11-5 ソラノヒト
捜索隊の環から外れて宇宙への飛び出した隊長を見送ってアンリは思う、
宇宙のアスランは水を得た魚のようだと。
訓練や任務で何度となくアスランの卓越した技術を目の当たりにしてきた。
しかし、方向転換をして飛び立つというただそれだけの動作だけで、
アンリは自分たちとの違いを感じ取った。
そして漠然と思うのだ、
アスランは宇宙の人なのだと。
まるで深海に潜るように宇宙へ身を沈めていく。
背後へ散っていくような星屑に時折混じる残骸を目にするたびに、体に痛みが走る
この欠片たちはカガリを乗せたシャトルのものか、それとも襲撃した者たちのものなのか、
そんな判断がつかない程破壊されていた。
シャトルには乗客乗員全てを収容できる脱出ポットが搭載されているが、未だに発見されていない。
アスランは自らの思考を静めるようにゆっくりと息を吐き出した。
考えられる結論は2つ、カガリが生きているかどうかだ。生きていると仮定すれば、さらにいくつかの道に分かれる。
1つ目は脱出ポットで離脱し、乗客乗員と共に救助を待っている場合である。
しかし、脱出ポットには救難信号が搭載されている筈だが、
事件からこれだけの時間が経った今でも救難信号を受信していないことから、
さらに道が2つに分かれる。
1つ目は救難信号の故障、
2つ目は何らかの理由で救難信号を出せない場合だ。
この2つの場合、アスランは後者である可能性が高いと踏んでいた。
前者であればと願いたいが、シャトルにはMS2機を搭載しており、
中にはムゥもマリューも搭乗したいたのだ。
万が一、脱出ポットの救難信号が故障したとしても打つ手を考えだし、実行している筈だ。
後者の場合は犯行グループに捕えられている可能性が出てくる。
例えば、今ラクスが何者かによって自由を奪われているように。そしてもう一つの仮定、カガリが既に命を奪われているとしたら――
そこまで思考して、アスランはグリップを握り直した。
その先の思考を拒むように指先がチリチリし、不自然に息が詰まる。
もしカガリが既に命を奪われていたとしたら、
この宇宙に散らばる無数の欠片のひとつとなっている可能性が高い。
母レノアと同じように。
最悪のシナリオはアスランの意思とは無関係に、簡単に描かれていく。――だが・・・君の還る場所は宇宙じゃない、
オーブだろ・・・?「前方注意!前方注意!」
コックピットに乗せたハロの声でアスランは我に返った。
見れば前方には先の戦争にでも使われたのであろうか、ダミー隕石が散らばっていた。
“すまない。”とアスランは眉尻を下げてハロに応え、再び意識を前に戻した。
胸に巣食った恐怖を振り切るように、紅は加速度を上げていく。自分の弱さが創りだした恐怖が
君から命を奪っていくような気がした。
手で掬い上げた水が
指の隙間から零れ落ちるように時が過ぎていく。
何も止めることができないまま失っていく、
零れた雫の数だけ掌の中は喪失感で満たされていく。
残された、自分のように。
あらかじめセットしていたアラーム音が捜索終了の時を告げた。
まるで見えない壁に未来を阻まれるように、紅は動きを止める。
アスランはヘルメットのシールドを解き胸が詰まる様な溜息をついた、
その拍子にコックピットに汗の雫が散っていった。
常に最も質の高いパフォーマンスが可能になるよう、
コックピット内は最適な温度に自動調整されている。
だから、散っていった汗は暑さ故のものではない。言葉は無く、ただ奥歯を噛みしめて俯く。
何も掴めなかった手は、グリップを強く握りしめる。
ハロの声も、鳴り続けるアラーム音さえも
アスランの耳には入らない。アスランは捜索隊の実働部隊には捜索規定時間を設定し
各小隊長にシフトを管理させ、人員を入れ替えながら任務に当たるよう徹底させていた。
オーブ軍は特に忠誠心が篤く、真面目すぎる気質の者が多い。
普段はそれが連帯や力へとつながるのだが、
今回はそれが仇となり彼らの精神を磨り減らし、
結果としてパフォーマンスが落ちることをアスランは懸念していた。
捜索という任務は絶えることの無い集中力と
不安や恐怖、焦燥に屈しない精神力を要する。
探し出さなければならないのがオーブの精神的支柱であるアスハ代表であればなおさら
彼らは全身全霊で捜索に当たるだろう、
忠誠心という熱い風を受け、心を燃やして。捜索隊の精神状態をコントロールし、
限界を回避しながら捜索任務に当たれるようにすること、
それがカガリを見つけ出すための近道であり
組織のトップとしての責務であるとアスランは自覚していた。
メンデルの事故による教訓は、痛みと共に深く心に刻まれていた、
仲間を護ることが実現へとつながるのだと。――隊長の俺が、捜索規定時間を守らない訳にはいかない。
だが・・・。アスランは溜息をつきながら宇宙を仰いで堅く瞳を閉じた。
瞼を閉じれば映る君の姿を抱きしめるように、胸に掌を押し充てた。――カガリ、
君は何処に・・・。
月基地に戻ったアスランを迎えたのはいつもと変わらぬ仲間たちだった。
コックピットのハッチを開いたと同時に「隊長!」
と、アンリの飛ぶような声が聴こえ、見れば声のとおりアンリが飛んできたのが見えた。
アスランはヘルメットを取りながら手を上げて応えていると、「さっさと休まんかっ!!」
と、コル爺の激が飛び、アスランが困ったような微笑みを浮かべるのは
オーブで見慣れた“いつもの光景”だった。アスランがアンリと話しながら紅を後にするのを見送って、
マレーナはコル爺と共に紅の保守点検に取り掛かった。
何かを訴えるような表情のアンリを受け止めるように、アスランは何かに頷いている。
そして、アスランが瞼を伏せて小さく首を振ったのを見て
マレーナは今回も手がかりがつかめなかったのだと読み取った。
手を休めて格納庫を見渡せば、おのおの持ち場で懸命に動いているのが見える。
しかし、同時に見えてくるのは彼らに巣食った小さな影。
光が欲しいと、思う。
闇を晴らす光を。
それをいつもくれたのはアスハ代表だったのだと、
当たり前のことに気づかされる。
そして今、光に一番近い人は――マレーナはもう一度視線を戻した。
見上げれば、アスランがアンリの肩に手を置き語りかけているのが見える。
アンリもまた胸に小さな影を落としているのだろう、
だが少しずつ表情が晴れていき、やがて力強く頷いた。ふわりと微笑みを浮かべてマレーナは作業を再開し、コル爺に呟いた。
「良かった、アスランが“アスラン”のままで。」
アスランが支えなのだ、捜索隊にとって、オーブにとって。
“きっとアスランなら”、その言葉が今は希望の光なのだ。
コル爺はふんと鼻を鳴らすと、「これしきのことで音を上げてみろ、
ぶん殴ってやるわいっ。」と言いいながら手早くチェックを行っていく。
大方、アスランは周辺空域を巡回してきたのだろう、
燃料の減り具合や表面上の損傷が無いことからそう判断したマレーナは、
修繕よりも燃料の補給に取り掛かろうとした。
しかし、コックピットに上半身を突っこんだまま動こうとしないコル爺に眉を顰める。「どうかしました?」
「パーツの交換が必要じゃな。」
月基地へ到着する前に、紅は長期の捜索にも耐えられるよう万全の状態に仕上げた筈だ。
それなのに、たった一度の捜索でパーツ交換など在り得ない。「まさかっ!
不備でもあったんですか?」マレーナはコル爺に詰め寄るようにコックピットの内部を覗きこんだ。
と、コル爺はグリップを動かしながらつぶやいた。「接続部がいっちまってる。」
「こんな状態になる程、何の圧力が掛ったっていうの・・・?」
接続部のパーツ交換が必要な程、グリップに圧力がかかる状況が理解できず
マレーナはただグリップを見詰めていた。
コル爺は慣れた手つきでグリップを外すと、苦い表情のままコックピットを後にした。
まるで接続部だけではなくグリップそのものを交換するようなコル爺の動きに
マレーナは我に返って声を上げた。「接続部の交換じゃないですか?!」
コル爺は振り向かず一人呟いた。
「このままじゃ、毎回接続部の交換か・・・、
いや捜索中に故障しちまうかもしれんの・・・。」コル爺は苦い表情のままグリップを見詰めた・
誰よりも機体を丁寧に扱うアスランが、意図的にグリップに負担をかける筈がない。――無意識か・・・やっかいじゃの。
アスランは“アスラン”のままなのではない。
“アスランのまま”であるように振舞っているだけだ。
自らの胸に巣食った影を
誰にも悟られないように。
皆の胸に射した影を照らす
希望の光で在り続けるために。
カガリがずっとそうしてきたように。――お前は一人で戦い続ける気か?
アスラン。「バカヤロウ・・・っ。」
コル爺はグリップを持つ手に力を込めた。
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