12-18 ここから見える未来
通信が切れるとブリッジにざわめきが起きた。
「隊を離れるんですか…っ。」
戸惑いの言葉には微かに不信感が混ざっている事にアスランは気付いていた。
言葉にせずとも向けられた幾重もの視線から同じ声が聴こえる。
何故今、隊を離れるのかと。
アスハ代表の捜索よりも優先すべき事などあるのかと。仲間にさえ真実を告げることは憚られる。
彼らを信用出来ないのではない、
カガリを確実に護るために。忘れ物を取りに行く、そんな理由で捜索隊を離れることにより彼らにどう思われるのか、
それを分かった上でアスランは平静の表情で告げた。「紅のスタンバイが出来次第、即刻発つつもりだ。」
否、アンリ以外には平静の表情にしか見えなかった。
アンリは、アスランが胸の内に留めた感情の存在、そこから伝う熱のようなものと
あまりにかけ離れた表情に寒気さえ覚える。
ここでアスランが隊を離れれば裏切られたと感じる者も出てくるだろう。「処分は免れませんよっ。」
「そうですよ。機密文書を失念し、おまけに隊長自ら隊を離れるなんて前代未聞です。」彼の身を思いやるような声に、アスランは覚悟に満ちたまなざしで応えた。
「どんな処分でも受ける所存だ。」
覚悟は揺るぎない分だけ突き放されて映る。
アスハ代表を必ず連れ戻すという覚悟、しかしそれが誰に伝わると言うのだろう。
その証拠に、彼らは陽光を失った花のように視線を下げていく。だが、アスランは知っている、
彼らが何を思っているかも、
彼らに掛ける言葉など無いことも、
そして、今自分がすべき事も。「捜索隊への指示は紅から出す。
だが、俺の不在で皆には迷惑をかける。
すまないがよろしく頼む。」そう手短に告げると、アスランは踵を返しブリッジを後にした。
残された者たちを振り返らず、真直ぐ前を向いて。
廊下に出ると移動用のバーにつかまりながら
アスランは手早くコル爺に紅のスタンバイを指示し、
続いて月基地に残るヴェンゲル副隊長に簡潔に用件を伝えた。
アンリを驚かせたのは、副隊長がアスランの申し出をすんなりと受け入れた事だ。
アンリはアスランの通信に耳を傾けながら、これもキサカ総帥の采配の結果なのかと感じた。
ヴェンゲル大佐は間もなく迎える定年までの残された時間を後輩たちの育成に注いでいる。
オーブ随一とも言われる経験の豊かさと仁徳を備えた大佐であるなら、
アスランを支えながらも彼の自由を阻害せず、むしろ有事の追い風になると、――キサカ総帥はそう考えて…
「一時的とは言え隊長自ら隊を離れることになり、申し訳ございません。」
“仕方が無いだろう、オーブの機密に関わる事なのだ。
それに、君が一時隊を離れただけで機能しなくなるような軟弱な隊でもあるまい。“「はい。」
アスランの自信に満ちた声に、ヴェンゲル副隊長の笑みが漏れ聞こえる。
アンリは、結ばれた信頼が可視化されたように思えて目を瞠った。“キサカ総帥には私から話をしよう。
だが、1つだけ条件がある。
君の忘れ物とやらを、後で私にこっそり教えて欲しい。“「はい、お約束します。」
その時、オープンスペースから出てきたマリューの姿を捉えた。
こちらの姿に気付いたマリューはおおらか笑みを浮かべて手を振っている。
アスランはそのままマリューの腕を引き、空いているミーティングスペースに身を隠した。
アンリに目配せすれば、“心得た”とばかりに頷いて扉を閉めロックを掛けた。
防音設備が施されたミーティングスペースではあるが
アンリが扉の前で見張りをしていれば情報が漏れる心配は無い。
情報漏洩を防ぐのであれば真実を誰にも告げずに発つべきなのだろうが、
マリューには伝えたいと思った。
愛する人がこの宇宙で生きていることを。「ちょっと、アスラン君っ。」
“何かあったの?”と緊張を孕んだ瞳は、向けられた微笑みによって一変する。
どこまでも優しい微笑みが全てを物語っているのだとマリューは悟った。「カガリさんが見つかったのね。」
「はい、恐らく。
ムゥさんも一緒です。」断言を避けながらも表情に確信を浮かべるアスランに、
マリューは笑みを乗せて問い返した。「どういうことかしら。」
アスランは先のイザークとの通信について簡潔に述べた。
「先程、イザークから連絡がありました。
俺がメンデル調査隊に服務していた時に“2つの忘れ物”をしたと。
それを取りに来いと言っています。
ですが、俺は忘れ物をした記憶はありません。」「それって・・・っ。」
アスランは微笑むように頷いた。
「忘れ物とはムゥさんとカガリのことを示していると考えて
間違い無いと思います。」喜びが音を立てて溢れるように
マリューは鈴の音のような笑みを零した。「それじゃぁ、アスラン君はとんでもない忘れ物をした事になるわね。」
少しおどけたマリューの言葉に
「はい、とても大切な。」
あまりに真面目に返すアスランの表情には隠しきれない程の愛しさが滲み出ていて
マリューは早くこの青年を宇宙に解き放たなければと思わずには居られなかった。――きっと、今すぐ駆け出したい筈だわ、
愛しい人のもとへ。“私達だってそうだもん、ね”と、マリューはそっと腹部を触れると
アスランに向き合った。――アスラン君は、単機で行く気なのね。
それがイザークからの指示である。
目的は、犯行グループにアスハ代表の生存を伏せたまま救出するため。――だけど…
アスランの力を考えれば、きっと彼はカガリを助け出すだろう。
それ以外の未来なんて想像できない。――そう、だけど、
おかしな事ばかり起きるから…。五月雨のように降りかかる想定外の連続の上にある今、
ここから見える未来にも想定外の雨が降るのではないか。「気を付けて。
ジュール隊に保護されているとは言え、安心は出来ないわ。」浅く頷いたアスランの表情から、彼もまた同じ警笛を聴き取っていた事を確信する。
ここから見える未来、
それを実現できるのはきっと、彼しかいない。「時間が無いのに、打ち明けてくれてありがとう。」
「この事は…。」
マリューは唇の前に指を立て、にっこりと笑って見せた。
「それにしても、いきなり腕を引っ張るんだもの。
びっくりしちゃったわ。」とマリューに指摘され、今までずっと腕を掴んだままだった事に気付き赤面しながら謝るアスランに、
マリューはウィンクしながら応えた。「いいのよっ。
ちょっと強引な方が、女はドキっとするものよ。」――だから時には、想いのままに動いたっていいのよ。
アスランは、そんなマリューの意図もそもそもの言葉の意味を解せずに
“はぁ”と首をかしげるように頷いて、
あまりにも彼らしい反応にマリューは溜息と共に笑みを零した。
と、扉が開きアンリが控えめに顔を出した。「コル爺から伝言です。
紅の発進準備が整った、と。」“わかった、すぐに向かう”そう言って律儀にも一礼しその場を離れたアスランを
マリューは目を細めて見詰めていた。
小さくなっていく背中に翼を見た気がした。
コックピットのシートに着き紅を起動させていく。
目を閉じていても出来る程繰り返した操作、その指先が微かに震えている。
モニター越しに飛ぶコル爺の馬鹿でかい声でオペレーターからの指示が聴こえない事も、
それに呼応するようにコックピットに据え付けたハロが騒ぎ出すのもいつもの事。
なのに。アスランは起動作業を完了させると、
胸の前で右手を左手で包み込むように握りしめた。
この震えが何処から来るのか知っている。アスランは瞳を閉じて静かに息を吸い込んだ。
――呼吸を止めるな。
鼓動を乱すな。
この胸に覚悟を。何故だろう、思い浮かんだのは亡き父の言葉。
幼い頃、射撃の指導をしてくれたのは他でもないパトリックだった。
あの時繰り返された言葉も、
叩きこまれた技術も、
この体に沁み込んでいる。この体の中で二重螺旋を描く遺伝子にはパトレックのそれも刻まれている。
その事実に思い悩んだ事もあった、
自分も父上と同じ道を歩むのではないかと。
だが今は違う。
アスランの呼吸は深く、
鼓動は穏やかに胸を打ち、
開いた瞳にはその覚悟が宿っている。「アスラン・ザラ。
紅、出る。」
彗星の雨を受けるように過ぎ行く景色の中で
リミッターを解除する手に迷いは無い。
宇宙を浴びるように瞳を閉じる。
その静けさとは裏腹に込上げる熱を覚ますように。
←Back Next→
Top Chapter 12 Blog(物語の舞台裏)![]()