11-19 曖昧な微笑みに





「アスラン君っ」

ふくらんだ腹部を押さえながら、マリューは廊下を見渡した。
アスラン退席後、コンファレンスルームに取り残された面々は
暫くの間言いようの無い沈黙に襲われた。
何を言っていいのか、
何を考えればいいのか、
分からなかった。
ただ、アスランの言葉だけが強く響いて
余韻の波紋に捕らわれるように
身動きが出来なかった。

漸く余韻が収まりだしたのと同時に、
彼らの希望がひとつに集約しだした光景を
マリューは目にした。
“彼ならば、必ず救い出してくれる”
信じることに疲れ果てた彼らの願いが、
今はもうこの部屋にはいないアスランへと注がれる。

きっとアスランは、
こぼれ落ちた希望を拾い上げ
差し出された願いを受け取り、
穏やかな表情のまま
全てを背負うのだろう。

――でもっ、
   あなたは本当は・・・っ。

見渡した廊下にアスランの姿を見つけられず、
マリューは踵を返して突きあたりの角を曲がった。
一面に広がる宇宙。
ガラス張りの通路の先に、彼は居た。

アスランは宇宙の前で
深海のような静けさを纏いながら
佇んでいた。

蜃気楼のように空気が揺らいだような気がした。
漠然と思う、
彼は宇宙を浴びるように
熱を冷ましているのだと。

 


アスランは平静の表情のまま
瞳に宇宙を映しながら
静かに拳を握りしめていた。

感情を殺していくように
手が色彩を無くしていく。

しかし、
片手で抑えきれる想いではない。
膨れ上がる痛み、
歪んだ瞳、
振り上げられた拳が
宇宙をたたき割る瞬間――

「本当に・・・カガリ様はご無事なのだろうか・・・。」
「チクショウ!やっぱり何者かに連れ去られたのかっ!」
「何処を探しても、見つからないなんて・・・。」

溜息交じりの声が聞こえてきた。
音源へ視線を向ければ、ドリンクパックを片手にこちらへ歩んでくる部下たちが見えた。
彼らはおのおのに視線を伏せ、心のままに疲労と無力感を表情に浮かべている。
心を許し合える仲間なのだろう。
だが今この状況で、絶望へ揺れる心を明かすことは禁物だ。
何故なら闇は簡単に人の心に伝播し、確実に根を下ろすから。
だから種の内に潰さなければならない。
それが組織のためだ。

動こうとしたマリューが驚きに足を止める。
見れば、アスランが彼らに声を掛けていたのだ。
拳を宇宙へ振り上げた姿など幻だったかのように
穏やかな微笑みを浮かべて。

 

「そんな顔をしていると、
アスハ代表に叱られるぞ。」

アスランの声に3人の部下は困惑気味に顔を見合わせた。
彼らの仕草から、分かってはいても出来ない葛藤を読み取り、
アスランは気持ちに寄り添うように頷いた。
捜索へかけた情熱と労苦の分だけ募る疲労と諦めは
絶望へとたやすく変色していく。
自分の力だけで打ち勝つことは困難だ。
だから。

――君の力を借りるぞ。

「“顔を上げろ、前を向け。“」

まるでアスハ代表の声を聴いた気がして
3人は驚きを含んだ視線でアスランを捉える。
見れば、アスランは陽の光のように優しい笑顔を浮かべていた。

その仕草も表情もカガリのそれに酷似していることに気付いたのは
遠巻きに見ていたマリューだけだった。
彼がどれ程カガリの笑顔を見てきたのか
どれ程心に刻んできたのか、
この瞬間だけでも分かってしまうから、
マリューは切なさに瞳を細めた。

「きっと、代表が今のお前たちを見れば、
そう言って、お叱りになることだろう。」

“そう思わないか”そう言って肩を貸すような声で語りかけ
軽く腰に手を当て首を傾ける。
アスランの少し砕けた仕草は闇に硬くなった彼らの心を和らげる。
彼らの言葉を引き出し、受け止め
前へ進むように背中を押す。

――本当は、私たち大人の役目の筈なのに・・・。

絶望の淵で惑い迷う若者の歩みを導く役目。
それを負うにはアスランはあまりに若すぎる。
なのに、彼のふるまいは完璧だった。
環境が強制した訳でも、
演じている訳でもない。
自ら引き受け、全うしようとしている、
それが分かる。

 


3人の部下を見送ってアスランが小さく息を吐き出した時、
マリューが肩を叩いた。

「アスラン君。」

微笑みは人に移っていく、
そう信じてマリューはたおやかな笑みを浮かべた。
だが、アスランは穏やかな表情を貼り付けたまま応えるのではないかと、不安が過る。
すると、浮かべたアスランの表情にマリューは一瞬言葉を失った。

酷くあいまいな微笑み。
穏やかさを引きづりながら
許した心が明かす苦しみに
アスランの微笑みが歪んで、
人間臭いその表情にマリューは安堵のため息を漏らした。
やっと彼に会えた気がしたのだ。
捜索隊の隊長としてではなく、
オーブのアスラン・ザラではなく、
アスランという人に。

“こんなことを言うと無責任なように聞こえるかもしれないけれど“
そう前置いてマリューは続けた。

「カガリさんならきっと大丈夫よ。
彼女は、強いわ。」

“分かっている”と言うような表情で、
アスランはマリューから宇宙へ視線を向けた。

「恐らく、カガリは生きていると思います。
奴らの狙いは、“カガリ”ですから。」

アスランは“無事”とわ言わずに“生きている”という言葉を選んだ。
そして、“アスハ代表”ではなく、“カガリ”と。
聡明なマリューはアスランの意図を読み取り、苦味を噛みしめる。
真の狙いが分かっても、それを公にすることは出来ない・
Freedom trailの存在を、これ以上明かすことは出来ないから。
それさえも、奴らの思惑なのではないかと疑いたくなる。

「むしろ、心配なのはムゥさんの方です。」

マリューは思わぬ言葉が返され顔を上げた。
見れば、険しい眼差しを宇宙へ向けたままのアスランがいた。
奴らの目的がカガリの遺伝子であれば、
カガリの命があっても、ムゥの命の保障はない、
むしろ、目的を阻害する者は排除される。
危険なのは、ムゥの方なのだ。
ソフィアの建国レセプションでアスランが命を狙われたのと同じ理由で
ムゥの命が狙われる筈だ。

――まさかあなたは、
   その責任さえも負おうというの。

不器用な程誠実すぎるアスランのことだ、
きっと自分を責め続けてきたのだろう。
どうして護れなかったのかと、
愛する人も、
仲間も。

胸の内でマリューは苦笑する。
会議の場で“誰も責任を負う必要はない”と言い切った
その本人が全てを背負っている。

「大丈夫よ。」

返された言葉に、今度はアスランが驚く番だった。
マリューは曇りなき微笑みを浮かべていた。
心から信じているのだと
言葉にしなくても分かる。

「あの人は、不可能を可能にする人よ。」

“でしょ?”そう言って少しおどけて首を傾け、
その拍子にふわりと髪が踊る。

愛する人がここにいない痛みを知っていてもなお
不安と恐怖に惑わず、哀しみと憎しみに染まらず、
曇りなき微笑みを浮かべることができる強さ。
その心強さに、アスランは胸が詰まる。

きっと絶望の靴音は
いつも耳元を過るのに。

――マリューさんは、強い。

言葉の奥ゆきがそのまま胸にしみ込んで
アスランは瞳目する。
何故、マリューがここにいるのだろう、
そんな疑問はすぐに確信へと変換される。
彼女は自分を探してくれたのではないか、

――俺を心配して・・・っ。

「すみません。」

とっさに口を出た声は低く掠れ、余裕の無さを露呈していた。
情けないと、自分を叱咤するアスランだったが
一方のマリューはありのままのアスランの感情に、逆に安堵を覚えた。
マリューは恐れていたのだ、
もうひとり失うことを。
誰かの希望も責任も、全てひとりで背負いこみ
止まらない想いを縛め続けるアスランが
人として当たり前の感情を失くしてしまうのではないかと。

護るためであれば
例え感情であろうと
阻害するものは薙倒す。
それ程彼の想いは強く
だからこそ、今の彼は危うい。

――だから、彼にはカガリさんが必要なのに・・・。

詫びるように瞼を伏せたアスランに、マリューは小さく首を振った。

「信じましょう。
必ずもう一度会えると。
そして、
必ず救い出すことができると。」

今、彼のために自分にできることなんてたかが知れている。
彼を護るためにも、救い出さなくちゃいけない、
カガリを、
ムゥを。
マリューの強い意志が届いたのか、
アスランは苦味を帯びた表情のまま顔を上げた時
携帯用端末が鳴り響いた。
その音が時を切るように冷涼に響いたのは
これから世界が迎える時を表していたのだろうか。




 


←Back  Next→  

Top   Chapter 11   Blog(物語の舞台裏)