10-9 葛藤





瞳を閉じて
最初に見えたのは
君の笑顔だった。

光の粒がはじけるような、笑顔。

護りたい、大切なもの。

世界より、
国より、
何よりも先に想ったのは、
君だった。

 

 

冷めやらぬ熱狂の中、
鮮烈な言葉を残したアイヒマンとカミュはバルコニーから姿を消した。

アスランは画面に視線を向けたまま詰まる様な喉から溜息を漏らすと、
胸の内で一気に感情が溢れ出した。

バルティカ紛争とDDR部隊のミッション、
ソフィアでのテロ、
コーディネーターの虐殺、
ラクスの失踪、
これから始まるであろう報復、
世界とオーブ、
そしてソフィアに残したカガリ。

同時並行的に進みだす思考を鎮めるように、
アスランは瞳を閉じた。

今、真実を見誤ってはいけない。

今、すべきことを見誤ってはいけないんだ。

そう想った時、瞼に浮かんだのは
カガリの笑顔だった。

――カガリ。

君のことを想う。
それだけで、常夏の風が吹き抜けるように心が軽くなっていく。

――自由はここにあるんだ。

無条件にそう想った時、
絡まった思考が一気に走り出した。

 

「部隊から2班を独立させる。」

画面から伝わる高揚感とは対照的に、アスランの声は平静な分だけ冷たく響いた。

「キッシンジャー大佐の班はスペイス駐屯地及びプラントの対応を。
そして俺の班は、これからバルティカの宮廷へ向かう。」

アスランの指示にミリアリアは空色の瞳を見開いた。
淀みない口調から、アスランはある程度の目算の上で指示を出していることは読み取れた。
だが、この状況で動くよりも先に情報収集をすること、
国からの指示を待つことが定石なのではないだろうか。
そこまで考えが廻った時、ミリアリアの思考は逆回転を始める。
そう、あくまでそれは“定石”で、
今、目の前にいるのは“アスラン・ザラ”なのだ。
そう思えばアスランの指示は大地にしみ込む水のように吸い込まれた。

それを証明するのは、DDR部隊の仲間たちの表情だった。
彼らは驚きの表情を明かしながらも、アスランの言葉を受け止めているように
ミリアリアには見えた。

アスランはDDR部隊の仲間たち一人ひとりの顔を確認した。
きっと、この仲間たちと共にDDRを遂行することは出来なくなる。
それは1週間後か、数時間後か、分からない。
だけど。

「本来であれば、バルティカ、プラント双方の情報収集を強化し、
本国の指示を待って動くべきだろう。」

それ程世界は今、緊迫した状況だ。

「DDR部隊の今後の任務についての通達が来るまで、そう時間はかからないだろう。
通達が来次第、軍本部の指示に従ってほしい。
だがそれまで間は、出来得る限りのことをするつもりだ。」

そこでアスランは一度言葉を切り、
DDR部隊一人ひとりに語りかけるように言葉を紡いだ。

「DDR部隊としても、
俺個人としても。
出来得る限りのことを、全て。」

アスランの言葉から覚悟を読み取ったDDR部隊は息を飲んだ。
それとは対照的に、アスランはまるで微笑むように穏やかな表情で言葉を続けた。

「俺の行動に問題があったなら、本国へ報告してくれて構わない。
通達が来次第、俺も従う心積もりではいる。
それまでのわずかな時間で何が出来るのかは分からない。
だが、この場所を、ここの人々を、
このテロに巻き込んではいけないと、俺は思う。
だから。」

不器用に紡がれる真摯な意思に、DDR部隊の顔が晴れていく。
そして部隊の中で最も経験豊富な初老の武官が笑いながら応えた。

「我々は隊長についていく所存です。」

そうだろうと言わんばかりに初老の武官が振り返れば、
仲間たちは一様に頷いては晴れやかな笑顔を見せている。
本当に、良い仲間に恵まれたと、心から想う。
そんな彼らに対して、アスランが向けられる言葉は一つだけだった。

「ありがとう。」

 

 

言葉通り、アスランはすぐにバルティカの宮廷へ向かうため車に乗り込んだ。
バルティカの立法機関は帝国議会であり、執行機関は行政府であるが、
一国の全権を掌握しているのは皇帝であるユジュである。
そのため、国家に関わる重要な案件は全て皇帝ユジュの承認を要する。
もしバルティカが動くのであれば、今ごろ騒がしくなっているのは
帝国議会でも行政府でも無く、宮廷内部だ。
ユジュの承認を得ようと、バルティカの首脳が集まっている筈である。

行政府へは継続して交渉に当たるよう、残してきた部下へ指示を出していたが
状況が緊迫すればする程、バルティカの対応は硬化し聞き入れられなくなる。
だからアスランは直談判という懸けに出たのだ。
可能性は限りなく低く、どこまで話ができるかは分からない。
だが、もし首脳と接触できれば得られるものは大きい。
バルティカの真意と、向かう先を読み解く糸口をつかめるかもしれないのだから、。
そして、これまで幾度と無く空振りに終わった皇帝ユジュとの謁見も叶うかもしれない。
皇帝と会って話さなければならない、アスランはそう確信していた。

ミリアリアはアスランの隣の席に腰掛け
さりげなさを装ってその横顔を見た。
速度を麻痺させるような白の色彩を背景に、
真っすぐ前を見据える翡翠に何が映っているのであろう。
眼差しに迷いが無い分、ミリアリアが抱いた疑問は深まっていく。
ひとつはキラとラクスのこと、
そしてもうひとつはカガリのこと。
ミリアリアが口を開こうとした時、意外にも話しかけてきたのはアスランの方だった。

「どうして同行を希望したんだ。」

「あら、EPUの同行を願い出たのはそっちでしょ。」

やり返してきたミリアリアに、アスランは苦笑した。
世界情勢が緊迫する中で、バルティカの市街地へ出るには危険が伴う。
DDR部隊の活動拠点である施設内に留まる方が絶対に安全な筈なのに、
当初同行を予定していたEPUの男性に代わって同行を希望したのは
他でもないミリアリアだった。

ミリアリアはくすくすと笑みを零しながら、チロリと舌をだした。

「これも、女の勘。」

またしても不可解な返答に、アスランは言葉を詰まらせた。
しかしすぐにミリアリアは凛とした声で真実を告げる。

「バルティカの宮廷に行く方が、きっと世界が見える気がしたの。」

ミリアリアは髪を耳に掛けながら、
“やっぱり答えになってないかな”と呟いて、小さく笑った。
ミリアリアの言葉は素直に心のままなのだろう、
それが分かるからアスランは何も言わずに視線を前に戻した。

その時、ディアッカから託された言葉が胸を過った。
“ミリィのこと、頼むな。”

――分かっている。

馳せた視線の先に戦友の姿を描いて、アスランは胸の内で呟いた。

次に問いかけたのはミリアリアの方だった。
同乗している他の者には聴こえないように、薄い声で。

「キラとラクスのことは、良かったの?
それに、ソフィアに残ったカガリのことも・・・。」

ミリアリアはアスランのどんな小さな仕草も見逃さないように視線を当てた。
するとアスランは、前を見据えていた瞳を歪ませ、硬質な声で応えた。

「良い訳が無いだろう・・・。」

膝の上に置かれた掌をきつく握りしめる。
音も無く伝わるアスランの憤りを知りながら、なおもミリアリアは問うた。

「でも、あなたはバルティカの地でDDR部隊として動くことを選んだ。
それは何故?」

ラクスが消息を絶った。
その事実は確かにアスランの心を揺さぶったであろう。
しかし、アスランは不可解な緊急国際放送を繰り返すラクスと
ラクス救出のために尽力しているというキラに関して一切触れなかった。
そして、コーディネーターとナチュラルの緊張関係が一気に高まった中で
ソフィアに残ったカガリの身に、いつ火の粉が降りかかるか分からない。
それにも関らず、アスランはDDR部隊の任務遂行に専念しようとしているように見えた。
その姿がミリアリアには不自然に映ったのだ。
誠実すぎる程親友と戦友を大切にするアスランが、何故と。
愛する人を想いながら、どうしてと。

たたみかけるようにミリアリアは問いかける。

「あなたがオーブの軍人だから?」

「DDR部隊の隊長として、
今バルティカを離れる訳にはいかないから?」

「それとも・・・。」

残酷な問いかけをしていると、ミリアリアは自覚していた。
しかし、問わずにはいられなかったのは、
それがバルトフェルドから託された裏任務に直結するからだけではない。
純粋に知りたかったのだ、
今どんな気持ちで平和を築くための行動に出ているのか、と。
大切な人が危険にさらされている今、
自分の力を、
その人を護るためではなく、
他の誰かの平和のために使う。
そこに葛藤は無いのか、と。

アスランは口元に苦渋を滲ませたが
呼吸を整えるようにゆっくりと息をつき、
徐に軍服の胸元に触れた。

「今すべきことも、出来ることも、この場所にある。
だから、立ち止まらず前に進んでいいんだと。
きっと、そう言われる気がした。
だから。」

そう言って優しく緩めた瞳の先に誰を描いているのか、
分からないミリアリアではない。

――アスランの背中を押すのはいつも、
   カガリなのね。

ミリアリアはふわりと微笑みを浮かべて応えた。

「私も“誰かさん”なら、きっとそう言うと思うわ。
ま、“誰”とは聞きませんけどね。」

そう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべたミリアリアに
やはりアスランは何も言えなくなった。



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