12-13 カスミソウ
頭を撫でられて、
その懐かしくてくすぐったい感覚に
メイリンは微かな笑みを零した。止まらない感情を
ありのままに解き放った。
凍てつき色彩を失った感情が
鮮やかに芽吹いていった。
耳を澄ませば自分の鼓動が聴こえる。
こわかった全てが、
幸せだったのだと思った。「落ち着いてきたか。」
すぐそばから聴こえる声は
常夏の風のように包み込む。
顔を上げ、瞳を開くことに
恐れも迷いも無かった。「はい。」
メイリンが浮かべたぎこちなくも小さな微笑みに
カガリは驚きに瞳を見開き
頷くように微笑みを返した。
澄んだ瞳に、確かに強さを感じる。
この世界で生きていく、強さを。「メイリンは、強いな。」
カガリの心のままの言葉に、
メイリンは泣き笑いのような顔をして小さく首を振った。「逃げてばかりの私を・・・
カガリ様が導いてくださったから・・・。」掠れた声で控えめに告げるメイリンに、
カガリは彼女から体を離し、瞳を重ねて告げた「そんなことない。
メイリンは自分の力で選んだんだ。
本当に、強いと思う。」メイリンは言葉を失った。
言葉以上の何かが、直接胸に響く感覚を
初めて抱いた。
こうして、この方は誰かに希望を燈し続けてきたのだろうと
理屈抜きに理解した。でも。
「でも、やっぱりまだ・・・
こわい、です。」メイリンは自分を抱きしめるように小さくなり
視線を床に落とした。
この世界で、みんなと一緒に生きていきたいと
迷わず願うことができる。
でも。「本当に、みんなと一緒に
生きていくことが、出来るのか・・・
こわいんです。」遺伝子に刻まれた罪を抱いたまま、
私はこの世界で生きてもいいのか。生きたいと願うことと
この世界で生きることは違う。
今のメイリンは、その差が分かりすぎてしまうから
躊躇してしまう。
覚悟はあっても、踏み出せない。「私も、こわかったよ。」
カガリの言葉に、メイリンは驚いた瞳を曝した。
白い闇の世界から導いてくれたこの人が
多くの人々に希望の火を燈しつづけるこの人が、
そんな弱さを持っているなんて。「・・・カガリ様、も・・・?」
自らの言葉を打ち消すように、
“そんな、まさか”と呟いてメイリンは首を振った。カガリはベッドのふちに背を預け
宇宙を仰ぐような姿勢で言葉を続けた。「愛する人が、告げてくれたんだ。
同じ夢を描いて、共に生きたいと。」アスランの眼差しが
「血を分けた兄弟と、確かめ合ったんだ。
共にこの世界に生まれた喜びを。」キラの声が
「心からの親友が、受け止めてくれたんだ。
ありのままの私を。」ラクスの言葉が
私を強くしたんだ。「だから、私は信じることが出来た。」
自分を信じ、
世界を信じ、
哀しみと苦しみの向こう側へ歩み出すことができた。凛と前を見据えながら語られる言葉は
鮮烈にメイリンの胸に焼きついた。
今、私はカガリ様の本質に触れている、
そんな気がした。「メイリンは一人じゃない。」
自分の名前を呼ばれ、我に帰る。
暁色の威光を宿した瞳に吸い込まれる。
この人に出会えて良かったと、
素直に想う。「メイリンと共に生きたいと
願っている人がいる。
メイリンのことを、みんな待ってる。」「・・・アンリも・・・?」
メイリンの唇に乗った名前に驚いたのはカガリの方だった。
何故アンリの名前を口にしたのだろう。
メンデル調査隊として同じ時間を過ごしたからか、
メイリンが自己を閉じてから2人の間に何かあったのだろうか、
それとも、アンリがナチュラルだからだろうか。
切実な眼差しを向けるメイリンに何かを読み取り、
カガリはたおやかな微笑みを浮かべた。「もちろん、アンリも。」
頬を淡く染め、はにかんだような笑顔を浮かべるメイリンは
“よかった”と、カスミソウの花のような呟きを落とした。「アスランが言っていた、
アンリがメイリンのことを心配していたと。
あんまり心配するものだから、
コル爺に怒られたとか。」その光景が目に浮かんだのか、メイリンは鈴の音のように笑った。
メイリンが、戻ってきた、
そう確信したカガリは、メイリンに手を差し伸べた。
その姿は、おとぎ話の王子様のように凛々しかった。「さぁ、メイリン。
誰に会いたい。」メイリンの応えにカガリは
力強く頷いた。
コンファレンスルームで開かれていた会議は終盤に差し掛かっていた。
メンデルの調査は滞りなく進み、あと数日で予定した工程を全て終了し
プラントへの帰路につくことになるだろう。
有益な情報はおろか手がかりさえ掴めなかった現状に
シンは溜息をついた。
何かがそこにあると確信はあるのに、
伸ばした手は空を切るばかりで
苛立ちだけが募っていく。
確実に世界は傾いているのだ。
バルティカとの緊張関係は一触即発まで高まっている、
それは同時にメンデルの調査がいつ打ち切りになるか分からないことを示している。――みすみす逃がすことになるのかよ・・・。
シンは苛立ちのまま溜息をついた時だった。
ディアッカの説明が中途半端な言葉で途切れた。
携帯用端末を手にしたイザークがディアッカに小声で何かを告げている。――どうしたんだ?
室内一様にざわめきが流れた時、
イザークが口を開いた。「ルナマリア・ホーク。
今すぐ医務室へ行け。」シンは驚きに隣に視線を向ければ、
ルナは蒼白な顔をして立ち上がった。
その拍子に椅子の音がやけに大きく聴こえ、体を揺らしたのはシンだけでは無かった。
ルナは胸の前で祈るように手を重ねている。
その手は微かに震えていた。彼らの様子を見ていたディアッカは
快活な笑みを浮かべて告げた。「メイリンが目覚めたって。
ルナを呼んでるってさ。」夢にまで見た知らせに、
現実は追いついて行かず
ルナはただ立ち尽くす。「・・・え・・・。」
理解へ辿りつく前に眩暈を覚える。
そんなルナにイザークの厳格な声が飛んだ。「さっさと行け。」
弾かれるようにルナはメイリンの元へ駆けだし、
続くようにドクターシェフェルが後を追った。
と、同時に室内に歓声が湧き上がる。
シンは飛びついてきたヴィーノと共に喜びを確かめ合って、
そして在る事に気付く。
この会議にはドクターも参加していた、
つまり、メイリンの目覚めに気付いたのはドクターでは無い。
一体誰がイザークへ連絡をしたのか…
喜びであふれかえった室内を見渡し、
思い至った結論に息を飲んだ。――まさか…アイツがっ?
お祭り騒ぎになっている中で、
“メイリンに会いに行こうぜ!”と言いだしたのは誰だったか。
クルーが次々に扉へと向かった瞬間、イザークの激が飛んだ。「貴様ら!
空気を読め。」これから再会を果たす姉妹に、水を刺すことになることは明白で
冷静になった彼らは席についた。「みんな心配なのは分かるけどよ、
今はそっとしといてやろうぜ。」そう言って、ディアッカは程無くして会議を切り上げ
イザークと共に医務室へ向かった。
カガリに聴かなければならないことがある、
一体何をしたのかと。
こんな時、無重力はもどかしい。
ルナは通路のバ―につかまりながら苛立ちを覚える。
全速力で駆けていきたい気持ちとは無関係に、
背景は一定速度で過ぎてゆく。早鐘のように鼓動が胸を打つ。
胸が詰まって息苦しくて、
空気を吸い込もうとしても
喉がカラカラに乾いて受け付ず、
瞳ばかりが潤っていく。――会える、
会えるのね、
メイリンに…。最後の角を曲がり、
正面の扉が見えた。
何度も訪れたこの部屋。
部屋に入ることがこわい日も
笑顔になれない日も沢山あった。
痛みに堪えてた日も、
涙しか流せなかった日もあった。でも、今日は。
ルナは心のままに扉を開いた。
白い室内が眩しい程に瞳を刺す。
一瞬は目を細めたルナの視界の先、
ベッドのふちに腰掛けたメイリンが
こちらを向いた。「メイリン…。」
何かで詰まったような喉をこじ開けて
呼びかける。
願いが
現実になるように。「…お姉ちゃ…。」
そう言って大粒の涙を落す姿は幼い頃のままで、
理屈抜きにメイリンが帰ってきたのだと悟った。「メイリンっ。」
奇跡をつかまえるルナは抱きしめ
愛おしく頬を寄せた。
名前を呼ぶ、その声は震えている。
子どものように声を上げて泣くメイリンを
ルナは嗚咽を漏らしながら抱きしめ続けた。
メイリンがここにいる、
それだけで幸せだと思った。
そんな2人を見届けたカガリは頷く様に微笑んで
医務室を後にし、静かに扉を閉めた。――これから先、
2人に幸せな未来が待っていますように。扉に手を這わせ、祈るように瞳を閉じた時、
背後から声を掛けられた。「どういうことだ。」
振り返れば、イザークとディアッカ、ドクターか待ち構えていた。
その背後に、シンの姿もある。
カガリは小首を傾げた。「何のことだ?」
「メイリン・ホークのことだ。」
ドクターやシンがいる以上、真実をありのままに話すことは出来ない、
だが、嘘を見抜けない相手でも無い、
第一嘘は嫌いだ。
故にカガリは真実の断片を切り取って告げた。「私がここに来たら、メイリンがいて。
“お姉ちゃんに会いたい”って言うから、
イザークに連絡したんだ。」“会議中は、ルナは携帯用端末をOFFにしてるかもしれないしな”、
そう言ってカガリは扉の向こうのルナの方へと視線を投げた。「そんな筈ないだろ。」
噛みつくような声がイザークの背後から聴こえた。
見れば、シンが緋色の瞳を光らせていた。「本当だ。
私は特別なことは何もしていないさ。
きっと、
ルナの祈りが、届いたんだろ。」陽の光のような笑顔と共に告げられ、
シンは言葉を詰まらせた。
どれだけルナがメイリンの目覚めを祈り続けてきたのか知っている。
それが現実になることを、シン自信も願い続けてきた。
だから、ルナの祈りが届いたことを否定したくは無い。
だが、何もせずにメイリンが目覚めたなんて理解できない。
ルナがどれだけ心を尽くし、
ドクターが最新の医療を施し続けてきたか、
ルナの隣でずっと見てきたシンは、
カガリの言葉を素直に受け止めることは出来なかった。――コイツに、何が出来たって言うんだ。
語られぬ何かの存在が、あるとしか考えられない。
そうでなければ今までのルナの献身は無意味だったのか、
そんな気さえしてしまい、拳を握りしめた。シンとの会話を聴いていたドクターシェフェルは
“信じられない”と言って額の汗を拭いながら問うた。「それで、メイリンの容体は。」
「詳しいことは分からないが、
意識ははっきりしていると思う。
私の知るメイリン、そのままだぞ。」ドクターが安堵の笑みを零した横で
シンがさらに問い詰めようと口を開いた瞬間、
イザークはドクターに告げた。
そのタイミングに意図を感じ、シンはイザークに鋭い視線を送った。
こいつも、何か知っていると。「ルナとメイリンが落ちついたら、
ドクターはメイリンの再検査をお願いします。
それから貴様はこっちだ。」イザークに続いたカガリの背中を見送って、
シンは言いようの無い感情を押さえるように溜息をついた。――また、何も知らされないのかよっ。
そんなシンの胸の内を悟ったのか、
ドクターはシンの肩を叩いて、医務室に隣接したオフィスへと招き入れた。椅子をすすめられても腰を下ろす気になれないシンに
ドクターは優しい眼差しを返してPCを開いた。「君の気持は分かるさ。
私だって悔しい。」「え…。」
ドクターから漏れた意外な言葉に、シンは顔を上げる。
すると、ドクターが眉尻を下げて困ったような笑みを浮かべていた。「私がどれだけ頑張っても出来なかった事を、
アスハ代表は、こんな短時間で成し遂げたんだから。」“俺の苦労は何だったんだ!”そう言って、
おどけたように拳を振り上げたドクターは爽やかな笑みを浮かべた。「でも、これを見てごらん。」
ドクターはPCの画面をシンの方へ向けた。
医務室の監視カメラの映像に、シンは胸を詰まらせた。何故ならそこに、
奇跡を見たと思ったからだ。
抱きしめ合うルナとメイリンの姿に
シンの頬を涙が伝った。「これが、全てだと思わないかい。」
ドクターの声に、慌てて袖を頬に擦りつけたシンは
もう一度画面の中の2人を見た。
きっと何かが起きたのだろう。
アスハが何かを起こしたのだろう。
それが何であったとしても、
願い続けた今があるならそれでいいのではないか…。しかし、全てを認める事が出来ない。
いつの間にか足元に落ちた視線。
理由は分かっている、
その理由を譲ることなんて出来ない。
絶対に。「アスハ代表は、奇跡を起こされた。
それ以上、何も言わなくていいんじゃなかな。」そう言って、ドクターは静かにPCを閉じた。
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