11-20 開戦





通話ボタンを押したアスランが応えるより先に
アンリの切羽詰まった声が飛ぶ。

≪アスラン!早く会議室へ!≫

定刻通り会議が始まるのであれば、何も慌てる時間ではない。
しかし、アンリの焦燥から理由を聞かずとも従うべきだと判断したアスランは

「了解した、直ぐに向かう。」

手短に応答し携帯用端末を切ろうとした指が止まる。

≪プラント、ソフィア両国が・・・
バルティカに宣戦布告しました・・・っ。≫

とっさに口元を押さえた、
息をのむ音をアンリに聞かせないために。
血が巡るように思考が体を動かした。
アンリの焦燥は隊の状況の象徴だと見ていい。
おそらく、リュミエール全体が、いや月基地もオーブもまた
決定的な時代の動きに硬く震えている。
だからこそ、今自分が取り乱してはいけない、
そんな姿を曝してはいけない。

口元を押さえた手が緩やかに下降し
胸元で留る。
まるで飲み込むように瞳を閉じて
アスランは落ち着き払った声で応えた。
しかし、その声色に静かに燃える熱が含まれていた事を知るのは
隣に居合わせたマリューだけだった。

「そうか。
状況を確認し、任務を続行する。」

端末の電源が落ちたように、何の音も返らない。
アスランは常と変わらぬ平静さで問い返す。

「アンリ、どうした?」

≪・・・あっ、いえっ!≫

アスランの冷静とアンリと彼を取り巻く焦燥の温度差に
アンリは追いつくことが出来ずに戸惑っているのだろう。
マリューはそっと目を細める。
アスランはそれに気付いていない、それこそが彼の焦りの表れなのに
それにどれだけの人間が気付いているのだろう。

 

 

身重のマリューをエスコートしながらアスランは会議室へと急いだ。
携帯用端末でアンリから送信された資料によれば、
プラント、ソフィア両国の宣戦布告を決定づけたのはソフィアでのテロの犯行グループの国籍だった。
彼らはバルティカ国民であった事実が判明したのだ。
バルティカの戸籍上、既に彼らは他界していることになっていたが、
DNA鑑定により本人と証明され、戸籍上の記載が誤りだったとプラントは結論付けた。
不可解ではあるが事実でもあるそれに加え、
バルティカ国民がプラントの駐屯地の居住区で起こした暴動により
プラント・ソフィアが開戦に踏み切ったのだ。

――これは本当に偶然なのか・・・。

国籍を有していない犯行グループの数名が元バルティカ国民であったことと、
バルティカで起きた紛争。
この2つが重ならなければ、開戦の選択を避けることは可能だった筈だ。

――何故、今なんだ。

そこまで思考して、不意に覚える既視感。
鼓膜を失くしたように音が止む。

“何故、今なんだ”
その言葉を、もう何度繰り返しただろう。

可視化されない糸が幾重にも張り巡らされている、
そのひとつがこの指に引っかかる。
糸が食い込み磨れるその瞬間、
火花のような熱を感じて血がにじむ。
その傷が癒える前に、また別の指が糸に触れる。

気付けば世界は
小さくも確かな傷を重ねているのではないか。

標的はバルティカであるが、
その背後に地球連合を睨んでのことだという事は容易に想像がつく。
プラントとソフィアは静かに大胆に待っているのだ、
連合と犯行グループの決定的なつながりが暴かれるのを。

しかし、アスランの胸に小さなしこりが残り、静かに沈殿していく。
プラントはバルティカを透かして連合を捉えている、
だが、アスランにはバルティカは独自の異彩を放っているように思えてならない。
ふいに蘇るのは、白髪の軍閥の長の言葉。

『バルティカという国が、嘗て何をしていた国か、わしの口からは言えん。
だが、それ程のものがこの国には根を張り、民から吸い上げ、民を潤し、
そしてその果実を貪っていたのは、誰かを、
いつか、世界は知るべきだ。』

これもまた
世界に張り巡らされた
糸の一筋なのだろうか。

 

 

会議室の手前のラウンジに人だかりが出来ているのが見え、アスランは足を止めた。
ラウンジ中央の大画面ではプラント最高評議会副議長のアイヒマンが厳かに演説していた。
旧世紀の独裁者のように力強く拳を振り上げ声高に言葉を打ち付けるのではなく
静かに淡々と言葉を紡ぐその様は
プラント国民の燃えるような怒りを際立たせていた。
ソフィアのテロとバルディカの暴動により
無辜のコーディネーターの命がナチュラルによって奪われた。
それでも、コーディネーターは平和的解決のため、
怒りを飲み込み、苦しみに耐えてきたのだと。
音も無く燃える蒼い炎が潰えることは無く、
むしろ燃え上がらせることを選んだのだ、コーディネーターは。

――もう一度、争いの道を選んだプラントを
俺はまた止めることが出来なかった。

叶えたい夢がある。
だからオーブを選んだ。
その選択に揺らぎも後悔も無い。
信念は変わらない。

だが、誇りを覚える軍服を纏い
オーブの軍人としてプラントの開戦を目にして
何も想わない訳が無い。

砂時計の砂が落ちる早さで
アスランの胸に鈍痛が巣食う。
それがコーディネーターとしての無力感なのだと
アスランは気付いていた。

その瞬間、アイヒマンの背後に映し出された光景にアスランは目を見開いた。

――キラ・・・っ。

アイヒマンの厳格な演説と共に流れ出したのはクレタに舞い降りたストライクの映像だった。
蒼い海に炎が広がるその中で
連合からの攻撃をいなしながら
クライン議長救出のため翼を広げる姿は、
プラントの国民の感情をさらに煽るだろうことは容易に想像がつく。
アイヒマンはキラを利用したのだ、
争いの火を焚きつけるために。

アスランは静かに拳を握りしめる。
その瞬間、胸に落ちる砂時計の砂は
加速度を増す。

――世界がこうなることを、プラントは待っていたのか・・・っ。

そう思わずには居られなかった。
開戦のためにキラはクレタへ向かった訳じゃない。
ただラクスに会いたい、その心にいかなる不純物も混ざってはいない。
しかし、静かに語りかけ続けるアイヒマンの言葉と共に流される映像、
そこだけ切り取ればまるでキラが戦争という英断を切り開いたようにさえ見える。
クライン議長を救い出し、再び平和な世界を築くための、
これは正義の戦争であるのだと。

アイヒマンの演説の結びと共に
ストライクは映像から消えた。
だが、これを見た者の心には鮮烈な印象を残しただろう。
コーディネーターにとっては未来を切り開く英雄として、
ナチュラルにとっては討つべき敵として。

止まらぬ加速度は
時代が引き寄せる風なのだろうか。
それとも、誰かの恣意的な指先が
世界を先導しているのだろうか。
連なる偶然も――

≪ごきげんよう。
わたくしはラクス・クラインです。≫

ラウンジにざわめきが走る。
画面が切り替わり、真空のように白い背景に現れたのは
まぎれも無くラクスだった。

≪今日も平和の歌を、歌います。≫

何者かに拉致され今も監禁されているのだとプラントは公に発表している
その本人が今、空色の瞳を潤わせ桜色の唇を綻ばせる。
何故だろう、
旋律に哀しみが薫る。

――ラクスっ、
   君は何故、今・・・っ。

これではまるでラクスが
プラントの、コーディネーターの平和を願っているように映る。
奪われたコーディネーターの無辜の命を哀しみ、
避けられぬ争いを嘆くように。
彼女であれば、世界の平和を願う筈なのに。
しかし、アイヒマンの演説、ストライクの映像に引き続いたラクスの歌は
コーディネーターへと捧げられているように錯覚する。

これも、偶然なのか。

 

音も無く落ちる砂は
静かに胸に降り積もり
冷たい痛みが喉を詰まらせる。

選んだこの道に
揺らぎも後悔も無い。

でも、
愛する人を護れずに
友の哀しみをそのままに
かつて祖国と言ったあの国を止められず
何故俺は、今ここに居るのだろう。

その問いが鋭くアスランの胸を刺す。

 

と、画面に釘付けになっている捜索隊の内一人が何気なく後ろを振り返り、
アスランと目が合った。
彼は一瞬面喰い、そして酷く困惑した表情を浮かべた。
心に受けた衝撃は音も無く広がっていくのだろう、
彼に続く様に一人、また一人と後ろを振り返り、
アスランの存在に気づいては、言葉に出来ないような表情を浮かべた。

彼らはアスランにかける言葉が見つからなかったのだ。
嘗てザフトのエースパイロットであり
パトリック・ザラを父とするアスランが、
プラントの開戦に何を想うのか。
二度の大戦を駆け抜けた親友がナチュラルに剣を向け、
嘗ての婚約者である現議長が拉致監禁されている、
今のアスランの胸の内を
分かる者など誰もいなかった。
それだけではない、
寄り添おうと踏み出せる者も。
それだけ、アスランの背景は奥行きを持ち過ぎている。

不可思議な沈黙が横たわる
この距離がナチュラルとコーディネーターの隔たりなのだろうか。

困惑と不安が言葉を遮断し
ことさらラクスの歌声が響く中
静かにアスランは口を開いた。

「俺たちの目的は何だ?」

穏やかな声色は硬化した空気を一瞬で溶かす。
不意に投げかけられた問いは
沈黙の道をすり抜け彼らの胸に届いたのだろう。
はっとした表情を浮かべる彼らに、
アスランはさらに言葉を続けた。

「今すべきことを見誤らず、
前へ進もう。」

アスランの言葉でラウンジにいた者たちに活気が戻った。
今ここに居る自分の目的も、
そのためにある今も、
今から想い描く未来も
一つの線で結ばれたのだ。
争いに傾いた世界に困惑し、
不安と緊張に硬くなった体が解放され
各々が持ち場に散っていく。
その姿を見送るように一瞥すると、アスランは会議室へと再び足を向けた。

しかし、とマリューは思う。
エスコートする優しい手つきは紳士的で、
今も穏やかな表情をアスランは崩さない。
すれ違う部下に常と変わらぬ静かな眼差しで応え、
瞳に映した未来に迷いは無いと、そう思わせる精悍さに
誰もが心強く思うことだろう。

でも。
マリューの胸に蘇る、アスランの言葉。

“今すべきことを見誤らず、
前へ進もう。“

マリューにはあの言葉が
アスランが自分自身に言い聞かせているように聴こえた気がして
切なく瞳を閉じた。




 


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