12-16 動き出した時




メイリンが正式に復帰したその日、
艦長室に呼び出されたムゥとカガリは、
調査日程を引き伸ばしたとイザークから告げられた。

「まっ、仕方ねぇな。」

ムゥは髪をかきあげながら気持ちを切り替えるように応え、
続く様にカガリは頷いた。

「私も、異論ない。」

「すまねぇな・・・。
俺たちも、早く帰国させてやりたい気持ちはあるんだけどよ・・・。」

膝の上で組んだ手を見詰めながら、ディアッカは苦味を帯びた呟きを落とした。
情勢は刻一刻と悪化を辿っている中で、
アスハ代表の生還が遅れれば遅れる程、
オーブだけでは無く世界の綻びは確実に拡大していくだろう。
それだけ――

ディアッカは視線を上げる。
目の前にはザフトのエースパイロットだけが纏うことを許される
赤に身を包んだ女が目に映る。
あの華奢な体で世界を支える柱となってきたのだ、
ラクス・クラインと共に。

その肩の細さに、今の平和の脆弱性を感じずには居られない。
あまりに若すぎるアスハ代表が頼りないのでは無い、
男の掌よりも小さな肩に世界の平和を背負わせる、その構造が脆いのだ。
クライン議長とアスハ代表がいるかぎり恒久の平和がもたらされると疑わない
そんな世界が。

アイスブルーの瞳に鋭い眼光を湛えながら、イザークは静かに口を開いた。

「このまま、何の成果も上げられずプラントへ帰国すれば、
次にメンデルへ足を踏み入れられるのは何時になるか分からない。」

イザークは組んだ足を解いて立ち上がった。

「クライン議長不在の今、メンデル再調査など優先順位の候補にすら上がらないだろう。
“事”が起きれば、なおさら。」

これ程有能で計り知れないポテンシャルを持った部隊を
ザフトが泳がせておく筈は無い。
音を立てて傾きだした世界の中で、
最悪の選択を告げられる時はもうそこまで来ているとイザークとディアッカは踏んでいた。
間もなく、開戦を迎えると。

Freedomtrailの実現を求める輩がこの宇宙に存在している、確実に。
奴らが戦争の煙幕に隠れ、気づいた時には引き返せない場所まで来てしまったら――

『世界を砕く。』

アスランの言葉がしびれるように蘇り、イザークは奥歯を噛みしめた。

その前に、止めなければならない。
伸ばした手の先で奪われ続ける命を、
届かない己の手と
止められない哀しみを、
どうしようもない憎しみを、
もう見たくない。

そう、だから調査日程を伸ばしてまでも手を尽くす必要があるとムゥは理解していた。
だが一方で、もうひとつの懸念を抱いていた。
それはジュール隊が孕む亀裂だ。
シンもルナも、イザークとディアッカが追い求めている“何か”の存在に勘づいている。

――何も知らされず戦う事への拒絶反応。

先の戦争を通して胸に刻まれた傷が疼くだろう、
何のために
何と戦っているのか、
それを知らされず
それを理解せず
剣を持てば。

既にシンとルナの胸の内に巣食った違和感が膨れ上がる前に

――こっちも手を打たねぇとな。

ムゥの鋭い眼差しを受け、ディアッカは苦味を帯びた表情で肩をすくめた。
ディアッカも理解はしている、
ジュール隊内部の問題も、それが確実に根を伸ばしていることも。
ディアッカは瞳を閉じて細く長い溜息を落とした。

誰かを護るために秘密にして、
だけど、そいつを護るために秘密を明かして。

――自分の傍にいる奴から、
  あんな危ない代物を伝えていかなきゃなんねぇのかよ・・・。

シンとルナに告げる日は、そう遠くないかもしれない。
ディアッカはそのまま、カガリに作業工程を説明しているイザークに視線を流す。
心のどこかで覚悟していたその日を、はたしてイザークは許すだろうか。
誰よりも仲間思いの、アイツが。

 

イザークとディアッカが組んだ作業工程は、
復帰したばかりのメイリンの体を無視したように過密だった。
毎夜、ルナはメイリンを気遣い無茶苦茶な上司に対して小言を零したが、
当のメイリンは、ジュール隊の中でも秘密裏に進められていた
Freedom trailの調査に迎え入れられた事に感謝していた。

『頼りにしている。』

そう言ったイザークの眼差しは熱く、
本調子ではない体と心を案じていることが伝わってきた。
それ以上に、自分の能力が戦力として認めてもらえたことがメイリンは嬉しかった。
Freedom trailの恐怖を感じないと言えば嘘になる、
だがそれ以上にメイリンを突き動かしたのは、胸の内に萌芽した小さな火だった。
その火を使命と呼べるほど、自分の力を信じることは出来ない。
だけど自由への軌跡に続く血塗られた足跡が今も続いている、
それを知って立ち止ってはいられない。

――だって、みんな前に進んでるんだから。

同じ場所で作業をしながらも、遠く感じるイザークとディアッカの背中に追いつこうと
メイリンは必至で食い下がった。
だからであろう、メイリンが予想し以上のパフォーマンスを見せたのは言うまでも無い。

 

“私達は足を使うしなないだろ!”そう言いだしたのはカガリで
ムゥと共に気合いを入れ直した。
情報処理能力ではイザーク達には到底及ばず、
その方面では自分たちは役に立たないことは分かっていた。
だが、“強みだってあるぜ”そう言ってムゥは自分の鼻を指差した。
意味不明とカガリが顔をしかめると、ムゥはいつもの快活な笑みを浮かべて応えた。

「嗅覚だよ、嗅覚!」
「研究室の匂いを嗅ぐのか?」
カガリの天発言が炸裂し、ムゥは大きく掌を振った。
「違う違う!
危険かどうか、あやしいかどうか、嗅ぎ分けるんだよ。
そういう勘は、俺たち冴えてる方だと思うぜ。」

何ともムゥらしい、どこまでもポジティブな考えに引き寄せられ、
カガリは鈴の音のような笑みを零しながら頷いた。
“それに”と、ムゥはぐっと親指を立ててウインクした。

「俺たち、強運の持ち主だし。」
「だな!」

ハイタッチを合図に、2人は研究室へと駆け出した。

 

 

そして、当初の予定であればプラントへの帰路に着く筈だった日を迎えた。
この日もカガリはムゥと共に研究室を虱潰しに回っていた。
そのひとつは、メンデルに初めて足を踏み入れた時に訪れた
命の器が並ぶ場所だった。

魂が燃える時に輝くと言われる蒼い炎にも似た光が灯る人工子宮の列の間を歩けば、
カガリはケイと出会ったあの日を思い出した。

紫黒の瞳にの冷たい色彩に、胸が軋んだ。
何がケイを凍えさせているのか分からないまま、
あの小さな体を抱きしめた。
丸っこい瞳も直毛の髪質もキラにそっくりで、
涙でぬれた頬を上気させて見せた笑顔に
愛おしい未来を感じた。

――ケイ・・・。

靴音が高い天井まで響き、時を刻むように鼓膜を揺らす。
ふと足を止め、後ろを振り向く。
視線はそこに在る筈の無い影を追い、
馳せた想いを届けるようにポポが旋回した。
ムゥには心の機微が見えるのだろうか、
まるで肩を貸すような声でカガリに問うた。

「この部屋に、何かあるのか。」

“ムゥに言うべきだろうか”、そう思案するように視線を滑らせたカガリの肩に戻ったポポは
じゃれるようにカガリに頬を寄せる。
ポポのくちばしを撫で、カガリは独り言のように呟いた。

「ここで、ケイに会った。
メンデルに辿り着いた、あの日。」

ムゥは意識を部屋全体に広げ、耳を澄ますように気配を探る。
ここに自分たち以外いない事を確信し、カガリの横に立った。
カガリは俯いたまま言葉を続けた。

「ごめん、言えなかった。
ケイが見つかれば、必ず争いが起きると思った。」

瞼に浮かぶのは小さな手に握られた銃。
あの時、シンに見つかれば迷わずケイは引き金を引いただろう。
シンだけでは無い、他の誰と出会ってもケイは敵と認識し排除しようとしただろう、
自分にとって特別な場所へ土足で踏み込む者を。

ケイを見たとイザーク達に報告すれば
彼らの調査は格段に前に進んだであろうことも分かっている。
それでもカガリは事実を胸に仕舞い沈黙を選択した。
ただ、ケイを護りたかった。
あの小さな手が血で染まることを防がなければならないと思った。

と、笑みから零れるあたたかい溜息を感じ、カガリは視線を上げた。
するとあまりに自然に笑うムゥがいて、カガリは驚いた瞳を曝す。

「ケイ、かわいかったろ。
ちっちゃいキラみたいなもんだからな。」

気づかれない程さりげなく誰かを救ってしまう、
ムゥはそんな人だと、分かり切った事を思い知って喉が詰まる。
こじ開けるように出した声は少し掠れ

「あぁ、可愛かったぞっ、とっても・・・。」

ケイの無垢な笑顔を思い出し、
泣きたいような衝動に駆られて頬が震えた。

「もっと、話をしたかった。
でも、出来なくて・・・。」

宇宙を仰ぐように天井を見上げた。

「もう一度会いたくて
何度呼びかけても、応えてくれないんだ。」

この宇宙の何処かに、ケイはいるのだろうか。
誰かと一緒に笑っていて欲しいと心から思う。
真綿のように柔らかな心に憎しみや哀しみの影が落ちないように。

「会えなくて、良かったのかもしれないぞ。」

疑問と共に顔を向けたカガリに
ムゥは肩に手を置いて応えた。

「会えないって事は、今はここには居ないのかもしれない。
カガリにとっちゃ残念かもしれないが、
ジュール隊と遭遇する可能性は低くなる、だろ。」

ムゥの言うとおり、
今最優先すべきことはケイとジュール隊との遭遇を避けることだ。
もう一度会いたいだなんて私のわがままにすぎない。

雪が降った後のように冷たく澄んだ空気は
天井の向こうの宇宙まで透けて見えるようだった。
この宇宙の何処かに、ケイはきっと居るんだ。

「また、会えるよな・・・。」

祈りに似た呟きは
宇宙に吸い取られるように消えた。
その時だった、ムゥのインカムにイザークからの伝令が入った。

「どうした。」

とカガリが問えば、ムゥは微かに首を傾けながら応えた。

「や、今日はもう上がれって。
イザーク達も一旦戻るってさ。」

「まだ午後の調査の途中だろ。
何で今日はこんなに早く切り上げるんだ?」

一日も早くプラントへの帰路に着けるよう、日程をタイトに組んだのはイザークとディアッカだ。
他のクルーに気付かれないように、2人は深夜にも作業を行っていると聞いている。
残された時間は少なく、掴まなければならない物はあまりに大きく、
だからこそ僅かな時間さえも作業に費やすべきなのに。
いや、現に彼らは今までそうして行動してきたのに、

――今日に限って、何故・・・。

その答えは、あまりに残酷に突き付けられた。

 

 

カガリはイザークの指示通り艦に戻りコンファレンスルームの扉を開いた。
机を取り払った室内には必要最小限の人員を除いたほぼ全てのクルーが整然と並び
彼らは一様に正面のスクリーンを見詰めていた。
カガリとムゥはコンファレンスルームの下座となる壁際で肩を並べた。
と、誰かを探すようにルナが扉の方を気にしているのが見えた。
シンはこの部屋に来ていないのだろうか、
その瞬間、視線がぶつかったと思えばルナは瞳を伏せて前を向いた。

言葉を遮断するような緊張が体を圧するのを感じる。
空気が告げている、これから行われる事が何なのかを。

“開戦”の文字が脳裏を過り、
指先から体が硬直していくような感覚を覚えた。

規則正しい鼓動が遠く聴こえ
浅い呼吸が体を揺らし、
見開いた瞳の先に現れたのは
厳格な表情を浮かべたアイヒマン副議長だった。

開戦の決断は静かに告げられた。
言葉を一つひとつ置く様に語るその静けさを通して
プラント国民の胸の内で燃え上がる覚悟の音が
衝撃と共に聴こえるようだった。

ジュール隊には事前に本国からの通達により周知されていたのであろう、
背筋を伸ばしたクルーたちの背中に動揺は走らない。
この言葉を合図に、彼らはの眼差しは戦士のそれに変わる。

カガリは落ちていくような浮遊感の中で、チリつく指先をぐっと握りしめた。

ソフィアの建国式典で勃発したテロは、バルティカ国民による犯行であったと、
スペイス駐屯地の暴動は、もはや虐殺の域に達したと。

『それでもプラント国民は――』
スクリーンのアイヒマンの覚悟に満ちた声が、心を震わせる。

無辜のコーディネーターの命が奪われても直、
哀しみと苦しみに耐えてきたのだと。
全ては平和的解決のため、
テロの撲滅のため、
そして世界の平和のために、
我々は剣を手にするのだと。

アイヒマンの言葉に連なるプラント国民の覚悟の火が見える。
それは、続いた映像で高らかに燃え上がる。

厳格な表情のアイヒマンの背景に映し出されたのは
蒼いクレタの海に舞い降りたストライクだった。
その瞬間、室内は一気に高揚した空気に変わる。
ストライクは蒼く冷たい輝きを放ち、空も海をも切り裂く様に剣を振り下ろす。
そうまるで、英雄が舞い降りて
開戦という誇り高き道を切り開いたかのように。

見開いた琥珀色の瞳に蒼い翼が焼きつき、
哀しみに歪む。

――違うっ、キラは・・・っ。

カガリは緩く首を振り、唇を噛んだ。
キラはただ、愛する人を護りたいだけなんだ。
戦う理由は、いつもそれだけなんだ。

――なのにどうしてっ。

戦争の引き金にならなければならない。
キラの望みはただ一つ、

――ラスクに会いたい、それだけなのに。

覚悟の火を胸に燈した人々が
大地を揺るがす靴音を高らかに、争いへの道を歩み出す。

「どうして・・・っ。」

私はまた、争いを止められず、
憎しみと哀しみの連鎖を断ち切れず、
生まれゆく新たな連鎖を見過ごし、
突き進む世界を見ていることしか出来ないなんて。

落ちた呟きが、自らの心に突き刺すように告げられたことを知るのは自分だけである。
他の誰にも分からない、
そう例えば、彼には分からない。

「何も変わってないんだな、あんたは・・・っ。」

突き刺さる痛みに息を飲み、カガリは放たれた言葉の主へと顔を向ける。
そこには、扉にもたれるように立つシンがいた。
嘲笑に歪んだ口元に、
俯いた前髪の間から覗く瞳は紅蓮の炎の色彩を帯びている。
既視感が過る。
あれは先の戦争が始まる前、ミネルヴァの格納庫で向けられた鋭利な視線。
研ぎ澄まされた憎しみの刃を突き付けられ、過去と今が重なりあう。

そして、深紅の瞳にも既視感が交錯する。
幼さの残る声に乗る脆弱な理想論に頭の中が白光して
濁流のように押し寄せる感情のまま言葉を突き付けた、過去。
視線の先に見た女の細さが弱さが頼りなさが
どうしようもなく許せなかった。

あの日と同じ女を目の前に、
あの日と同じ感情に心は一気に染め上がる。
 
フリーダムの映像に高揚した室内で、シンとカガリを取り巻く空気だけが音を消した。

「話せば分かる、この期に及んでまだそんな事言いたいのかよっ。
死んでるんだよ、
殺されてんだよ今もっ、コーディネーターがっ。」

一瞬にして家族の命が奪われた、自分の目の前で。
記憶が憎しみを呼びおこし、胸に収まりきれぬ程激しく蠢く。
憎しみは風化されること無く純化され、瞬く間に心を満たす。
先の戦争で争いの虚しさも、憎しみに踊らされる愚かさも、
弱さが引き寄せる哀しみも、行き過ぎた力が引き寄せる哀しみも、
声を聴き人を信じる尊さも、痛い程知ったというのに。

迸る感情を制止出来るものなど何も無く
容赦なくアスハを撃ち抜く。

「力が無ければ、護れない。」

この手に力が無かったから。
この手に力があれば。
擦りきれる程繰り返した言葉。

「銃を向けられれば銃を構え、
撃たれれば撃ち返す。」

そうしなければ護れない命がある。

「だが、あんたは、銃を向けられても撃たれてもそれでも、
銃を捨てろって言うのかよっ。」

そんな命を
この目で見てきた、
声が枯れる程。

「死ねって言うのかよ、
くだらないあんたの理想論に従ってっ。」

激昂した感情、
止まらない憎しみ。
突き動かすのは、過去。
書き変えることのできない過去。
どんなにあがいても戻せない過去。

重なり合った過去と今に微かな違和感を覚える、
まるで乱視のように掴めないずれは
濁流のような感情に流されること無く爪を立て、波を立てる。

何かが違う、
それは向けられた眼差し――

強く迷わず真直ぐに立ち向かう
それはオーブの戦い方で、
光も影も海も大地も全てを包み込む
それはオーブの蒼い空で、

――なんでそんな目で見るんだよっ

振り上げた拳が打ち砕いたのは
皮肉にも今を否定しようとする感情だった。
今から過去が引きちぎられていく。
氷が砕け散る様な衝撃に一気に体が冷え切り、
その瞬間、体の奥底から突き上げる熱にシンは俯いた。
衝撃で麻痺した感覚でも分かる、
過去と今は違うと。

 

 

拳を突き上げる空気に混ざって微かにシンの声が聴こえた気がして
ルナは下座の扉の方へと視線を向け
「ちょっとっ。」
息を飲んで駆け出した。
何故ならカガリと対峙するシンが見えたからだ、
その表情は哀しい程冷たく歪んでいた。
先の戦争が終結してから一度も見たことの無いシンの顔に
痛みを伴う既視感がルナの胸を過る。

クルーたちの波を掻き分け、2人を止めに入いろうとした瞬間腕を取られ
バランスを崩した目の端でムゥを捉えると
ルナは勢いよく手を振りほどいた。

「どうしてシンを止めてくれなかったんですかっ。」

ルナの低く抑えた声が彼女の苛立ちを如実に表していた。

「あの2人には、必要な言葉だ。」

「でもっ、それでも傷つきます。
シンだって。」

きっとシンはまた2年前と同じように
カガリ様にひどい言葉を投げつけたんだろう。
言葉の数だけ軋んでいく自分の痛みを置き去りにして。

「憎しみの後に残るのは、哀しみだけだから。」

止まらない感情を吐き続け、残った体を満たす冷たい哀しみ。
そんなシンをずっとルナは抱きしめ続けてきたのだ。

「そう、だからルナが必要なんだろ。
あいつ、ピュアだからさ。」

少しおどけた表情で向けられた優しさに、ルナは目を細める。
肩に置かれたムゥの掌と眼差しのあたたかさに心は鎮まっていく。
不思議だと思う、
と同時に、私は子どもなんだと思い知らされる。

と、視線の先でシンが拳を振り上げた。
見開いたルナの瞳に映ったシンは青ざめた顔をして硬直した。
明らかに様子がおかしい。
糸が切れたように落ちた拳、
俯いた拍子に前髪に隠された表情、
代わりに現れた首筋が微かに染まっている気がするのは何故だろう。
そのままシンは踵を返し、扉の向こうへと姿を消した。

「え・・・。」

何が起きたのか理解できないと、瞬きを繰り返すルナにムゥは声をかけた。

「後で、シンのことフォローしてやってくれよな。
間違っても責めたりしたらダメだぜ。」

“だって、ほら”そう言って、ムゥが投げた視線の先には
優しい表情で扉の向こう側を見詰めるカガリがいた。

「カガリは嬉しかったって、思ってるんじゃねぇの。
どんな言葉でもシンと話せて良かったってさ。」

本来であれば、シンの行動は責められて当然のものだった。
きっとあの日と同じ辛辣な罵声を浴びせ、あろうことか手まで上げてしまったのだ、
オーブの代表首長に向かって。
しかし、目の前の彼女からは切りつけられたような痛みも怒りも感じられない、
むしろムゥの言葉のとおりとさえ思える。

――必要な言葉だとしても・・・

傷つかない筈がない、
罵声を浴びせられた方も、

そして
ルナは今は無い姿を扉の向こうへ想い描く。

――罵声を浴びせた方も・・・。

そうしなければ、
2人は言葉を交わすことさえ出来ない。
こんな風に言葉を交わさなければ
2人は分かりあえない。
太陽の下で笑い合うことだって、できない。
その切なさにルナは瞳を伏せた。

 

 

その時、スクリーンの中のアイヒマン副議長は静かに言葉を結び、
カガリは扉から再び前方へと視線を戻した。
地鳴りのような声と喝采に包まれながら
アイヒマンは厳格に口元を引き結び、剣を突き付けるような眼差しで前を見据えている。
我に続けと。

「どうして今なんだ・・・っ。」

カガリは乾ききった口内で呟いた。
一瞬にして何重もの既視感が降り注ぐ。
この言葉を、私は何度繰り返したことだろう。
バルティカで紛争が起きなければ、
私がオーブを離れなければ、
ソフィアでテロが起きなければ、
いや、その前にソフィアの独立が急速に進められなければ、
もっと前、ラクスが政界を離れなければ、
あの時、Freedom trailの片鱗が見つからなければ――

――これは本当に、偶然なのか・・・。

重力に従順に下がった視線に映り込む紅の色彩が
まるで今の自分の立ち位置を表している気がして
カガリは瞳を歪める。
異なる夢と正義の蓑に隠れて居なければ息も出来ない自分に
今何ができると言うのか。

争いの道を選んだ世界を前に、
国家元首でありながら祖国のために声を挙げることさえ出来ない。

新たな戦争の英雄として担ぎあげられた半身にも
一人で平和の歌を歌い続ける親友にも
そして宇宙を駆ける彼にも、
何も出来ない。

――私はっ・・・。

自分への憤りに震える体を押しつぶすように
カガリは爪が食い込む程に拳を握りしめる。
その瞬間、血の気も感覚さえも失った拳を優しく包み込むような声がして
カガリは顔を上げた。

――どうして・・・。

何度も繰り返した言葉が
喉を詰まらせ息を止める。

“みなさん、ごきげんよう。
わたくしは、ラクス・クラインです。
今日も平和の歌を届けます。“

澄んだ泉のような旋律に
何故だろう、哀しみが薫る。

アイヒマンの演説に
クレタに舞い降りたストライクの映像、
そこに重なる平和の歌は
まるで、ナチュラルによって命を奪われたコーディネーターに捧げる
レクイエムのようにさえ聴こえてくる。

――違う・・・。

カガリは緩く首を横に振った。
ラクスが開戦を望む筈がない。
もし開戦が避けられなかったとしても、
ラクスなら平和の歌を世界に捧げる筈だ。
コーディネーターだけでもない
ナチュラルだけでもない
遍く人々へ捧げるはずだ。

なのに。

奏でられる旋律はコーディネーターの傷に優しく手を当てるような癒しの響きであると同時に
傷の所在を明らかにしている。
何時、誰に付けられた傷なのか。

カガリの頬を涙が伝う。

――なぁ、ラクス。
   ラクスは今、何処に居るんだ。

――今、何を見ているんだ。

――私達の声は、聴こえるか。

――それとももう、忘れちゃったのかよ。
   ラクス。

親友の名を呼ぶその声は唇に乗る事は無く
ただ静かに涙と共に落ちるだけだった。


 


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