11-24 希望の熱





知らなかった、
人の熱を失った世界が
どれほど寒いかを。

 

荒廃した研究棟に響く2つの靴音。
廃棄コロニーであっても維持管理のため内部は一定の温度に保たれている。
だが、設定温度よりもここの空気は冷たく感じる。
カガリは壁に手を這わせた。
冷たい壁。
この建物はもうずっと人の熱を吸っていないのだと
触れるだけでわかる。

吸い込んだ息は冷たさの分だけ重く喉を締め付ける。
この空気に不純物など無い筈なのに、
何故だろう、息苦しさを感じる。

手で触れた壁も、
今吸い込んだ空気も、
みなオーブと変わらないものなのに
決定的に違った。

知らなかった。
オーブは生命にあふれていたことを。
そのあたたかさと、輝きを
人は希望と呼ぶのだと。

あまりに当たり前の尊さに気付き
眼前に広がる光景に胸が詰まった。

ここにあるのは死なんだと、漠然と思う。
新しい命が決して芽生えることのない世界。
そんな世界をナチュラルは知らず、
そしてコーディネーターは近づく寒さに怯えている。

 

「おかしいな・・・。」

ムゥの呟きにはっとして、カガリは視線を向けた。

「何がおかしいんだ?」

ムゥは記憶と今を重ねながら応えた。

「いや、前に来た時よりも荒れてる気がするんだよ。
老朽化って言うよりも、故意に荒らされた感じがして・・・。」

そう言えばと、カガリはもう一度つぶさに研究室を見た。
すると小型の火器などで傷つけられた跡をいくつも見つけた。
いくらバイオテロがあったとは言え、こんな傷がつくものだろうか。
それに、カガリはそれだけではない何かを感じ取っていた。

「なんか・・・、不自然だな。」

戦争によって破壊されたいくつもの遺産や施設を目にしてきたが
それらはどれも憎しみが色濃くにじみ出ていた。
しかし、目の前の風景にはそれが一切感じられない。
ナチュラルによって引き起こされたバイオテロによって破壊された跡だとすれば
匂い立つような感情が見える筈なのに。

何故だろう、
この傷跡からは冷徹さと孤独を感じる。

例えて言うのなら
一人の人間が銃を向け
秒針を刻むように淡々と破壊し続けている、
そんなイメージ。

カチャリ。

銃特有の鈍やかな音が現実に聞こえカガリは顔を上げた。
するとムゥが困ったような笑みを浮かべて、白銃を差し出した。

「念のため、な。」

白銃は自衛のみに使用される銃として国際法規で定められているものである。
殺傷能力は無く、あくまで相手の足を止める程度の威力しかない。
白銃を構えると同時に“戦意は無い”ことを相手に伝えることができる。

無言のまま動けずにいるカガリの手を取り、
ムゥはしっかりと白銃を握らせた。

「俺はあっちの方見てくるから。」

こそまで言わせて、カガリは初めて気付いた。
ムゥは私に自由をくれようとしているのだと。
テロリストの狙いはカガリだったのだ、
だからこんな場所で一人にすることがどれ程危険なことか
分かりきっている筈なのに。

「迷子になるなよ。」

「ポポ!」

「あぁ、そうだ。
お前がカガリを護るんだぞ。」

なんて言って笑って見せるムゥに
胸が熱くなる。
歪みそうになる視界を定め、カガリは向日葵のような笑顔を見せた。

「ありがとう。」

 

カガリの背中が小さくなるまで見送って、ムゥは溜息を一つ落とした。
このメンデルにテロリストが潜んでいたら、
その可能性は捨てきれず
出来ることならカガリを一人にはしたくなかった。
それでも、今はカガリを一人にしなければならないと思った。
自らの目で真実に触れられる機会は、この先いつ訪れるかわからない。
だから、どうしても自由を与えなければならないと思った。

先程の会話を取っても、カガリはどこか意識が飛んでいるようだった。
それはきっと無意識に、
自分が行くべき場所へ魂が引かれているからなのか。

乾いた笑みが零れ、ムゥは宇宙を仰ぐように天井を見上げた。

「アスランに・・・怒られんだろうな。」

そう呟いてムゥもまた歩みを進めた。
微かに感じる魂の引力を頼りに。

 

 

 

楽譜に記された旋律のように、靴音が刻まれていく。
初めて訪れる場所なのに歩みに迷いが無いのは、
魂が引かれているからだろうか。
自分の命が生まれた場所へ。

開け放たれたまま作動を停止した扉に手をかけて
カガリの歩みが止まった。
記憶と眼前の光景が一瞬にして重なる時
思わず息を飲むものだと思っていたけれど、
現実はあまりに静かに涙を落した。

ヴィアが遺した研究日誌にも、
Freedom trailのデータにも記されていた実験室。
大きなガラス窓で仕切られた2つの部屋の内、
機器が並ぶ手前は研究者用のもの、
そしてその先にある無機質な部屋は子どもたちが入れられた場所。

瞬き一つで、幾人の子どもたちの姿が見える。
自分がスーパーコーディネーターであることを証明し続け、
適合しない者は淘汰の名のもとに排除されていった。
極限の状態まで追いつめられ、発揮される能力。
ある子は輝くような力を、
ある子は苦しみを越えた叫びを、
ある子は心を無くした涙を見せた。

スーパーコーディネーターである前に
みな人間なのに。

ふとウィルの安らかな寝顔を思い出し、
膝が落ちて、焼けるような痛みに胸を押さえた。

未来はこんなに愛おしいのに。

全ての子どもは、
未来を妨げられる理由なんて無いのに。

―‐どうして・・・っ。

 


その言葉は一秒ごとに降り積もっていった。
次の研究室でも、
その次の研究室でも。

長い廊下、
それが上下に幾筋も重なり
数々の研究室をつなぎ
その数の何倍、いやもっと、
無数の命が造られ、奪われた。

未来は愛おしい、
だから未来がほしい。

でも、その未来のために
ここで生まれた子どもの未来を奪っていい理由にはならない。

「絶対に。」

カガリは一つ一つの実験室で立ち止り、
無数の命に想いを馳せて瞳を閉じた。



 


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