12-14 煌めき




艦長室に辿り着くと、イザークはカガリに向き直り
深々と頭を下げた。

「礼を言う。
部下を救ってくれたことに、感謝する。」

驚いたカガリはイザークに詰め寄り、

「よせって。
顔を上げろよ、な。」

そう言ってイザークの姿勢を正した。
未だ気持ちが収まらない顔をするイザークに、
カガリは“何と律儀な男だろう”と想う。

「俺からも、
ありがとな。」

ディアッカから差し出された手に、カガリは握手で応えた。
が、肝心の彼女は困ったような表情を浮かべて首を振った。

「礼を言われても…、
私は本当に特別な事は何もしてないんだ。」

「でも、話してくれたんだろ。」

ディアッカに問われ、カガリは微笑むように頷いた。
それを見届けて、ディアッカはコーヒーを淹れようと背を向け、
イザークとカガリはソファーに腰を下ろした。
聞かなければならないのは、その先だ。

「メイリンは、何処まで知っている。」

アイスブルーの瞳が本題に切り込む。
言葉の背後に見えるメイリンの強さへの信頼に目を細め、
カガリは応えた。

「恐らく、ほぼ全て理解していると思う。
キラの出生のことも、それがキラであることも、
そこで生まれたナチュラルの存在も知っていたから。」

イザークは驚きに眉を寄せた。
アスランの報告から判断して
メイリンがメンデルでFreedom trailの情報にさらされたのは、ごく短い時間であった筈だ。
あの短時間でスーパーコーディネーターの誕生だけではなく、
それをキラ・ヤマトと特定出来たのであろうか。
そうであるなら

――メイリン・ホークは、想像以上に情報処理能力に長けていた、
   そういう事か…。

「それから、私から話したこともある。
キラと私が、血を分けた双子だと。」

ディアッカはカガリの前にコーヒーを置きながら
“なるほどね”と、呟いた。
それに反応したイザークの視線に応えるように、
ディアッカは2人分のコーヒーを手に持ち、ふっと笑みを零した。

「なんでメイリンが目を覚ましたか、分かったんだよ。
ルナでも無い、ドクターでもない、
なんでカガリだったのかって事がさ。」

コーヒーを受け取るイザークを横に、ディアッカは続けた。

「同じ宿命を背負った人間に、
コーディネーターではないナチュラルに、
共感され、受け止められたと思ったんだよ、
メイリンは。」

イザークはコーヒーカップを傾けると、
思案するように視線を流した。
確かに、メイリンの目覚めにはカガリの出生の秘密を明かすことが必要だったのだろう。
だが、恐らく目の前の女は、

「メイリン・ホークに、口止めはしたか。」

「いや。」

人に対して誠実すぎる、
何処かの馬鹿と同じ位に。
心に傷を負った人間には、人として話をするのだろう、
見返りも、その後自分に降ってくる火の粉もかえりみず。

イザークはふっと息を吐き出した。

「メイリン・ホークが軽々しく他言するとは思えないが、
念のため、手は打たなければな。」

「その事、なんだが。」

カガリの声にイザークは顔を上げた。
続いた言葉は、意外な提案だった。

「ルナやシン、それからあの場にいたヴィーノ、
本当はクルーのみんなにも、
明かした方がいんじゃないかとも、思うんだ。」

想いを紡ぐように語るカガリの声に、イザークもディアッカも驚きの声は上げなかった。
Freedom trailが世界に暴かれた時、
自分自身を失わず
正義と夢を見誤らず
動ける力が必要になる。
カガリの遺伝子を狙い、現実的に行動に出始めた輩が存在する以上、
蓋然性は高まっていると言わざるを得ない。

「いつか、時が来たら…
みんなには、真実を伝えて欲しい。」

メンデルで成された忌まわしい過去も、
止まらない哀しみと憎しみも、
幻惑する様な輝きも、
その先にある未来も。

真実を信じる勇気も、
信じ続ける強さも、
生きる覚悟も、
一人では抱けない、叶わない。

だから。
もし、時が来たら。
時が、来てしまったら。
真実を告げて欲しい。
世界を壊すためでも、
誰かの命を奪うためでも、
コーディネーターの栄華のためでも無い。
ただ、護るために。

「そして、ジュール隊のみんなには、
生きて、戦い抜いてほしいんだ。」

威光を宿す瞳を真直ぐに向けるカガリにイザークは思う。
この女はオーブの代表首長でありがなら、
世界を護るために魂を削り続けているのだと。
それだけじゃない、偶然出会ったこの艦の全ての人間を、護ろうともしている。

――だが・・・。

彼女が護ったジュール隊が戦い抜き、
世界を護ることが出来たとしても、

――お前を護ることが出来るのか、
   オーブは、
世界は、
アスランは・・・。

胸に浮かんだ問いに答えは出ず、
イザークは瞳を閉じて応えた。

「時が、来たらな。」

その時が来ない事を願いたい、
だが、それを拒むのは決して鋭くは無い勘だった。
積み重ねた経験に裏打ちされた予感が警鐘を鳴らす。
ディアッカに言わせれば鈍い自分の勘を、
これ程恨めしく思ったことは無かった。

 

 


だんだんと呼吸が落ち付いてきたメイリンの背中を撫でながら
ルナは懐かしさに目を細める。
何度こうして、メイリンをなぐさめただろう。

幼い頃、一緒に公園で遊ぶといつも転んで

――大泣きするメイリンを、おぶって帰ったっけ。

本当は重くて手がしびれちゃったけど
メイリンを護るのが私の役目なんだって、やせ我慢して。

内気なメイリンはクラスの男子によくからかわれて
涙目で俯くメイリンの前に立って

――バカ男子を追い払ったっけ。

手を引いて、いつも後ろから付いてくるメイリンを
私が護らなくちゃいけないと
幼い頃から思っていた。
でも、それだけじゃないと気付いたのは、先の戦争の時。
メイリンが自らの意思で、自分の正義を示した姿に、
もう護られるだけの存在じゃないと気付かされた。

――違う、私はもっと前から分かっていた。

過去の自分を省みて、ルナの表情に苦味が過る。

――なのに私は気付かないふりをして…。

メイリンの半歩前、
“お姉ちゃん”の立ち位置が私の居場所だと
勝手に決め込んでいた。
メイリンと、向き合うこともせずに。

――もしも私が、
もっと早くメイリンと向き合っていたら。

ルナは宇宙を仰ぐように遠く視線を馳せた。
瞳に描くのは、終末の宇宙。
大義と正義の綻びが
止まらぬ加速度で広がった戦場で、
血を分けた妹に銃口を向けることになった。

――私は気づけたのかな。

討つべき敵として対峙する前に。

――護りたいだけじゃない、
   一緒に生きたいんだって。

ルナはこの手に抱く存在に、そっと頬を寄せた。
痛みは色あせることなく胸を刺す。
だけど今なら思うことが出来る、
あの時私達は離れなければならなかったと。
互いに自分の足で立ち、自分の道を歩むために。

私がメイリンの手を引いて
後を歩かせるんじゃない、
隣に並んで、歩くために。

 

「おねえちゃん・・・。」

くぐもった声が聴こえて、
見れば幼い日のままのメイリンがいた。
泣きはらした目元も涙の跡が残る頬も鼻も真っ赤で、

「もう、ひどい顔。」

ルナはイニシャルが刺繍されたハンカチをメイリンに手渡した。
メイリンは眉尻を下げて首を傾け、
その拍子に睫に残った雫が落ちた。
表情が白いハンカチに隠されても、
その向こう側に笑顔があることを
ルナは信じることが出来た。

「・・・なんか、懐かしいな。」

顔からハンカチを離し、
大切なものに触れるような手つきで畳みながら
メイリンは続けた。

「小さい頃、いつもお姉ちゃんが慰めてくれたよね。」

ルナは、涙で頬に張り付いたメイリンの髪を整えながら
小さく笑った。
メイリンが泣くと、いつもこうして頬を撫でたっけ。
ルナの脳裏に幼い頃の日々が蘇り
より一層笑みを深めた。
なのに何故だろう、
過去が霞むように今の景色が歪んでいく。

「そうだったわね。
でも、メイリンは泣き虫だったけど、弱い子じゃなかった。」

メイリンの驚いた瞳に映るのは
たおやかな微笑みを浮かべた姉の姿だった。
何故今なのか分からないけれど、とても綺麗だと思った。

「だって、こうして帰って来てくれたから。」

ルナは、無垢な表情で言葉を待つメイリンの仕草がただ愛おしくて
堪え切れずに涙が落ちた。

「おかえりなさい、メイリン。」

最後の言葉は、喉元で詰まって上手く声にならず、
ルナはぎこちない笑顔を作った。
メイリンの帰りを笑顔で迎えるんだって、
何度も想い描いたのに、
現実はどうして上手くいかないんだろう。

――カッコ悪いなぁ・・・。

そんな自分が可笑しくて、
ルナは小さく笑って肩をすくめておどけて見せた。
が、一方のメイリンは今にも泣き出しそうな顔をして固まっている。

「ちょっ、メイリン?」

とっさにルナがメイリンの肩を揺らした拍子に、
メイリンは感情が決壊したように泣き出した。
泣き声にまぎれて、何度も何度も“ただいま”と繰り返す妹の背中をさすりながら
幼い頃、迷子になったメイリンを見つけた時のことを思い出し
ルナは光を抱きしめるように瞳を閉じた。

 


――お姉ちゃん。

――いっぱい、ごめんね。

――それからね、
ずっと、ありがとう。

 

 

ドクターシェフェルによる検査は滞りなく進み、
結果は全て待ち望んだ通りのものだった。
日常生活に支障は無く、
本人が希望さえすればいつでも職務に復帰できる程だとドクターから告げられ
ルナとメイリンは同時に安堵のため息を落とした。
その瞬間

ぐ〜

とお腹が鳴る音が2つ重なり、
頬を赤くしながら顔を見合わせ、2人同時に吹き出した。
「やだ、もう〜。」
「お姉ちゃんだってぇ。」
じゃれあうように笑う2人にドクターも目を細めて告げた。

「食事を取っても問題ないでしょう。
そろそろかな。」

そう言ってドクターが腕時計を確認した時、
控えめなノックが響いた。
“どうぞ!”とドクターの快活な声と共に扉が開き、
その先の光景にメイリンはすっとんきょうな声を上げた。

「カ、カガリ様ぁ?!」

何故なら、エプロン姿のアスハ代表が食事を持ってきたからだ。
手に持ったトレ―の上の鍋からは食欲をそそる香がし、
こんもり盛られたパンや色とりどりのフルーツも乗っていた。
何よりもメイリンを混乱させたのは、カガリの格好であった。
白いエプロンにきゅっと三角巾を結んでいる。
歩を進める度にエプロンに縁取られたフリルが可憐に揺れ、
その隙間からスラリと伸びた足が見え隠れしドキリと息が止まる。

“ドクター、食事の内容はこれで良かったか。”
そう言って、ドクターと話すアスハ代表から目が離せずにいると
横で見ていたルナがこっそりとメイリンに告げた。

「おどろいたでしょ。
カガリさまはね、この艦に乗られてからずっと
キッチンのお手伝いをされているのよ。」

「え?だって、カガリさまのご身分じゃ・・・。」

素直に驚くメイリンに、ルナは共感するように頷いて応えた。

「信じられない話だけど、カガリ様らしいかもしれないわ。
おかげで、ダイニングはいっつも大賑わいよ。」

はしゃぐクルーたちの姿が目に浮かび、
メイリンは鈴の音のような笑みを零した時、

「元気になって良かったな、メイリン。」

あたたかな声が降り注ぎ、顔を上げれば陽の光のような笑顔があって
カガリ様に応えなくちゃ、そう頭では思っているのに
胸が詰まって何も言えなくなった。
食事の準備を手際よく進めるカガリさまの姿が眩しくて
思わず細めた瞳で、ただ見詰めることしかできなかった。

「いっぱい食べるんだぞ!」

その声で、机の上に食事が用意されたことに気付き、
踵を返したカガリ様の後ろ姿に

「ありがとうございますっ。」

そう声を掛けたのはお姉ちゃんで、
私もお礼を言わなくちゃ、そうして吸い込んだ息が声になる前に
静かに扉が閉まった。
気をきかせてくれたのか、ドクターも席を外しており、
再びルナと二人きりになって、メイリンは肩と一緒に溜息を落とした。

「私、カガリ様に何も言えなかった・・・。
お礼も、
それから、謝らなくちゃいけないのに・・・。」

そう言って、メイリンは俯いた。
食事のことだけでは無い、
私を白い闇から導いてくださったのに
お礼を言っていなかった事に今更気付いたのだ。
それだけではない、酷い言葉を何度も繰り返し、
命を奪おうとまでしたのに。

――カガリ様はいつもと変わらない笑顔を向けてくださった。
   それなのに私は何も・・・。

「じゃぁ、後で会いに行こう。」

行動派のルナらしい提案に、
メイリンは視線を上げられずにいた。

「でも・・・。」

メイリンの喉元に詰まった、大丈夫かな、
そんな声を聴き取りルナは言葉を拾い、繋げた。

「きっと大丈夫よ。
だってカガリ様は、きっと今、私と同じ気持ちだと思うから。」

“お姉ちゃんと同じ・・・?”
メイリンはゆるゆると顔を上げれば、
あたたかな微笑みをうかべたルナがいた。

「あなたが、今ここに
生きていて良かったって。」

初夏の風のように過ぎ行く言葉は、
残光のように胸に熱を残して
メイリンの瞳を揺らす。

“さぁ、いただきま〜す!”、そう言ってスプーンを手に取ったルナは
スープを口に運んでは、とろけるような表情で頬を押さえている。

メイリンは、
何気ない瞬間に、真実は煌めくのだと思った。
素朴で、だけど尊い煌めきを
ずっと見過ごしてきたのだと。
本当は、ずっと包まれていたのに。

“ほら、メイリンも”そう言って、スプーンを渡してくれるお姉ちゃん。
“いただきます”の声は、絞り出した筈なのに小さく途切れて
お姉ちゃんの心配を煽るまいと、急いでスープを口にした。

口の中に広がる優しい味、
なのにどうしてだろう、胸が苦しくて喉が詰まる。

“ね、おいしいでしょ。”そう言ってウインクするお姉ちゃん。
“うん、おいしいね。”と、返した言葉は震えていた。

当たり前の尊さを前にして、
大切な人が差しだしてくれる想いを前にして、
夢にまで見た幸せの時を前にして、
メイリンは応えることも
受け止めることさえ出来なくて
ただ、涙の代わりに微笑みを浮かべた。

言葉なんて浮かばなくて、
声を出せば震えてしまう、
だから、ルナの声が聴こえる度に微笑んだ。
眠り続けた頬は思うように動かず、メイリンの表情はぎこちなく、
それでもルナにとっては煌めいて見えた。


 


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