11-17 残光
一度呼吸を置く様に、マリューは口をつぐんだ。
目の前には机の上で手を組んだまま、静かに言葉を待つアスランがいた。――彼はどんな想いで、私の報告を聴いているのかしら。
応えの無い問いが胸に過り、マリューは苦味を飲み込むように瞼を伏せた。
平静の表情のまま、声に耳を傾け続けるアスランからは
人として当たり前の感情を読み取ることが出来ない。
その事実が、アスランに与えた衝撃の大きさを物語っているのだと
マリューは微かに唇をかみしめた。もしあの時ミーティングスペースで
この作戦を支持しなければ、違う今があったのだろうか。
そう例えばこの場所に凛と背筋を伸ばしたカガリがいて、
困ったように笑うアスランがいて。だが、そんな絵空事を瞳に描いても
瞬きひとつで現実が映される。
マリューは引き続き、機長に変わって報告を行った。「脱出ポット射出と同時に、アスハ代表が搭乗したカプルが発進。
その後、フラガ大佐が搭乗したボルジャーノン、ソフィア軍の護衛機と共に交戦。
通信の乱れから、カプル、ボルジャーノン双方と通信を行うことは困難でした。
そのため、作戦通りシャトルが退避空域まで達し、
ボルシャーノン、カプルが敵艦の爆破を防御できる位置関係にあることを確認し、
作戦を遂行しました。」アスランは手元の資料に目を落とした。
報告にはムゥもカガリも機体の能力以上の働きをしたとある。
どんな戦い方をしたのか細部に至るまで想像できる。
たとえ機体の性能が劣っていようと、それを補う分の力を持っている。
経験に裏打ちされた技術と類稀なセンス、そして驚異的な勝負強さで
2人が負けるとは考えられない。だからであろう、通信で直接確認することはできなくとも、
彼らの動きから、作戦を遂行し予定通り合流できるとマリューは判断した。
故に、躊躇わず敵艦を爆破させたのだ。
タイミングも、威力も完ぺきだった。
それは、爆破地点を確認したアスランの目にも明らかだった。ムゥとカガリが居なければ敵を引き付けられず、
マリューが居なければ敵艦を駆逐することは出来なかった。
誰かが欠けていれば、作戦を遂行することはおろか
乗員乗客を護れなかっただろう。そう、作戦は成功したのだ。
なのに、
今この場所に
2人の姿は無い。アスランは平静さを装って薄く瞼を閉じた。
せり上がる気持ちを鎮めるために。
さらにマリューが報告を続ける。
「空域を離脱し、合流予定ポイントを目指している途中で、
想定外のことが起きた・・・、いえ、判明したと言った方が適当でしょう。
我々が航路から大きく外れていることに気付きました。
恐らく、交戦するずっと前から。」一気にコンファレンスルームに緊張が走った。
先だって提出された報告書、その不可解な確信に触れたからだ。
何故最新鋭のシャトルの羅針盤が狂ったのか、
何故それに気付かなかったのか、
戻れない程に遠ざかるまで。無言のまま、鋭利な視線がシャトルの機長へと注がれる。
そうなることが分かっていたのであろう
機長は淡々と状況を説明した。「我々は航路内を順調に飛行しておりましたし、
それは機内のレーダーの記録からも明らかです。」ならば何故、そんな声が上がる中、
アスランの思考は冷たい程にクリアーだった。
疑問なんて無い、
答えは分かり切っている。「航行速度から逆算して、
敵艦に背後をつかれる前から、レーダーの故障により航路を外れていたと考えられます。
つまり、ソフィア出港後、何処かのポイントでナビゲーションシステムが故障し
誤った座標上を航行していた、と。
襲撃された空域を離脱後、ある地点を過ぎた段階でレーダーが正常に戻ったのだと。
信じがたいことですが、ナビゲーションシステムの突発的な故障と判断しました。」この不可思議な報告にコンファレンスルームの空気が濁りだす、
静かに組んだ手を見詰め続けるアスランを除いて。当時、脱出ポットのレーダーの座標が切り替わり全く別のポイントを映し出した時、
コックピット内部ではレーダーが故障したと騒ぎになった。
しかし、シェルターの位置状況からレーダーの座標に誤りが無いことが判明。
故障したと思われた時こそ、レーダーが正常に戻った時だったのだと、
誰もがそう思っていた。しかし、脱出ポットに同船していなかった者にとって、
機長の説明はあまりに不可解だった。
じわじわと濁りだした空気を切り裂く様に、
アスランの声が冷たく響いた。「恐らく、ネビュラの影響でしょう。」
驚きの声がたゆたう会議室の中で、アスランだけが切り離された世界にいる。
マリューはそんな気がしてしまった。「犯行グループが襲撃ポイント周辺空域からより広範にかけてネビュラを散布したと仮定すれば、
レーダーの異常の件、さらに交戦中の通信障害の件も説明がつきます。
さらに、襲撃前に敵艦がシャトルの背後に張り付いた理由も推測できます。
恐らく、ネビュラを散布した空域にシャトルを追い込むために。」淀みない言葉、
落ち着き払った物腰。
根拠を求めることが無意味だと感じてしまう程の説得力が滲み出ている。
しかし、アスランが平静であればある程
マリューの胸を刺す。――あなたは、今どんな想いで・・・。
「襲撃ポイントのネビュラは、その後除去された可能性があります。
恐らく証拠隠滅のために。
ネビュラを探知すれば、犯行グループの足取りが浮かび上がりますから。」そこまで発言し、アスランは視線を前に定めたまま思考を巡らせる・
マリューと機長の報告から、襲撃の際にネビュラが使用されたと見て間違いない。
だとしたら、シェルターの周辺空域のネビュラは、戦中に残されたものではなく
犯行グループによって散布された可能性も出てきた。
何のために――――襲撃ポイントを複数用意していのか・・・、
または日をまたぐ作戦も視野に入れていたか・・・。だとすれば、当然シャトルが退避するであろうシェルター周辺に
ネビュラを散布したとしても考えられなくはない。
シャトルがシェルターに退避しても、外部との連絡を絶たせることにより孤立させ
確実に仕留めるため、それが目的なのだろう。
状況証拠から浮かび上がる犯行グループの足跡から
静かに燃えるような執念を感じ、アスランは奥歯を噛みしめる。執念が指す先を見れば、
Freedom trailの文字が浮かぶ。その中央に立つカガリの姿。
欲望が君の手を掴み、
肌に触れ
瞳を濡らす。どんなに否定しても、振り切れないイメージ。
可視化されず迫る闇を
アスランは確かに感じていた。ただひとりで。
さらにマリューが続ける。「我々は予定通り、事前に定めていた合流地点であるシェルターへ向かう予定でしたが
航路を大きく外れた結果、合流地点へ向かうには燃料が不足しており
一時別のシェルターへと退避し、燃料の補給を行いました。
また襲撃されたポイントへ戻るには、
レーダーが故障したものと判断されていた当時、
襲撃されたポイントを明確に割り出すことは困難であり、
再度襲撃される可能性を考慮し、
当初の合流地点を目指しました。」マリューの判断は妥当なものだったと、アスランは認めていた。
誤った情報を頼りに襲撃されたポイントへ戻ることはあまりにリスキーだ。
それよりも、燃料を補給し状況をみつつ合流ポイントへ向かう方が、
安全で確実だ。自分が作戦の責任者であれば、
マリューと同じ判断をしていただろう。それは、認める。
――だが・・・。
機長と共に報告を行うマリュー。
一字一句聴き漏らさぬよう、神経を張り詰める担当部局のものたち。
白い壁のコンファレンスルームを一瞥して、
アスランは机上に置いていた手をそっと膝の上へと戻した。
硬く握りしめる拳。感情を抑え込むことは、
もう限界だった。
一度言葉を切ったマリューは威厳に満ちた声で報告を結んだ。
「これは、機長を代行した、私個人の判断によるものです。」
機長が即座に腰を上げ、マリューに詰め寄る。
「何をおっしゃるのですかっ。」
全ての責任を負おうとするマリューに、
機長は大きく一度首を振る。
積み上げた経験と実績による重厚さを帯びた機長の気迫。
しかし、マリューは一歩も引かなかった。「この作戦を支持したのは、私です。
責任は私にあります。」その言葉に機長が反論する。
「いえ、責任は危険を事前に回避出来なかった私に――。」
「その必要はありません。」
想いもよらぬアスランの言葉に、
その場に居た者たちは驚きの視線を当てた。「誰も責任を負う必要はありません。」
アスランは言葉を置く様に告げた。
いや、それ程彼の言葉が重みを帯びていたと言った方が適当だった。呼吸さえも遮断する空気に、
室内の音が消えた。「俺が必ず、
救い出しますから。」その言葉を最後に退席したアスラン。
残光のように白い背中が焼きついたまま、
しばらく誰も言葉を口に出せなかった。
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