語りかけている。
“その理由を、お前はもう分かっているだろう”と。
図星だった。
約束が護られなかった理由も、
ステラには戦い以外の選択肢が無かった理由も、
ステラの運命を決定づけた理由も、
みんな分かっている。
でも、どんなに子どもじみていても問わずにはいられない。
コイツに、
ネオに。

半ば八つ当たりのようにシンはもう一度ムゥを壁に打ちうけた。
ムゥを見上げるシンの瞳は、幼子のように濡れていた。
答える事が責任であると、ムゥは哀しい瞳のまま口を開いた。

「強化人間は、コーディネーターが存在し続ける限り戦う運命にある。
彼らにとって、争いの無い世界は死後にしか無い。」

ネオがシンから託された願いを叶える術は2つしか無く、それは相反するものだった。
ステラの命を護るために、戦争に身を投じさせるか、
戦争の無い世界へ返すために、ステラの命を奪うか。

今のシンには分かっていた、
約束が破られた理由が。

シンはうなだれるようにムゥの胸元から手を離すと
勢いのまま崩れ落ちる。
その腕を支えたのはムゥだった。

「それでもステラは、お前に出会えて良かったんだ。
戦争の中でしか生きられなくても、
お前という人間と、触れ合えたんだから。」

シンは自らの体を支えるように後ずさり、デスクチェアに身を沈めた。
還らぬ命の前で、
これで良かったとは言い切れない。
残された身でありながら、
これで終わりだすることも、
ましてや無かったことにすることも、出来ない。
今を生きるなら、それでも前を向かなければならない。
そんな現実の厳しさも残酷さも、
白い花のように散った命の前では小さく見える。
今を乗り越える力を、囁く様にくれるんだ。

ムゥはシンの頭に手を乗せた。

「ボウズ、これで終わりじゃない。
戦争が始まったんだ、また同じ事が繰り返されるかもしれない。」

顔を上げたシンに、ムゥは無言で示唆する。
2人目のステラが現れる可能性だってあるのだと。

「アウシュビッツを破壊して、それで負の連鎖が断ち切られる訳じゃない。」

いくら施設を破壊したところで、それは入れ物でしかない。
そこで成された全ては、人間が成したこと。
根底にある人間の欲望を、憎しみを、哀しみを、願いを、希望を、
言葉に収まりきれない感情を滅ぼすことなんて出来ない。
それは同時に希望と絶望を表す。
どんなに戦火に焼かれても立ち上がる人間の強さと、
どんなに焼きつきしても根絶出来ない、人間の負を。

「それに、これから戦争はもっと別の方向へ動くかもしれないしな。
その時俺たちは、何処で、何のために戦うんだろうな。」

シンには見えない何かを内抱した言葉に、シンは噛みつこうとする。

「おっさん、何か知って・・・」

しかし言葉が結ばれる前に、
ムゥからの思いがけない切り返しに間が出来る。

「レイって・・・、お前の仲間だったんだろ?」

何故このタイミングで、しかもこの男からレイの名前が出てくるのか、
答えを探そうにも不意に投げられた問いに思考は鈍り、
間を開けてシンは頷いた。

「・・・あぁ、学生の頃から一緒で、
ミネルバで一緒に戦って・・・。」

「あぁ、アスランから聞いてるよ。」

アスランから聞いたのは、ミネルバでの日々だったのか、
それともレイの最後だったのか・・・、
きっとそのどちらもなのであろうとシンは漠然と思った。

「で、おっさんは何でレイのこと。」

「おいボウズ、その“おっさん”ての止めろよな。
ディアッカといい、お前といい、生意気だなぁ〜。」

ムゥの言葉の端々から感じるおおらかな優しさとユーモアのセンスに、
シンの瞳が自然と緩む。

「じゃぁ、俺のことも“ボウズ”って呼ぶなよな。
ガキじゃあるまいし。」

ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるムゥに、シンは尖った声で先を促す。

「で、レイがどうしたんスか、“ムゥさん”!」

敬意を一切含まない敬語にムゥは笑いを噛み殺しつつ応えた。
それがあまりに自然だったから、シンは気付かない。
何故、ムゥがレイの事を問うたのか。

「や、どんな奴だったのか気になってさ。
俺も戦場で何度かやりあって・・・、アイツ、すげー強かったから。
写真とかねぇの?」

シンはタブレットに画像を表示させ、ムゥに手渡した。
そこにはザフトの赤に身を包み緊張した表情のシンの横に並ぶレイが映っていた。
涼やかな瞳と落ちついた立ち姿に凛とした印象を受ける。

「あぁ、これは丁度ミネルバに着任した時の写真。
ルナもメイリンも一緒。
で、これが・・・」

シンは一枚一枚、写真の解説をした。
当時の思い出が蘇り、自然と饒舌になっていく。

「これは学生時代。
レイはすっげー優秀で、いつも課題を手伝ってもらったっけ。」

仲間に囲まれたレイの表情には、シンやルナのような年相応の笑顔は無い。
だが、優しく細められた瞳に偽りの無い幸福が宿っているように見える。

「・・・お前ら、楽しそうだな。」

ポツリと呟いたムゥに、シンは曇りない笑顔を返した。
それが真実なのだろうと、ムゥは頷く様に瞳を閉じた。 


 


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