12-15 卒業




「あ〜、おいしかったぁ。」

思いの外響いた自分の声に驚いて、メイリンはとっさに口元を押さえ、
ルナと目が合った拍子に
2人同時に笑い声を上げた。

呼吸をするたびに
瞬きをするたびに、
取り戻していく。
今という時、
今を生きる自分、
共に生きる喜びを。

「さ、メイリン、
次はどうしたい?
疲れたなら、休んでもいいのよ。」

するとメイリンは、肩に掛った髪をつまみ上げ
眉尻を下げて笑った。

「お風呂・・・入りたいな。」

何とも彼女らしい言葉にルナは笑みを深めると
勢いよく立ちあがった。
行動派らしい姉の姿に、分かっては居ても驚いてしまう自分がなんだか可笑しくて、
胸の内をくすぐられるように笑いがこみあげてきた。
手早く片付けを終えると、手を引かれた。
懐かしい感覚が吹き抜ける。
ワンテンポ遅れて体が揺れた。
過去から今に追いつきたくて、
繋いだ手に力を込めて立ち上がった。

 

 

――そろそろだな。

ルナとメイリンの食事が終わったであろう頃合いを見計らって
カガリはキッチンを出た。

思い出すのは、アスハ邸の庭で
キラとラクスと
アスランと、
みんなで一緒に食べた朝食。

Freedom trailの全てを越えて
暁の世界で真実を見つけて、信じて、
アスランと約束を結んで。

昨日と地続きの今を、未来へ歩き出した先に、
キラとラクスが待っていてくれて。

4人で囲んだ朝食は
きっと人生で一番
おいしくて、嬉しくて、楽しくて。
なのに、
味わいたいのに喉が詰まって
笑っていたいのに泣きたくなる自分をどうすることも出来なくて、
潤んだ瞳を隠すように瞬きを繰り返した。

当たり前の時が放つ素朴で尊い光を胸に刻もうとする、
その度に過る痛みにさえ
幸せを感じた、あの時。

 

角を曲がり、医務室が見えた。
扉の向こうは幸せの時で満ちているのだろう。
ノックしようと上げた手が止まる。

――邪魔・・・しちゃうかな。

躊躇したまま中途半端な位置で手を止めて
“う〜”と小さく唸ったカガリの背後で物音がした。
振り向けは、いくつかの視線とぶつかり、それらは一瞬で物陰に消えた。
恐らくジュール隊のクルーたちがメイリンの顔見たさに医務室の前で張っていたのであろう。

――気持ちは分かるが・・・。

カガリは盛大な溜息をつくと、
腰に手を当て声を張り上げた。

「お前ら、持ち場に戻れ!
女の子の寝室を覗く奴は、私が許さないからなっ。」

四方八方に散っていくクルーたちの背中を見送って、
“女の子は誰しも、寝起きの顔を見られたくないことぐらい
想像がつくだろうに“
そう呟いて、カガリは扉をノックした。

開いた扉に体を滑り込ませ、扉が閉まるのを目で追ってから、
ほっと息を落とし向き直った。
すると、きゅっと手をつないだ姉妹がそこにいて
無条件の安堵が胸に広がった。
幸せは、
幸せになるだけで終わらずに、
それを見た者さえも照らす。

「トレーはそのままでいいぞ、
私が片付ける。」

さりげなくトレ―を持ち上げ踵を返したカガリの腕を
ルナは勢いよく引いた。
思いの他強い力に、トレ―の上の食器が大きく揺れた。

「あっ、ごめんなさいっ。
でも、それ、私達が片付けますから!」

食器の音がさらにルナの焦りを煽り、
背後では、メイリンが頬を上気させながら“うんうん”とうなずいている。
そんな2人の心は、続くカガリの言葉によって思わぬ方向へとさらわれる。

「かっわいいなぁ、もう。」

常夏の風のように爽やかな声に
向けられた流し目。
高鳴る胸に驚くよりも先に、頬があまりに素直に染まった。

――わっ私には、シンだっているのにっ

――カガリ様は女の子なのにぃっ

制御不能な鼓動を置き去りにして、2人が導き出した結論は1つ。

――カガリ様が男だったら、
どんな女子でも絶対、惚れるっ。

そんな2人の思考を置き去りにして、
あまりにあっさりとキッチンへ戻ろうとするカガリを引き戻したのは
やはりルナで、

「カガリ様っ、
片付けが済んだら、お手すきになりますよね。」

「あぁ、予定は特に無いぞ。」

「じゃぁ、私達とお風呂に入りませんか?」

カガリの思考が停止した。

――お・・・ふろ・・・?

頭の中でリフレインする言葉を聞き直すように2人を見詰め返せば
満面の笑みを浮かべるルナと
“お姉ちゃんっ!”と言いながらルナの袖を引くメイリンが映った。
この状況から導き出された答えは一つ、
聞き間違えでは無いらしい。
カガリは慌てて首を振った。

「やっ、私は完全に邪魔者になっちゃうだろ!」

カガリの声に、ルナの口角がニヤリと上がる。
カウンター攻撃は得意だ。

「“邪魔者”ってコトは、
邪魔にならなければ、お風呂に入るのはOKってコトですよね。」

ルナの声に、カガリは素直に頷く、
既にルナのペースに飲み込まれていることを知らずに。
メイリンはルナの背中からハラハラしながら行く末を見ていた。
カガリ様と一緒にお風呂に入れたら嬉しいけれど、
そもそもこんなお願い、図々しいにも程があるのではないかと。
しかし、返されたカガリの言葉はメイリンの想像とは異なるものだった。

「そりゃ、みんなでお風呂に入ったら楽しいけど・・・。
今は2人で、たくさん話がしたいんだろ。」

メイリンは向けられた優しさの奥行きに息を飲む。
“知っている”と、直感したのだ。
Freedom trailの白い闇を越えた先、
そこで迎えた時の煌めきを。
どれ程尊い時間だったのか知っているから、
それを大切にできるように、配慮してくださっているのだと。

――カガリさまは、誰と、どんな時をお過ごしになったのかしら・・・。

しかし、ルナはカガリの優しさに気づいても、
奥行きまでは見ることも、感じることも出来ない。

「大丈夫です!」

晴れ渡った空のように明るい声がして、メイリンは現実に引き戻された、
と同時にルナに強く肩を引かれた。

「カガリ様と話がしたいと言い出したのは、実はメイリンなんです。」

“ねっ。”と、背中を押すようにウインクするルナに、
メイリンはおずおずと頷いた。
そっとカガリの方へ視線を滑らせれば、
真直ぐに向けられた眼差しに鼓動が高鳴った。
“大丈夫か”と、案じてくださっているのが分かる。
陽の光に照らされたように、胸の内があたたかくなる。
この誠実な優しさに返せる言葉を、メイリンは信じて唇に乗せた。

「もしよろしければ、私達と一緒に。」

向けられた優しさに返せるものは、
その優しさを心から受け止め、自分の意思を示すことだ。
メイリンは無意識に胸元に手を置き、
高鳴る胸を押さえてカガリの応えを待った。
と、一瞬、カガリは眉尻を下げて笑ったように見えた。
“メイリンは、強いな”、
そう言ってくださった時も同じ目をしていたような気がして、
思わず“あっ”と声が漏れた。
が、次の瞬間にはひまわりのような笑顔が咲いていた。

「ありがとう。」

 

 

これ程までに尻尾を掴ませない相手に、2人では戦力が少なすぎると
イザークとディアッカは感じていた。
この場にキラかアスランが居れば、違った結果が見えたかもしれない。
そんな中、メンデルの調査日程が終盤にきてメイリンが目覚めたことは
ある意味好機であると2人は捉えていた。
これまでの評価されていたメイリンの情報処理能力は、
彼女の持つ力の、ほんの一部だったのではないか。
もしも、彼女の能力を最大限に引き出すことが出来れば、
俺たちは歩みを進めることが出来るのではないか。
これ以上、1秒たりとも待つことの出来ない時の中で、
確実な一歩を。

「こんな感じで、どう?」

ディアッカは再編成した工程をディスプレイに映しだした。

「カガリには悪いけど・・・、日程を延期するしかねぇだろ。」

本来であれば、あと数日で予定していた全ての工程を終了しプラントへの帰路につく筈であった。
ここで切り上げれば、傾きだした世界情勢の中で、
再びメンデルで腰を据えた調査が出来るか分からない。
全貌を暴くことが出来なくとも、再調査の大義名分となる程度の何かを掴んで帰らなければ、
ここへは戻ることは容易ではないだろう。
確かに奴等は存在し、そしてそれはメンデルに深く関係していることは
確たる事実であるのに。

イザークは振り切るように息をついて頷いた。

「復帰上がりでキツイとは思うが、メイリン・ホークには耐えてもらおう。」

ディアッカが組んだ工程は、メイリンの体調を配慮したゆとりあるものでは無く、
通常任務を倍速でこなさなければならない程、詰まったものだったが、
耐えてもらわなければならない。
それはカガリとて同じことだった。
オーブで待つ民のために、
そして、魂を削り続けているであろう戦友のために。

と、その時だった。
艦内放送を告げる鐘の音が鳴った。
イザークとディアッカは艦内放送の許可は出しておらず、
顔を見合わせ、流れ出した声に吹き出したのはディアッカだった。

≪艦内のクルーのみなに連絡する。≫

張りのあるカガリの声が、艦内に響き渡る。

≪これからメイリンが医務室を出てバスルームへ向かう。
今から5分間は、医務室からバスルームまでの導線に立ちいることは控えてくれ。≫

メイリンの目覚めに艦内のクルーたちは素直に喜んだ。
一時でも早く彼女の顔が見たいと思う気持ちは理解できるが
それは一方的な感情であることに気付けない者たちが多い。
現に、ストーカーまがいな行動にではじめた輩もいる。

――全く、乙女心が分かってねぇな。
   だから、あいつらはモテねぇっんだつーの。

だが、カガリの頼みとあれば聞かない者はいない。
恐らく、全てルナの段取りなのであろう。
ディアッカは彼女たちの配慮に礼を述べるように瞳を閉じ、
次の作業に入ろうとした手が、続く言葉で止まった。

≪もちろん、覗きもダメだぞっ。
もし覗くような奴がいたら、ディナーのメイディッシュは抜きだからな!≫

ディアッカの爆笑が響いたのは言うまでも無い。

 

 

「あ〜、気持ちいぃ〜。」

浴室内に思いの外大きく響いた声に、メイリンはとっさに口元を押さえ
そんな仕草がおかしくて、カガリとルナは笑い声を上げた。
無防備になったのは体だけじゃない、
心のままの想いがすんなりとメイリンの口をついた。

「あの・・・カガリ様、
色々と、ごめんないさい。
そして、ありがとうございました。」

上手く言葉には出来なかった、
だが、言葉以上の感情がカガリには伝わっていた。

「気にするなよな。
と言うか、私は特別な事は何もしてないし。」

少年のようにさっぱりとした応えに、メイリンは微笑みを返した。
この感謝の気持ちを全部言葉にして伝えることは出来ないから、
ずっと大切に覚えていようと胸に刻む。

それがメイリンにとっての区切りだったのであろう。
何かを乗り越える度に視界が開けるように、見えてくるものがある。
メイリンは本質に触れることを分かっていて、疑問を投げかけた。

「あの・・・、どうしてカガリ様がジュール隊にいらっしゃるんですか。」

“どこから話せばいいかな・・・”そう言って、カガリは湯船の水面に視線を滑らせ、
ルナは引き継ぐように、簡潔に応えた。

「カガリ様は宇宙で遭難されて、
偶然メンデルの調査を行っていた私達の隊に保護されたの。」

「遭難って・・・。」

メイリンが受けた言葉の衝撃は
そのまま水音になって響く。
カガリは彼女の反応から、メイリンは眠り続けていた間に起きた事を
事実として認識していなかったのだと判断し、
瞳を合わせて問うた。

「眠っている間に起きたことを、話してもいいか。」

言葉を置く様な声で告げられ、メイリンは意思を持って頷いた。
緊張の文字を貼り付けたような表情のメイリンに、
カガリは軽やかな笑顔を向ける。

「と言っても、私が知っているのは
ザラ准将から受けた報告と、私が見た断片的なことだけだぞ。」

「お願いします。」

そう言って、メイリンは前のめりになった拍子に頬に張り付いた髪を耳に掛けた。

 

 

――私は、
なんて遠くまで来てしまったんだろう・・・。

静かに語られるカガリの言葉を聞きながら
メイリンは想う。
言葉に嘘も誇張もなく、これが現実なのだと
口を引き結んだルナから伝わってくる。

眠り続けた自分の弱さと
そんな自分への憤りが
音も無く胸を満たしていく。

傾きだした世界を瞳に映しながら
何もしてこなかった。

――私は今、ここで生きているのに。

生きる意味も
その尊さも、
今なら分かる。
眠りに落ちたあの時よりも
ずっと強く感じる。
ずっと大切に想う。

だから。

 

「あの、キラさんは今、どうしているんですか。」

カガリは意外だと思った。
これまでの出来ごとを聞いて、メイリンが最初に投げかけた問いが
キラに関する事だったからだ。
ラクスを乗せた移送機が襲撃され、
キラを隊長とし、懸命な捜索活動が続けられていることは既に話した。
メイリンが聴きたいのは、そんなことでは無いのだろう。

まるで、キラの心に手を伸ばすような声で
切実さを滲ませた瞳が真直ぐに見詰めてくる。

きっとキラとの間に何かあったのだろう、
そしてそれは、眠り続けた間もずっと、
メイリンの胸を刺していたのかもしれない。
カガリはキラに想いを馳せて、応えた。

「きっと、キラは今、泣いている。
ラクスの名を呼びながら、
一人で、ずっと。」

メイリンはキラの哀しみに共鳴するように視線を伏せ、
ルナは息を飲み痛ましく表情を歪めた。
2人の反応がこれだけ異なったのは、
メイリンだけがキラの弱さを知っていたからだ。
ラクスの剣となり平和を切り開いた英雄としてのキラ、
それがプラントに浸透したキラのイメージであり、
現にラクスと共にあればキラはどこまでも強くなれた。
故に、あまりに繊細な彼が持つ脆さも弱さも知る人間は、限りなく少ない。
だが、メイリンはそんなキラの側面を見ていた。

メンデルで、言葉にならない程の哀しい事故が起き
絶望に身を浸したままプラントへ帰国した、あの時。
精密検査を受ける前の、ほんのわずかな時間。

――あの時、どうして私達は
   出会ってしまったのだろう・・・。

キラを見て、メイリンは糾弾せずにはいられなかった。
メンデルで成された全てを、
許されない罪も、
果て無い憎しみと哀しみも。

『どうしてっ!!
どうして、生まれてきたのよっ!!』

憎悪に歪んだ、自分の顔が見える。

 『あんたがっ、いるからっ!!
 沢山・・・っ、みんな死んだのよっ!!』

肺が潰れる程の声が
聴こえる。

『なんで、生きてるのよっ!!
今もっ!!』

メイリンが放った問の刃は
無防備なキラの胸に深く突き刺さり
なおも畳みかけるように放たれ
キラを闇へ突き落した。
息の根を止めるように、
Freedom trailが奏でる鼓動を、
消すように。

――追いつめたのは、私・・・。

心臓を素手で握りつぶすような生々しい感覚を
今でも鮮烈に覚えている。
医務室を漂う薬品の匂いも、
瞳を刺すような白い壁も、
凍てついた空気の質感も、
絶望に染まったキラの瞳も、
全て。

――今、私が、

愛してやまないこの世界で
生きたいと願う私に出来ること。

ずっと考えていたその問いの答えは、
本当はずっと胸の中にあった。
躊躇う、そんな自分を今なら抱きしめて
歩むことができる。

私は、
真実を信じる勇気と
信じ続ける強さを持つと、
誓ったから。

 

 

バスルームを出てロッカーの扉を開く。
メイリンは、ルナが用意したピンクのサックワンピースではなく、
その下に置かれた制服を手に取った。

「そうすると思った。」

隣から聴こえたルナの声に、
メイリンは制服を見詰めたまま微笑んだ。

袖を通すだけで背筋が伸びる。
誇りを纏う、その言葉のとおり。

鏡の前に立ち、襟元を整えた時、
初めてザフトの制服を着た幼い頃の自分を
鏡の中に見た気がした。
真新しい制服に心を躍らせた私の後ろに立ち、
髪を結ってくれたお姉ちゃん。
その瞬間、あの頃と今が重なり合う。

「今日は私が結ってあげるね。」

あの頃と変わらない志がある、
だけど、あの頃とは違う想いがある。

艶やかな髪を丁寧にまとめていくルナの手に
メイリンは触れた。

「お姉ちゃん、いいの。」

「メイリン・・・?」

メイリンは手際よくハーフアップにして髪を結い
制帽を被ると、ルナの方へ向き直った。

「ツインテールは、卒業したの。」

そう言っておどけたように小首を傾げたメイリンが
ルナには昨日よりずっと大人びて見えた。

そんな2人のやり取りを、カガリは静かに見守っていた。
この場に居合わせられたことへの感謝の気持ちが胸を満たした。


 


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