10-29 わすれなぐさ





キラを抱えたニコライ等の背中を見送っていたアスランは

「あなたも立ち去りなさい。」

修道女の声で視線を変えた。
エネアと呼ばれた彼女には聞かなくてはならないことがある。
青いスカートの裾に隠れた紅い髪の少女にも。
アスランは真実を射抜くような眼差しで問うた。

「この礼拝堂へラクスは来たのでしょうか。」

修道女の表情はベールに隠されて伺い知ることは出来ない。
しかし、“ラクス”という言葉を聞いても
彼女の纏う空気は湖のように波立つことは無かった。
この空気は真実を物語っているのか、それとも堅く胸の中に閉じ込めているのか。
アスランは真実のカケラさえも逃さぬよう、真っすぐな視線を向けていた。
すると修道女は、経典の言葉を引用するような語り口で応えた。

「わたくしはお見かけしておりません。」

あまりに自然に紡がれた言葉。
そこに不自然さを感じるのは、この礼拝堂がラクスの映像に酷似しているからだ。
そう例えば、あの壁の前で歌うラクスが見えるような気さえしてしまう。
この床の何処かにあのアミュレットが落ちているような。
何も応えないアスランの様子から自分が疑われていると判断したのであろう、
彼女はさらに言葉を続けた。

「ここは礼拝堂です。
ここでの嘘、偽りは、
そのまま神への嘘、偽りになります。」

神に仕える者が礼拝堂で偽りを口にすることなど許されない。
この唇を揺らすのは真実だけ。
感情を欠いた彼女の言葉に宿るのは純粋な信念だけだと、アスランは感じた。

――“ラクスを見ていない”との言葉は偽りではないのだろう。

だが、彼女はラクスの姿を見ていないだけで、
ラクスがここに居なかったとは言っていない。
アスランは真実への間合いを詰めようにも、
彼女の立ち姿に隙を見出すことが出来なかった。
これ以上何を問うても同じ応えしか返さない、そのつもりなのであろう。

修道女の言葉を受け入れ、アスランは浅く頷いた。
そして紅い髪の少女の前へと歩み出ると、目線を同じくするように肩膝をついた。
無垢な子どもを前に、無条件にアスランの表情は穏やかになった。
子どもを前にして、ありふれた神聖さに気付かされる。

「君にも聞きたいことがある。
君の名前を教えてくれないか。」

エネアの青のスカートの裾に隠れていた少女は
アスランを見定めるように大きな瞳でじっと見詰めていた。
穏やかな微笑みは、大人がよくするような貼り付けた作りものではなく、
翡翠のような瞳から真摯なまなざしを感じる。
少女は握りしめていたスカートの裾を離すと、
ちょこんと前に歩み出た。

「私の名前は、ミオよ。」

「ミオか。素敵な名前だな。」

「そうよ。
お姉ちゃんがつけてくれたの。」

ベールで顔を隠していても分かる程の笑みをこぼしながら、
ミオと名乗った紅い髪の少女はエネアを仰ぎ見る。
エネアは緩く頷いて、ミオの頭を細い手で撫でた。
ミオのしぐさにはひとかけらの偽りも感じられず、
アスランは言葉のままに信じた。
しかし疑問は残る。
何故キラはミオのことをフレイと呼んだのか。
例えば、ミオはフレイの親類に当たるのではないか。

「お姉さんと一緒に暮らしているのか。」

アスランは言葉の外でミオの家族について尋ねる。
他に家族はいないのかと、戦争を繰り返した時代に生きる子どもには聞けなかった。

「そうよ。
ずっと2人きりっ。」

そのアスランの意図を感じ取ったのであろう、ミオは的確に応えた。
アスランは幼いミオが見せた聡明さに驚きながらも、
“わかった”と伝えるように頷いた。
そして、最後にアスランはミオに問うた。

「“フレイ・アルスター”という女性を、知っている?」

その瞬間、ミオの体が強張ったのをアスランは見逃さなかった。
そしてミオは感情の抜け落ちた声で応えた。

「私の名前はミオ。
ミオ・ソティスよ。」

ベールで表情が隠れていても伝わる鮮やかな感情が、一瞬にして消えた。

――ミオはフレイを知っている?

予感に駆られるように、アスランはさらにミオに問いかけようと
吸い込んだ息はミオをかばうように前に歩み出た修道女、エネアに阻まれた。

「ここは礼拝堂です。
民が集い、祈りを捧げる場所なのです。
早く立ち去りなさい。」

これまで泉のような静けさを纏っていた修道女が初めて見せた感情の波に
アスランは確信する。
エネアと名乗った修道女も、ミオと名付けられた少女も
それぞれの言葉に偽りは無かったのだろう。
だが真実の全てを語った訳ではない。

――彼女たちには語り得ぬ何かがあるのではないか・・・。

礼拝堂の中で、神の前では紡ぐことが許されない真実を
彼女たちは胸に秘めているのではないだろうか。
アスランはそこまで思考が至ると同時に、
修道女の言葉に従い立ち上がった。
この仮説が正しいとすれば、これ以上彼女たちに問う事は無意味になる。
何故なら、彼女たちは“語り得る真実”以外、何も言わないのだと分かってしまったから。
ミオはエネアのスカートの裾をきゅっと握って、
ベールに隠された顔を真直ぐにアスランに向けていた。
その時、ふとアスランは思い至る。

――ミオソティス・・・、
わすれなぐさのこと、か。

そう言えばと、彼女だちの修道服の色彩はわすれなぐさの色だと気付く。
エネアはどんな想いでミオと名付けたのだろう、
答えが返らぬことが分かり切った問いがまた一つ浮かんで、アスランは踵を返した。

修道女はアスランが背を向けたことを確認すると、
そのまま少女の手を引いて祭壇横の扉の方へと歩みを進めた。
その歩調は少女の足がつかえる程で、仮説が現実味を帯びてくる。
何も問う事ができない以上、仮説を証明することは叶わない。
礼拝堂からも、そして間もなくバリティカの地からも立ち去らなければならなのだろう。
その前に、人としてしなければならないことが残っていた。
アスランは修道女の背中に呼びかけた。

「最後に、祈りをささげてもよろしいでしょうか。」

修道女は振り返ることは無く声だけを返した。

「ここで祭っているのは、バルティカの神です。
あなたの神ではないのでは。」

丁寧な言葉に帯びる厳格な響きに、彼女が抱いているであろう嫌悪を感じ取った。
彼女の反応は当然のことだと分かっていた、
しかしアスランはそれでも引き下がらなかった。

「ですが、ここで命を喪った方々の神はバルティカの神です。
もしも叶うなら、祈りを捧げたい。」

コーディネーターとして。
同じ人として。

「それで、コーディネーターの罪が許されるとでも。」

鋭い修道女の声に、アスランはゆるく首を振った。
神に許しを請うために祈るのではない、
雪の下に眠る魂に想いを馳せたい、それだけだった。

「いいえ。
ですが、ここで喪われた命を無視することはできません。」

この感情はきっと、人種も宗教も国籍も、
人を分かつあらゆる事由を越えたものだと、アスランは感じていた。
その覚悟は確かに修道女に伝わったのであろう。

「好きにしなさい。」

エネアはそう言い残すと祭壇の横の扉の奥へと消えていった。
アスランは祭壇へ向き直り、静かに瞳を閉じた。

 

 

 

扉を閉め後ろ手で鍵を掛けるとエネアは深く息を吐き出した。
その息は余裕無く震えている。
ミオはエネアを見上げた。

「ねぇ、どうしてお兄さんたちは私の本当の名前を知っていたの・・・?」

繋いだエネアの手が強張ったのを、ミオは敏感に感じ取り
聞いてはいけないことだったのだと幼心に気付いて下を向いた。

「ごめんなさい・・・。」

するとエネアは膝をついてミオを抱きしめた。
互いの修道服が皺になるほど強く。
冷たい床の上にわすれなぐさの色彩が広がる。

「ミオ、あの人たちはシュプノスよ。
経典に書いてあったでしょ。」

「シュプノスって・・・、前世?」

「そう、前世の人たちなの。
だから、まるで私達の過去を知っているようなことを言っていたでしょ。
でも、今の私達のことは知らない。」

エネアは自らとミオのベールを取り払った。
現れる素顔。
額と額を突き合わせ、エネアは空色の瞳を閉じた。
ミオの紅い髪とエネアのブロンドの髪が交じりあった色彩は
彼女たちの修道服に鮮やかに映えた。

「私達は今を生きているの。
過去じゃない。
そうでしょ。」

まるで自分に言い聞かせるように重みを帯びた言葉。
それは碇のように静かに互いの胸に沈んでいく。
過去を求めてたゆたう心が今を見失わないように。

「でも・・・。」

私の過去を知りたい。
その先を言葉に出来ないミオに、エネアは慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。

「大丈夫よ。
ミオの過去は、私が大切に持っているから。」

そう言ってエネアは空色の瞳をミオと重ね合わせた。
まるで誓いを立てるように。

「あなたは私が護るから。」

ミオはエネアの言葉の先にある何かを感じ取り、
ブルーグレーの無垢な瞳を瞬かせた。
と、エネアは立ち上がりひび割れたガラス窓へと目を向けた。
久方ぶりに見た青空に桜色の光が見える。
キラをのせたカリヨンは宇宙へ飛び立ったのであろう。

「還るべき場所へと還ったのね。」

白いグローブに包まれた手を堅く握りしめたエネアの瞳は
青の炎のように揺らめいていた。

「キラ・ヤマト・・・。」

憎しみの色は子どもの無垢な瞳には映ってしまうのかもしれない。

「お姉ちゃん?」

ミオにスカートの裾を引かれ、エネアは困ったような笑みを浮かべ、
小さな手を取った。

「さぁ、ミオはお休みなさい。
頭が痛くなったでしょ?」

そう言って奥の方へと歩みを進めるエネアに、ミオは素直に驚きの声を上げた。

「どうしてわかったのーっ。」

繋いだ手をふって愛らしい目元をパチパチとさせるミオに
エネアは小さく笑みを零した唇に人差し指を立てた。

「ひみつ。」

“もーっ、ずーるーいーっ!”、そう言ってミオは頬をふくらませ
そんな仕草からもあふれる愛らしさに、エネアの笑みは深まった。




 


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