10-30 鎮魂
この場所に眠る全ての魂に想いを馳せる。
コーディネーターとして。
一人の人間として。
黙禱を捧げたアスランはゆっくりと瞳を開いた。
奇跡的に被害を免れた祭壇は時が止まったように、
過去と変わらぬ荘厳さを湛えていた。
むしろ、焼け落ちた礼拝堂を前に威光を増したようにさえ見える。
アスランは後ろを振り返った。
業火で焼かれた瓦礫が広がっている。
ここで無辜のバルティカの民の命が奪われた、
その事実が言葉を失わせ、ただ想いだけが胸を詰まらせる。
その惨劇を鎮めるように、雪が純白のベールとなって全てを包み込んでいた。
それは深い慈悲を現しているのか、
それとも弔いを示しているのだろうか。
太陽を隠していた雲がゆっくりと風に流されていく。
ただそれだけで輝きだしたこの場所に神聖さを覚えるのは、
ここがバルティカの民にとって最も聖なる場所だったからであろうか。アスランはもう一度祭壇へ目を向け深く一礼すると、
被害を免れた祭壇の周囲を歩きだした。
靴音が高い天井に反響して不思議な響きに変わる。
何一つ見逃さないよう神経を集中させながら歩みを進める。
壁面のはめ込み式のステンドグラスには大きなひびが走り
屈折した光が床に色彩を描く。
あの日の衝撃のまま宗教画や装飾品が散乱し、
建物の一部ははがれおちては瓦礫の一部と化していた。
あの映像のまま、同じ空気が流れている。
ラクスの映像の背景と酷似していたとは最早言えなかった。
きっとこの礼拝堂の何処かの映像なのだと、そう信じざるを得ない。
アスランはレンガ造りの壁に手を這わせる。深海を思わせる静やかな瞳に鋭い眼光を宿し、
流した視線がある一点で止まった。
その時だった、礼拝堂へ2、3の足音が近づいてきた。
見ればキラを送り届けたミリアリアと、DDR部隊の部下だった。「キラは。」
そう問えば、ミリアリアは息を切らしながらも笑顔を見せた。
「えぇ、間一髪で宇宙へ上がったわ。」
“そうか”そういって安堵の表情を浮かべたアスランではあったが、
「そっちは、何か分かった?」
ミリアリアの問いにアスランは視線で応えた。
アスランが落とした視線の先に目を向け、
そこにあったものに息を飲む。「このアミュレット・・・っ。」
DDR部隊の部下は手早く携帯用端末で先程のラクスの映像を引き出し、
ミリアリアとアスランに差しだした。「アミュレットの欠け方、キズの形状から判断して
おそらく、映像に映っているもので間違いないかと。」アスランは同意を示すように浅く頷いた。
ミリアリアは証拠を押さえるためにカメラで記録を残しながらアスランに問うた。「やっぱりラクスはここに来たのかしら。」
アスランはアミュレットの場所からラクスの立ち位置を割り出しながら応えた。
「いたかどうかは分からない。
あの映像が合成ではないと断言はできないし、
エネアという修道女はラクスを見ていないと言っていた。」天井に響く靴音と、
平静のままの表情、穏やかな声。しかし、仮説が現実に変わった今、アスランの覚悟はさらに重くなったのだと
彼の背中からミリアリアは感じ取っていた。「だが確かなことは、ラクスを拉致した者とつながりがある者が、
ここに来ていたということだ。
こんな近くに。」最後の言葉に微かに交じった憤りは、胸の内でどれ程ふくれ上がったものだろう。
ミリアリアがアングルをアミュレットからアスランに変えた。
彼が言葉にしない感情は纏う沈黙が饒舌に語っている。
何故、自分は気がつかなかったのだろうかと。
こんなに近くにいたのに。
彼らを止めることも、
君を救うことだって、出来たかもしれないのに。
そうすれば、キラにも笑顔が戻って、
カガリの胸の痛みを取り除くことが
出来たかもしれないのに。――なのに、どうして俺はいつも遅すぎるんだ。
アスランの足が止まる。
――もしも本当にラクスが礼拝堂に来ていたのなら、
丁度この場所に立った筈だ。目の前に広がるのは崩れた礼拝堂と焼け焦げた瓦礫と、
全てを包み込む雪のベール。
この下で哀しみが眠っている。――ここで君は、何を想ったんだ。
ラクス。この光景を見てもなお、
幸せに平和の歌を歌ったというのであろうか。
何故。
どうして。
その問いさえも吸い込んでいく白の色彩にアスランが瞳を細めた時だった。
携帯用端末が着信を告げる。
着信元はオーブ軍総司令室であり、アスランは手早く通信を開始した。
恐らくキサカか、その部下からの通信であろう。
キラのストライクがバルティカに降り立ち、
戦意の無い戦闘機が撃ち落とされ市街地は炎上、
礼拝堂は混乱し暴動寸前の状況まで陥った。――全て報告しなければ。
そのアスランの思考は、端末の向こう側のキサカの声によって凍結した。
“ザラ准将だな。
今すぐバルティカを発ち、月へ向かえ。”「どういうことでしょうか。」
キサカの声からただならぬ何かを感じ取り、急速に頭が冷え切っていく。
それは戦場を駆ける時の冷涼さに近い。
事が起きたのだと、アスランは確信した。しかし数秒後には思い知らされる。
想定することはできても、
信じてはいなかったのだと。
君がいない世界を。
“アスハ代表が――”
告げられたキサカの言葉に、
声すら返せなかった。
呼吸は止まり、
端末を耳に当てた指さえも動かせない。
ただ自分の鼓動だけが酷く鼓膜に響いて、
これが現実なのだと突き付けられる。――カガリが・・・
落ちるような浮遊感。
色彩も音も熱も奪われた空気。
音も無く可視化されずに迫る何か、
それが絶望であるとアスランは知っていた。君がいない世界で生きることを、
俺は知らない。
何故アスランが命令に反応を見せないのか、キサカには分かっていた。
返事をしないのではない、出来ないのだ。
だからこそキサカは厳格な口調で繰り返した。“もう一度言う。
アスハ代表が搭乗したシャトルをロストした。
直ちに捜索を行ったところ、シャトルの他に戦艦、MS等の片鱗を発見。”
生存者は不明。
状況からシャトルは何者かの襲撃を受け大破したものと判断した。
本日只今をもって、ザラ准将を特務隊隊長に任ずる。
直ちに月に上がりアスハ代表の捜索に当たれ。“
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