11-25 真実を抱きしめて
行きついた先の研究室で見たものは、
連なる蒼い光だった。魂が焼ける時に放つ
燐の火のように
蒼く輝く光。
どんなに声を張り上げても対角まで届かない程広大な研究室に並ぶ実験器具。
厚いガラスは子宮のように緩やかな曲線を描き
蒼白い光をやわらかく反射していた。
輝くような冷たい美しさに、
ここで命が造られたのだと無条件に理解した。蒼い光は施設維持のために自動で点灯しているものだと分かっていても、
そこに魂を見てしまうのは、
これが生命の器として使われていたからだろうか。どこを歩いても一列に並ぶように放射線状に配置されたそれらの間を
たゆたうように歩む。この厳かさは墓地とは違う、
この静けさは深海とは違う、
この澄んだ空気は雪の夜とは違う。ふと足を止め、緩やかな曲線を描いたガラスに手を伸ばす。
触れる前から感じた冷たさは皮膚を通して直に伝わり、
胸を貫く衝撃に瞳を閉じた。命の声も
希望の熱も
未来の光も無い。ここに眠るのは、
名前も過去も悼む人も無い
魂なのだから。瞳を開けば、蒼白い光の中に映った自分が見えた。
鼓動が胸を打つその度に、
自分が生きている事実を突き付けられ
鈍い痛みが全身に広がっていく。
メンデルで生まれた奇跡の子どもである自分が
ここに生きて戻った事実、
それはFreedom trailが今も直続いていることを証明している。ここに眠る魂は、
メンデルで生まれ
何も知らず
無条件の愛を注がれて育ってきた私を
許さないかもしれない。今もこの体の中で二重螺旋を描いている
憎しみと哀しみの遺伝子を
破壊したいと望むかもしれない。「でもな・・・。」
暁の世界で見つけた真実。
愛する人と
信じあう仲間と
共に抱いた願い。
遺伝子に刻まれた宿命。
その全てを受け止めて
生きていきたい。メンデルで生まれた奇跡の子どもとして。
カガリ・ユラ・アスハとして。
人として。
「私は、
この世界で生きていきたい。」心のままに紡がれた言葉。
それは、
カガリの真実であり
誓いだった。瞳を閉じたカガリは命に触れるように頬を寄せ、
両腕を広げて抱きしめた。
ここで生まれ消えていった無数の命と
魂を重ねるように。一瞬、
蒼い光が星のようにまたたいた。
まるでカガリに応えるように、
命の火が燈されたように。それは微かな電圧の変化がもたらした誤作動か、
それともカガリが起こした
奇跡だったのだろうか。
それからどれくらいの時間が落ちたのだろう。
一時だったようにも、
長い間だったようにも感じる。
眠りから覚めるように瞳を開いて
カガリは別れの言葉を唇に乗せようとした、
その時だった。雫が落ちるように
小さな足音が聴こえた。
ムゥのものではないことは明白で、
身体が危険を察知するより先に心が駆けだした。
誰なのか、
雨が大地にしみ込むように分かった。
会ったことが無くても。――だって、
ずっと会いたかったんだっ。
「ケイ!!」
カガリは想いのままに名を呼んだ。
届くと信じて、
乱れる呼吸にかき消されそうな声で。――応えてくれっ。
その想いとは裏腹に、研究室に響くのは自分の足音と息使いだけで
焦る気持ちを抑え込み、小さな足音が聴こえた記憶に目を凝らした。
雨は大地の色を変えるけれど、
最初の一雫から後に続かなければ、すぐに乾いて大地の上から消え去ってしまう。
まるで何も起きなかったように。
きっと記憶も同じで、
今手を伸ばさなければ溶けて消えてしまう気がした。
「ケイっ!!」
もう一度名を呼んだ。
放射線状に並んだ実験器具が雑踏のように行く手を阻み、
蒼白い光が乱反射するように視覚を惑わす。
吸い込んだ息は飛び出しそうな息とぶつかり喉元を詰まらせる。
もどかしげに首を振って、カガリは全力で駆け抜けた。
と、一瞬光が途切れたように横目をかすめ、
それが小さな影だと理解するより先に、
カガリの表情に笑顔が浮かんだ。右足で強く踏み込んで勢いのまま方向転換する。
スピードに乗った体が遠心力で傾いて、とっさに実験器具に手を付いた。
その反動を反動を利用して、速度を殺さず前に飛び出した。
ケイを、
初めて見たと、
そう思った。彼が、ケイなのだと。
蒼い光を背負った少年の顔は、はっきりとは見えない。
一秒ごとに近づく距離に
溢れ出す喜びが瞳を熱く潤ませる。足に根が張ったように動かない少年は
無表情のままこちらを見ていた。
紫黒の瞳のあまりの冷たさに胸が軋んだ。――どうしてお前は、
凍えているんだ?――何がお前の心を、
凍えさせるんだ?お前も、愛おしい未来の一つなのに。
無条件に愛され、
慈しみ育まれる
命の一つなのに。カガリは飛び込むように少年を抱きしめた。
「ケイ・・・。」
3度目の声は、顔を埋めた小さな肩に吸い込まれた。
凍えているのではないかと思う程冷たい体は、
蒼い光に消えてしまいそうな程細く儚く、
カガリは抱きしめる手に力を込めた。
耳を澄ませれば聞こえてくる小さな鼓動に
この命は大切なんだと、
無条件に思った。「ケイ、だよな。」
呼びかけても硬くなった小さな体は何の反応も示さない。
カガリは少年の頭に手を置いて、ゆっくりと撫でた。
直毛の髪質はキラにそっくりで
溢れるような愛しさがカガリの微笑みをどこまでも優しくさせた。「ずっと会いたかったんだ、お前に。」
“ずっとだぞ。”
そう言って、カガリはそっと頭を少年に預けた。
すると、消え入りそうな声が震えた。「・・・どうして・・・。」
掠れた声は硬く冷たく
まるで彼の心を思わせて、
カガリはそっと体を離して、瞳を重ねた。「お前が、ケイだからだ。」
驚いたように見開いた紫黒の瞳が
泉のように透明に揺れた。突然の雨が頬に落ちたように
ケイの輪郭を涙が滑った。
カガリは指先で優しく受け止め、
その拍子にケイの体が跳ねる。
驚きに固まったまま、
それでも真直ぐにカガリを見詰める紫黒の瞳に
小さな光が浮かんだ。その光は、
オーブの子どもたちを同じ
尊い輝きを放っていて、
カガリは陽の光のような微笑みを湛えて
そっとケイを抱きしめた。
涙が凍てついた心を溶かしたのか、
それとも心が溶けて涙に変わったのか。
堰を切ったように泣き出したケイの小さな背中を
カガリは優しく撫でた。
自分が幼かった頃、お父様がそうしてくれたように。ケイの頭に頬を寄せ、そのまま宇宙を仰ぐように天井を見上げた。
冷たい天井、その先に無限に広がる宇宙がある。
その中で、
どんな想いで生きてきたのだろう。お前は一人で生きてきたのか。
家族はいるのか。
友達は。
大切な人は。
ケイの心に耳を澄ますように
カガリは瞳を閉じた。
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