10-4 会いたい人に会える世界




ラクスの歌声は緊急国際放送によって
全世界で同時に響いた。
まるで世界を1枚の薄桃色のベールで包み込むように
世界にただ一つの旋律が響き渡った。

 

 

カガリはその歌声を、ソフィアのホテルの一室で聴いた。
画面に現れたラクスを驚いた瞳に映したまま、
カガリは覚束ない足取りで画面に触れた。

澄んだ泉のような歌声も、
祈りを捧げるように胸の前で手を重ねる仕草も、
風に靡く豊かな髪も、
幸せな微笑みも、
みんな、カガリが大好きなラクスそのものであるのに、
カガリは知らず拳を握りしめ、滲んだ瞳を歪ませた。

どうしてラクスは、こんなに幸せそうに平和の歌を歌えることが出来るのだろう。
ソフィアでテロが起きて、沢山の命が奪われて、
今、人々は世界が傾く音に怯えているというのに。

ラクスが、世界を無視して平和を祈る筈が無い。

だとしたら、答えはひとつだ。
ラクスの空色の瞳には世界が映っていない。

カガリは天使のように微笑むラクスの瞳を見詰めた。

――なぁ、ラクス、
   今ラクスは何処にいるんだ・・・。

その時、カガリはふと顔を上げて辺りを見回した。
何故だかキラの声が聴こえた気がした。

――キラ・・・?

しかし、この部屋にも窓に広がる空にもキラがいる筈は無く
カガリはそっと胸に手を当てた。
キラの声に耳を澄ませるように。

 

丁度その時だった。
部屋の扉から控えめなノックの音が響き、秘書官が対応するため席を立った。
扉を開けばそこに、シックなスーツに身を包んだ女性が立っていた。
年齢を重ねた上品さが漂うスーツの襟元に光るブローチから、ソフィアの官僚であることがわかり、
さらに彼女の背後には護衛としてソフィアの軍人が2人控えていた。
用件を伺おうとした新米秘書官のモエギをカガリは片手を上げて制止させ、
自ら前に出た。

このホテル全体をソフィア軍が警護していくれている、
また政務室をして充てたこの部屋の周囲はオーブ軍が、
そして室内にはSPも控えている。
安全面は出立前にアスランがしつこい程に入念にチェックを入れていたため、
確保されているとカガリは踏んでいた。
ソフィア建国レセプションの会場内でテロが勃発した事実を鑑みれば
この場所が完全に安全だとは言い切れないが、
それ以上にカガリは信じたかったのだ。
安全を確保するために尽力してくれたアスランと、オーブのみんなと、
そしてソフィアという国を。

だからカガリは自ら前に出て来訪者を出迎えた。
すると女性はしとやかに頭を下げ、
ハルキアス大統領からの使いであることを説明した。

「会談が延期となり大変ご迷惑をおかけいたしましたこと
心からお詫び申し上げます。
しかし、残念ながら会談を行うことがさらに困難になる恐れがございます。」

カガリは真実を射抜くような瞳で彼女を捉え、続く言葉を待った。

「間もなく、プラント、ソフィア合同で“あること”が発表される予定です。」

カガリは見開いた瞳を苦渋に歪ませ、緩く首を振った。
“あること”が何かは大方見当がつく。
カガリが唇を噛んだとき、
女性の官僚は美しく彩られた唇をカガリの近くに寄せた。

「どうか、出来るだけ早くソフィアを離れるようお支度を。」

驚きに、カガリの肩で跳ねた髪が揺れた。
カガリは一個人として誠実に伝えてくれる彼女に、ありのままの気持ちで応える。

「もう・・・戻れないのか。
ソフィアは、プラントは。
いや、世界は。」

女性の官僚は何も言わず視線を伏せ、それが何よりもの答えとして突き付けられた。
彼女は小さく息をつくと、口元に儚げな笑みを浮かべた。

「ハルキアス大統領から、内密にアスハ代表にお伝えするようにと。
シャトルも緊急で手配いたしましたので、
ソフィアに宿泊しているオーブ関係者や一部の民間人も直ぐにご帰国出来ますでしょう。」

カミュの心配りにカガリは胸を痛めた。
その厚さの分だけ事態の深刻さと緊急性を感じ取る。

「御厚意に心から感謝する。
これから行われるという発表を待って、オーブとしての答えを示したい。」

そして視線を部屋に設置された大画面に流した。
先程のラクスの放送と同様に、これから行われる発表は
歴史を動かすものになるであろう。
それを見届けてから、決断したいとカガリは思う。

若さの中に流れる威厳に女性の官僚は目を瞠り、
そして何故、ハルキアス大統領がアスハ代表に積極的なアプローチを図ろうとしたのか
その気持ちが分かる様な気がした。
だからであろう、彼女はふわりと口元にたおやかな笑みを浮かべると
こっそりとカガリに伝えた。

「それから、ここだけのお話ですけれど、
大統領は、もっとアスハ代表とお話をされたかったようですわ。
アスハ代表のことを、とても楽しそうに話されて・・・、
建国式典でお会いできるのを、まるで子どものように目を輝かせて待っていたのです。」

「えっ。」

彼女が楽しそうに語る真実にカガリは驚いて小首をかしげ、
顎に細い指を這わせては天井を見詰めた。

「そうか・・・、全然知らなかった。
だが私もお兄様・・・じゃなかった、ハルキアス大統領にお会いできて
とても嬉しかったぞ。」

そう言って陽の光のような笑顔を見せるカガリに、彼女はくすくすと笑いながら応えた。

「そうですわ、ハルキアス大統領もおっしゃっておりました。
“アスハ代表を妹のように想っている”と。」

カガリはぱっと頬を染めはにかんだ笑みを浮かべた。
その仕草は年相応の可憐さがあって、彼女の笑みは益々深まった。

“ですから。”
そう言って彼女はカガリの手を取り、願いを込めるようにぎゅっと握った。
カガリはその手の暖かさに、人の心を想った。

「どうか、もう一度ソフィアにいらしてくださいませ。
そんな世界を、きっと誰もが望んでいる筈ですわ。」

 

 


洗練された仕草で一礼し、女性の官僚は退室していった。
カガリは手に残ったぬくもりを見詰めるように、掌を太陽に透かした。

――会いたいと思う人に、会える世界・・・。

それは当たり前の世界の筈なのに・・・。
そんな世界を、きっと誰もが望んでいる筈なのに・・・。

カガリは伸ばした掌をぎゅっと握った。

この手は同じなんだ。
人種が異なっても、国が違っても、
文化や年齢や性別が違っても、肌の色や髪の色が違っても、
人は手を繋ぐことができる。

――みんなが望む世界はきっと、みんなと共に実現できる筈なんだ。

そしてカガリは覚悟を決めた。
これからどんなに世界が傾いても、人を信じようと。


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