10-7 沈黙の果て





バルコニーに立ったカミュが厳かに歩み出ると
民衆は高らかに拳を掲げた。
瞳に憎しみの覚悟を湛え、
迸る感情を叫んで。

カミュは静かに瞳を閉じた。

その光景は建国式典の演説の時の姿に重なる。
まるで天使が福音に耳を澄ますように瞳を閉じた、あの時に。

しかし今、民衆が仰ぎ見る彼は
まるで天使が涙を飲み込むように瞳を閉じた。

宗教画のように神聖ささえ感じさせる光景に、
沈黙が落ちていく。
雪が音も無く大地を白く染めるように、
人々を沈黙に染める。

言葉無く始められた黙禱。
馳せられた祈りは、ひとつだった。

 

 

祈りは、確かに誰かに届く。
そのことを知っている。
カガリは画面を隔てた向こう側へ眼差しを注ぐ。
どうしようもなく心が震えるのは、
ひとつの祈りが響くからだろう。

カミュが瞳を開く。

あの琥珀色の瞳には何が映っているのだろう。
何処か遠くで、カガリはそんなことを考えていた。
そして同時に思うのだ、
いつもお兄様は私に問いかけるばかりであったと。

 

 

「聴こえるだろう。
幾重もの声が。
遠く響く鐘の音が。」

「見えるだろう。
無言の怒りと
抱えきれぬ哀しみを分け合い、
滲む涙を拭い
共に手を取り合う、
同胞たちが。」

「瞳を閉じれば聴こえるだろう、
潰えた命の音が、
見えるだろう、
共に夢を描いた同胞たちの姿が。」

そしてカミュは、建国式典演説と同じ言葉で呼びかける。
歓喜の響きで満ちた言葉たちが今は、
人々の心を深く重く震わせる。

「私にできることは、ただ問うことである。
何を願い、
何を望み、
どんな未来を描くのか。」

「そして、私が捧げることができるものは、
ただ血と汗と、涙と労苦だけである。」

「自由を手にした英雄たちよ、
私はもう一度、あなたに問いたい。
何を願い、
何を望み、
どんな未来を描くのか。」

「そして胸に手を当て、共に問いたい。
国家があなたに何をもたらすかではなく、
あなたが国家に何ができるかを。」

「私はもう一度、心から呼びかけよう。
絶えなき精励によって切り開かれた世界で
自由を前に臆することは何も無い。」

自由を果たした喜びと誇りを胸に刻んだ言葉を、
人々は唇にのせる。
憎しみと哀しみを胸に抱いて、
あの時と同じ言葉を。

「歩みを遮ることができるものなど
何も無い。」

折り重なる声が、
うねりのように広がっていく。

「英雄たちよ、共に歩もう。
自由へと続く道を。」

声が、宇宙を震わせた。

 

 

抗えぬ速さで時代が変わる、
人が突き動かしていく。
新たな時の幕を開け放つのは、
いつの時代も人の手だ。

アスランはカミュの演説に焦燥を滲ませる。
カミュの演説はシンプルだが巧妙だった。
建国式典演説と、テロの後に行った演説を引用することで、
国民の胸に鮮明に刻まれていた言葉を、
別の意味を持って蘇らせたのだ。
“テロに屈することなく、立ち向かえ”、と。
カミュの言葉から国民の胸に一つのイメージが形成されて、
しかしそのイメージは繰り返された歴史によって歪曲する。
“同胞を撃った、ナチュラルを討て”と。

同じ覚悟を胸に燈した民衆へ向かって
今カミュが“開戦”の言葉を口にするだけで
彼らは武器を手に立ちあがるだろう。
いや、カミュの言葉など無くとも、
彼らは自ら動いていくだろう、争いの時代へ。

望まぬ確信を持って、再度アスランは画面へ視線を向けた。
議事堂前の広場が同じ熱気で一色に染まる中、
画面の中のカミュはついにテロとの戦いを宣言した。

――テロとの戦い・・・か。

ついに来たこの時に、DDR部隊の駐留するバルティカは
雪の降る音が聴こえる程静かだった。
アスランは瞼を伏せて思考を一気に巡らせ、今後の対応の算段をつけていった。
カミュの宣言はアスランの想定内のものだった。
カミュはテロ組織の捜索とあらゆる予防措置を行うと述べたに留まり、
直接的に報復作戦については言及しなかった。
しかしテロがソフィアで起きた以上、国民は報復を切望するだろう。
そしてダンスホールの犠牲者の半数以上がプラントからの列席者であったことから、
ソフィア・プラント共同で報復作戦を開始すると見て間違い無い。
だが未だテロ組織が特定されていないため、
報復作戦が実行に移されるまでには数日を要するであろう。
その数日間の間に、世界の均衡と平和を保つために何ができるだろう。

――だが・・・。

アスランは翡翠を思わせる瞳を真直ぐに向けた。
カミュの横に立つアイヒマン副議長から感じる違和感は何処から来るのだろうか。
キラやラクス程勘が良い訳でもないし、もともと直観よりも論理を優先させている。
それでも沈黙を貫くアイヒマン副議長に、アスランは言い知れぬ不安を感じていた。
画面の中のアイヒマンは犠牲者へ祈りを捧げるように胸に手を当てたまま
厳格に口元を引き結んでいる。

――アイヒマン副議長は何をするつもりなんだ・・・。

テロ直後のダンスホール、
ラクスの歌声が響く中で見たアイヒマンの表情が脳裏に浮かぶ。
偶然にも視線がぶつかった時、アイヒマンはあまりに鋭い眼光を光られた。
眼光に込められた意味を知ることは出来ないが、
アイヒマンが何かを覚悟してこの場に立っていることは分かる。
そしてその大きさも。

 

画面の中のアイヒマンが歩み出て
これまでの沈黙を打ち破るような力強さで語りかけた。

「邪悪で卑劣なテロという行為によって、
我々の自由と正義が打ち砕かれた。
しかし私は確信を持って世界に宣言したい。
何人も我々の自由と正義を、奪うことも絶やすことも出来ないのだと。」

アイヒマンの言葉に共鳴するように、力強い民衆の拍手が上がる。
しかしアイヒマンは一変して涙を隠すように瞼を伏せた。

「しかし、我々には取り戻せないものがある。
奪われた命と、
悲劇をもたらした時と、
そして打ち砕かれた信頼である。」

アスランは驚愕に瞳を見開いた。
彼の言う信頼とは何を指しているのだろうか。
国際協調のため国と国の信頼であろうか、
それとも、人種で隔てられたナチュラルとコーディネーターの信頼であろうか。
息を詰めてアスランはアイヒマンの言葉を待った。

――アイヒマン副議長は、一体何をっ・・・。

「ダンスホールで行われたのは、コーディネーターの虐殺である。
それは、国や人種を越え、手を取り合った2年間に築いた信頼を持ってしても、
覆せない真実である。」

カミュの演説はテロ被害を受けた国家として、テロに立ち向かう内容に留まっていた。
しかし、アイヒマンが発したこの言葉ひとつで、全てが急進的に開戦へと傾いていく。

さらに画面の中のアイヒマンは、決意を示すように拳を硬く握りしめて言葉を紡ぐ。

「信頼は、打ち砕かれたのだっ。」

 

 

「・・・違う・・・。」

カガリは真実を射抜くような眼差しでアイヒマンを見詰めながらつぶやいた。

「壊れても、失くしても、途切れても、
何度だって結びなおすことができるんだ、信頼は。
そうだろう。」

カガリの問いは誰に届くことも無く消える。

――そうやって、人は生きてきたんだ。

信頼は取り戻せないものだと語ったアイヒマンも、
あの場に集った民衆も、
まだ見えぬ同じ想いの人々も、
信頼の強さを知っている筈なのに
どうして真実を見失うのだろう。
どうして真実は儚いのだろう。

カガリは真実を瞳に映したまま、哀切に歪ませた。
その瞳をアイヒマンがこじ開ける。

 

 

「このテロの被害者は、不幸にもあのダンスホールにいた者だけではない。
このテロにより、心を痛めた全ての人だけではない。
我らの希望であり、平和の女神である、
ラクス・クライン議長も、その一人である。」



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