11-12 忍び寄る影





マリューや両シャトルの機長をはじめ
関係者が集められたコンファレンスルーム。
テーブルに並べられたコーヒーに手をつける者は誰もいなかった。
希望を失うぎりぎりのラインに立たされている
そんな緊張感に窒息しそうな室内は
打たれた水が凍りついたように静まり返っていた。
彼らにとっての唯一の救いは、平静の表情のアスランだった。
捜索隊着任前と変わらぬ表情の彼からは
絶望の匂いがしない。
凪いだように静かな面差し、
冷涼な色彩の瞳には一筋の覚悟が見える。
アスハ代表とフラガ大佐は必ず生きていると、
そして必ず救い出すのだと
彼は迷わず信じているのだと、誰の目にも明らかだった。

その覚悟がマリューの胸を刺す。
隊長である自分の立場と影響力を理解しすぎている、
だからあんな静かな構えができる。

――違う、私達がアスラン君にそうさせているんだわ。

全身全霊で宇宙を駆け続けた捜索隊も
身を呈したアスハ代表によって奇跡的に助かったシャトルの乗客も
無事を祈り続けたオーブの民も
みな絶望の淵に立っている。
不安と恐怖を絶えず否定することは
望みを信じ続ける精神を確かに疲弊させていった。
疲れた腕からこぼれ落ちる希望、
アスランはそれを拾っては背負い続けてきたのだ。
そうすることでみなの希望を護ろうとしている。

――でも・・・。

アスハ代表を失った、アスランにとってはそれだけの意味では無い。
愛する人を失ったのだ。
想いの深さだけ刺す痛みを飲み込んで
一秒ごとに重くなる希望を背負い続けている。
今の彼の胸の内をどれ程の人が理解し、
寄り添っているのだろうか。

アスランの胸の内を誰も知らない、
だから誰もが彼に望みを託すことができるのだ。
信じることに疲れて抱えきれなくなった望みを。

目の前のコーヒーカップからは、きっと気持ちを穏やかにさせるような薫りがするのだろう。
しかし、まるで嗅覚を失ったかのようにマリューは何も感じられなかった。
そっと腹部に触れた時、
コーヒーから立ち昇る湯気が微かに揺れた。

「機長よりご提出いただいた報告書は拝読いたしました。
これを踏まえ、シャトルで何が起きたのか
具体的にお話いただけますか。」

顔を上げれば真摯なアスランの眼差しがあった。
アスハ代表が搭乗したシャトルの機長と共にマリューは頷くと
当時の状況を確かめるようにゆっくりと語りだした。

 

 


客室で最初に異変に気付いたのはムゥだった。

「ちょっとスピードを出し過ぎなんじゃないか。」

ムゥの声につられるようにマリューは窓の外へと視線を向けた。
確かに、背後に飛んでいく星の速さが幾分速まっているように思えて
ムゥと共に眉を顰めた。
シャトルはソフィアを出発し領空を越え、公空域に入って随分と時間が経過していた。
この航路であれば、公空域では一定速度を保ったまま航行する筈であろうし、
そもそも速度を上げる理由が見当たらない。

「どうしたのかしら・・・。」

何かの予感に駆られるようにマリューは腹部に手を充て
ムゥはそっとマリューの肩を抱いた。
“大丈夫さ”そう呟こうとした時、ムゥの瞳をカガリの機械鳥のポポが過る。
ポポを視線で追えばカガリのシートが映り、
現実に言葉になったのは逆のものだった。

「何かあったのかもしれないな。」

ムゥの視線をなぞるように顔を上げたマリュー。
そこで見たのは声を顰めて何かを告げている大臣と、
厳しい眼差しで頷くカガリだった。
何も無ければカガリがあんな瞳をする筈が無い。
早急にオーブへ帰国しなければならなくなったのか、
それとも・・・。

と、カガリがムゥとマリューの視線に気づいた。
カガリは一瞬何か思案するように瞳を閉じたが、
合図を送るように軽く手を上げ、目線で場所を指定した。
カガリの視線の先にあるのは乗務員用のミーティングスペース。
ムゥが浅く頷いて返答しするのを待って、
カガリはポポを肩に乗せたままミーティングスペースの方へと姿を消した。

ムゥは小さく息を吐き出して、困ったような微笑みを浮かべた。
“本当は連れて行きたくないんだけど”、そう前置いて
ムゥはマリューの肩から手を離して告げた。

「一緒に来てくれないか。
こういう時、多分この機内の中で一番頼りになるのは
マリュー、君だよ。」

“え?”とマリューは驚いた瞳でムゥを見詰めたが、
ムゥの言葉を信じて頷いた。
後になってマリューは思う、
この時既にムゥはこれから起きることを予感していたのではないかと。
勘が良すぎる、あなたのことだから。

 

 

ムゥと共にミーティングスペースへ入室したマリューは
集められた顔ぶれから事が起きたのだと確信した。
シャトルの機長、ソフィア訪問へ随行した大臣、補佐官、SP、
そしてムゥと自分。
と、カガリから気遣うような眼差しを向けられ
マリューは軽くお腹をタップして殊勝な笑顔を見せた。
起きてしまった何かを無かったことには出来ない、
ならば少しでも力になりたかった。
まるで“すまない”と呟いたようにカガリは瞼を閉じて、
そして開いた瞳は代表としての威光が宿っていた。

集まった者たちの顔を確認するように眼差しを向けた後、
カガリは口火を切った。

「単刀直入に言う。
このシャトルは何者かによって追跡されている。」

カガリの告げた事実に驚きを露わにする者はいなかった。
この場に集められた意味を瞬時に理解していたのだ、
これから何をすべきかを話し合い、
動き出すために今がある。

「追跡が開始されてから、
いや、正確にはこちら側が追跡に気付いてから間もなく10分が経つ。
熱源から判断して戦艦か、同等クラスの移送機と見られる。
所属、目的は不明。
機長より再三にわたり通信を試みたが、
相手側から切断されてしまうためコンタクトは取れない。」

ムゥは思案するように顎に手を置いたまま
機長へ視線を向けた。

「この航路ではこの時間、俺たちのシャトル以外の移送機が航行する予定は無かった筈だが、
管制は何て言っているんだ。」

すると機長はグレーの瞳を歪めて小さく首を振った。

「管制との通信が不可能な状態が続いています。
電磁波の影響か、または通信を阻害されている可能性も考えられます。」

背後から忍び寄る何者かへ通信を送ることができるのであれば
通信機器の故障の可能性は潰れる。
この空域の電磁波が乱れているとの可能性も考えられるが、
そうであれば出発前や航行中に管制から指示が来ると考える方が自然だ。
ならば、残された選択肢、つまり通信が阻害されていると考える方が最も現実的と言えよう。
機長はさらに状況を報告した。

「我々は通信が阻害されているものと判断し、
追跡を振り切るため出力を上げましたが、さほど効果は見られず
一定間隔を保ったまま背後に着かれています。」

――当然ね・・・。

マリューは冷静に胸の内で呟いた。
もしも相手方がアークエンジェルと同等の戦艦だと仮定すれば
このシャトルを優に追い越すことができるだろう。
画面に映し出された位置関係に視線を移した。

――この距離なら3分以内に追いつくわ。

ムゥは機長に確認を入れる。

「向こうからは何のアクションも無いんだな。」

「現段階では。」

そして、腕を組み直すと画面に視線を向けたまま呟いた。

「不自然だな。」

「と、言いますと?」

ソフィア訪問へ随行した外務大臣が言葉を返し、
ムゥは淡々と応えた。

「狙いによって仕掛け方は当然変わってくるだろう。
もしも狙いがこのシャトルを破壊することなら、
何も背後から追跡する必要は無い。
1発で終わるんだからな。」

マリューはムゥの意見に賛成だった。
自分が相手の立場だったら、シャトルの機長に背後に着いたことさえ気づかせず
1発で終わりにするだろう。
シャトル側に警戒されればそれだけ失敗のリスクが高まるのだから。

「では、何故彼らは姿を現したんだ?
まるで、こちらに気付かせるように。」

外務大臣の疑問に応えたのはマリューだった。

「私達を追いつめるため、じゃないかしら。
私が敵艦の艦長であれば、目標のポイントに誘い出すために
このような方法をとるかもしれません。」

それに反論したのは機長だった。

「しかし、そうであれば我々に航路を脱線させるような追い立て方をするのでは?
このシャトルは速度こそ上げましたが、航路から脱する様なことはしていませんし。」

その言葉にマリューは黙る。
機長の言うことは正しい、
もし目標のポイントが航路上なのであれば何も追い立てる必要は無いのだ。
しかし、何かが引っかかるのは何故だろう。
自分は何かを見逃しているのではないか・・・。

“いずれにせよ”と切りだしたカガリの声に
一斉に視線が集中した。

「このシャトルの破壊を狙いとしないのなら、
目的は“オーブ”か、
もしくは“私”だな。」

カガリの言葉をムゥが冷静に具体化していく。

「シャトルをハイジャックし、乗客を人質にオーブへ要求を出すか・・・。
それとも、“アスハ代表”を拉致するか、
クライン議長にそうしたように。」

言葉は体積を持つかのように空気を圧迫した。
可能性を理解していても、言葉にすれば具現化されたように重くのしかかる。
だが、この場に集まった者たちの視線は下がらなかった。
真直ぐに前を見据えて。

――最悪の未来に怯むことは無い、
そんな未来は描き変えてしまえばいい。

――描き変えられるだろう?
私たちなら。

カガリに浮かぶ微笑みは
不敵だった。

 

「万一に備え、乗客を脱出ポットへ避難させたい。」

カガリの言葉に機長は頷き、言葉を添えた。

「了解しました。乗員が誘導します。」

“それから”と、続いたカガリの作戦に
ミーティングルームにどよめきが走った。

「危険すぎますっ!
代表の御身に何かあったら・・・っ!」
「我々は代表を御護りするのが務め。
その作戦には賛同しかねます。」

矢継ぎ早に大臣やSPは異議を唱えた。
身を乗り出した彼らの動きはマリューの一言で止まる。

「良策だと・・・思います。」

「何を言い出すんだっ!
アスハ代表を最も危険な目に合わせることになるんだぞっ!」

烈火のごとく詰め寄る大臣の熱を鎮めようと
機長は落ちついた声色でマリューに問うた。

「その訳をお教え願えますか。」

マリューは機長の意思を引き継ぐように語りだした。

それを聴きながら機長は一人静かに、ひとつの決心をする。
機長は既に、有事の場合の指揮はマリューに従う心積もりを固めた。
アークエンジェルの艦長として、2度の大戦を駆け抜けた彼女に。
本来であればシャトルの総責任者である自分が負わなければならない役目であるし、
全うしたいという使命感も、積み重ねた矜持もある。
だが、乗客の安全を最優先に考えた結果の決心だった。

そして、2機のシャトルのヘッドクオーターが集まったこの場所で
既にマリューは自身の才能と実績に裏打ちされた資質を発揮していた。
あれだけ反発した大臣やSPに口をつぐませるだけではなく
ひとつにまとめ、密な協力体制を築いていく。

――彼女は、天才だ。

そう胸の内で呟いた機長は自らの言葉を訂正する。

――いや、時代が彼女の才能を、強制的に引き伸ばしたのだろう。
  本人の意思とは、きっと無関係に。

 

「さぁ、はじめよう。」

カガリの言葉に頷いて、
彼らはミーティングスペースを後にした。
生きてオーブへ帰るために。



 


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