10-8 創られた悲劇
「我らの希望であり、平和の女神である、
ラクス・クライン議長も、その一人である。」アイヒマンの信じがたい発言に、カガリは画面に詰め寄った。
「どういうことだっ。
プラントは、ラクスは静養中と発表していたではないか。
それに、」過る一抹の不安を振る切るようにカガリは首を振った。
「それに、テロのあった直後から
ラクスは緊急国際放送で歌声を届けているだろう。
あれを何と説明するんだっ。」ラクスがテロの被害に遭ったことが真実であるのならば、
テロ直後のラクスの歌声が嘘になる。
しかしカガリは、当時のラクスの歌に不自然さを感じていた。
テロの直後にも関わらず、ラクスはテロに触れず、
平和への希求だけを純粋に祈るように歌っていたのだ。
ラクスであればテロを無視して平和を祈るはずが無い。
だとすれば同時に、先に挙げた解は破たんする。
ラクスがテロの被害に遭ったことが真実で、
テロ直後の歌声が嘘なのだと。そこまで一気に思考したカガリは、きつく唇をかみしめる。
「どうして・・・っ。」
テロに遭遇して無事で済む可能性は限りなく低い。
プラントが秘匿し続けた事実が、
その被害の大きさを物語っていることくらい分かりきっていた。
唯一望みがあるとすればそれは、
ラクスが今も幸福な微笑みを浮かべ、歌を歌うことができること、
それだけだった。希望の火が揺らめきそうになる。
カガリは左手を右手で包み込み、ぐっと胸に押し当てた。
半身と、親友の名をつぶやいて。
バルティカのDDR部隊は、アイヒマンの言葉にどよめいた。
それまで凪いだように静けさを保っていた会議室の空気は、一瞬で混乱の色に染まった。
ミリアリアは息を飲み、ふさぐことが出来ない唇に震える指を当てた。
アイヒマンの言葉の持つ重みに捕らわれ、体は動かない。
と、視界の端にアスランを捉えミリアリアは肌が粟立つのを覚えた。
画面の中の民衆も雪に包まれたこの会議室も一様に
混乱のどよめきに満たされているのに、
アスランは平静と変わらぬ表情でアイヒマンを見詰めていた。
その空間だけ世界から切り離されているかのようだと、ミリアリアは思った。
しかし、ふと気がつく。
世界から切り離されたのは私達の方かもしれないと。
今の自分は、重力を失って、寄る辺なく空間を漂う感覚に似ている。
そう直観したミリアリアは唇をぐっと噛み、前を見据えた。
地に足をつけ、動き出した時の流れにのまれぬように。一方のアスランは灼熱を宿した瞳でアイヒマンを捉えていた。
真実を射抜くように、真っすぐに。
ラクスがテロに遭遇したとの言葉がアスランに衝撃を与えなかったと言えば嘘になる。
大切な仲間を失う感覚が、アクチュアリティを伴って一気に心臓を押しつぶす。
しかし同時にアスランは残酷な程冷静に、納得している自分に気付いていた。
ラクスがテロに遭遇していたとすれば、多くに説明がつくのだ。
何故、キラとラクスと連絡が取れなくなったのか。
何故、建国式典を欠席したのか、
そしてメイリンに贈った映像と同様の映像が流されたのか。
しかし、それだけでは説明がつかないことがある。
何故ラクスは、緊急国際放送で歌を歌い続けるのかということだ。
ラクスがテロに遭遇し、これまでプラントが秘匿し続けてきたことから見て
ラクスが被った被害は想像を避けたくなる程のものである可能性が高い。
だとしたら、あのラクスは一体何なのであろう。そしてもう一つ、アスランの思考を支配するものがあった。
不安にも似た恐怖が、可視化されずに迫ってくる。
何故、アイヒマンはこのタイミングでラクスのことを発表しのだろうか。
その意図は。――争いの火を焚きつけるため・・・。
残酷な程冷静な思考が至った答えはそれだった。
もし自分が開戦を望むのであれば、同じ手段を採るだろうから。アスランの望まぬ予感は、数秒後に世界で現実のものとなった。
議事堂前を埋め尽くす民衆の悲鳴とどよめきが止まらぬまま、
アイヒマンは悲痛に歪んだ表情で言葉を紡いだ。「平和の女神、ラクス・クライン議長は、
ソフィア建国式典へ出席するためプラントを発ったまま消息不明になり、
懸命な捜索の結果、クライン議長が搭乗していた移送機だけが発見された。
その移送機には激しい攻撃を受けた跡が残されていた。」「テロが起きた後、緊急国際放送によってクライン議長が突然姿を見せた時、
私は心底驚き、生存に安堵し、そして何より耐えがたい怒りを覚えた。
女神の名にふさわしい清らかな歌声で平和を呼びかけたクライン議長は今、
何者かによってその自由を奪われているのだ。」息を詰めていた民衆から悲鳴が上がった。
ある者は両手で顔を覆って泣き崩れ、
ある者は慰め合うように肩を抱き、
ある者はやり切れぬ思いで大地を踏みつけた。アイヒマンは民衆の哀しみを吸い込むように深く呼吸をし、
言葉を続けた。「現在、クライン議長のフィアンセであり、
そして我らに平和をもたらした蒼き戦士、
キラ・ヤマト隊長が総指揮を取り、
救出に全力を挙げている。」英雄の名が蒼穹に響く。
絶望の淵で見た希望の光のように、
民衆は歓声を上げた。
祈りのように英雄の名を唱えて。別々の色彩を放つ感情、
それが唯一の希望へとひとつになっていく。そこへ、真実が恣意的に下される。
「だが。
我らの同胞の命と平和の女神を奪い、
我らの自由と正義と平和を打ち砕いたこの行為を、
誰が許すことができるであろうか。」それが真実として、
人々の心に刻まれる。「プラントは、ソフィアと共に、
テロの撲滅に全力を注ぐことをここに宣言する。」地鳴りのような歓声が轟く。
その声にかき消されながら、
その声に姿を窶しながら、
アイヒマンは決定的な言葉を投げかけた。「私はコーディネーターの総意として、世界に呼びかける。
我々の自由と、正義と、再び築いた平和を脅かす悪を、
我々は許すことはできない。
我々は、テロ撲滅のためにあらゆる手段を排除しない。
そして、テロの根源とそれをかくまう者たちの区別をすることは無い。」
アスランは苦渋に満ちた表情で拳を握りしめた。
アイヒマンの演説の裏に描かれた計算はシンプルで、そして絶大な効果を発揮した。
それが分かりすぎてしまうから、アスランは憤りを抑えきれなかった。
アイヒマンはラクスを悲劇の女神に仕立て上げ、民衆の感情を煽り、
共感によって人々を一体化させ、そしてひとつの目的へと向かわせたのだ。
報復へ。アイヒマンは“テロの撲滅”と言った。
それは遍く人々が願う、夢だ。
しかしアイヒマンは美しい言葉に隠しながら
ナチュラルとコーディネーターという人種の境界線を明確に引いていた。「何が、コーディネーターの総意だ・・・っ。」
アスランの言葉に、ミリアリアは顔を上げる。
ナチュラルと共に平和を築こうと尽力してきたアスランの言葉だからこそ、重く響く。
ミリアリアはどこか嘆くようにつぶやいた。「まるで、創られた悲劇ね。」
人の心を引くミリアリアの言葉に、アスランの部下が意味を問い返した。
するとミリアリアは怜悧な眼差しを画面に向けたまま応えた。「何が真実なのか、まだ分からないのに、
既にそこにある悲劇に人々が涙しているから。」アイヒマンの言った言葉の全てが真実であるという保証はない。
むしろ、煽情的に事実を誇張した可能性だってあるのだ。
ラクスが本当にテロに遭遇し、今も行方不明であるのか。
本当にキラはラクスの捜索を行っているのか。
プラントの狙いは本当にテロの撲滅であるのか。だから、誰かの言葉に流されて、見誤って、失ってはいけないんだ、
自分の真実を。
アスランはゆっくりと瞼を閉じた。
今、動き出す時の中で、
自分に出来ることは何だろう。
何度も何度も問い返した問いを、もう一度呟いた。
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