10-27 再会
キラは石畳が顔を出した雪の上に降り立った。
細くなった線がそうさせるのか、止められない震えがそうさせるのか、
キラの存在自体が朧げに見える。
ゆっくりと顔を上げたキラがアスランを捉える。
その瞬間、キラは恐怖に怯えた瞳を曝した。
緩く首を振りながら後ずさるキラの手を、アスランは強く掴んだ。「キラ。」
キラのこわばった手を堅く握り
瞳を合わせてゆっくりと呼びかけた。
同じ世界に引き戻すように。「久しぶりだな。」
再会を示す
ありふれた言葉。「元気に、していたのか。」
命の火が潰え、争いが始まろうとしている世界から乖離した言葉。
しかし、その世界とキラを繋ぐためには
自分とキラを繋ぐための言葉で呼びかけるべきなんだと、
無意識の内にアスランは思っていた。
するとキラのこわばった手から力が抜け、
感情が溶けだすように紫黒の瞳を涙が覆った。「・・・アス・・・ラ・・・。」
その声だけで、アスランの心は揺さぶられた。
枯れ果てた声。
どれだけラクスの名を呼び続けたのだろう。
絶望の中で、
たったひとりで。キラはとめどなく溢れる涙を知覚していないかのように、
瞬きさえもしないで言葉を落とした。「・・・僕は・・・また・・・
人を・・・殺し・・・て・・・。」撃ち放つ覚悟も、
命を奪う哀しみも、
向けられる憎しみの火も、
果て無く続く罪の刃も、
一人では背負いきれない。
特に、繊細すぎるキラの心では。アスランは瞳を伏せた。
「ごめん、キラ・・・。」
キラは幼い子こどものように
きょとんとした顔をした。
頬に幾筋もの涙を流しながら。「ど・・・して、アスランが・・・あや・・・まる・・・の?
殺・・・したのは、僕っ。」繊細な心に突き刺すような自らの言葉に、キラは言葉を詰まらせた。
するとアスランは苦味を帯びた表情を浮かべ、
キラは何処か遠くで想う、
アスランはよくこんな顔するんだと。
誰かの代わりに心を痛め、誰かの分まで背負って。「違う。
止められなかったのは、俺だ。」そう言って、アスランは燃え上がる街へと視線を馳せた。
翡翠を思わせる冷涼な色彩の瞳には
炎が煌めくように覚悟を宿していて、
何故だろう、キラは無条件の安堵を覚えた。ここに、アスランがいる。
僕は、ひとりじゃない・・・。
キラは膝から崩れ落ちて
堰を切ったように泣き出した。
どうする事も出来ない涙と嗚咽に戸惑うように手で顔を覆って、
細くなった肩を大きく揺らしながら。一人で彷徨う宇宙はとても寒くて、
降りしきる絶望に心は冷たくなって。
少しずつ凍てついていった感情が
アスランの受容によって溶けだしていく。まるでオーブの常夏の風のように優しく、
アスランはキラの肩に手を置いた。
「伏せてっ!!」
ミリアリアの声にアスランは顔を上げ、
同時に叫びと銃声が重なった。「死ねっ!
穢れし者よっ!!」銃口は正確にキラの頭部を狙っていた。
アスランは紙一重のタイミングで銃線を読むと
キラを抱きかかえ、かばうように冷たい地面に伏せ、
同時に周囲に視線を流した。
発砲した一人の背後には、同じように小型の火器を手にした民が控えている。
このままキラとバルティカの民が銃撃戦になれば、
キラを無傷で宇宙へ帰ることは出来ないだろう。
どうする、その思考のままキラへ視線を向けると
キラは恐怖に瞳を見開き痙攣するように震えている。――こんな精神状態で・・・。
アスランは想う、
ここにいるのは穢れし者と名指しされたコーディネーターではない。
愛する人を失い、傷ついた一人の人間だと。
この胸の痛みに、
人種の違いなどあるのかと。
アスランが銃を手にした民へ向けた静謐な眼差しは、
言葉無く問いかける。
紡がれることの無い言葉が
心を震わせている。
それがはっきりと分かる程、
アスランと対峙するバルティカの民の間に沈黙が落ちる。
気がつけば、ミリアリアは常にポケットに忍ばせているカメラを構えていた。
この瞬間を記録せずにはいられなかった。
だって、アスランが問いかけていることは、
自分もずっと世界に問い続けていたことだったから。
胸に抱く想いに、その熱に、痛みに
人種の別などあるのかと。
私達は同じ、ヒトなのだと。しかし。
彼らの後方から聞こえる無数の声と靴音によって
沈黙はたやすく崩れた。
ストライクが破壊したバリケードを越えて、
アスランとキラの間を民たちが駆け抜け礼拝堂へと向かっていく。
“礼拝堂を穢れし者から護れ”と、民はおのおのの想いを口にして
前だけを見据えた歩みに、アスランの髪が揺れた。
その時だった。「穢れし魔女を、
ラクス・クラインを引きずりだすんだっ。」その声がきっかけだった。
キラの震えが嘘のように止み、
異変に気付いたアスランがキラの肩に手を置いて表情を覗きこんだ、
その瞬間、キラは信じがたい力でアスランを押しのけ駆け出した。
アスランは衝撃で斜めに傾いていく視界でキラを捉え、目を疑った。
限界をとうに超えた体が蘇ったように
力強い足取りで礼拝堂へ向かっている。
石畳の顔がのぞく白い地面を蹴って、アスランはキラを追った。
そして、さっき考えたことと同じことが胸を過り、苦味を噛みしめた。ラクスが命の泉なんだ。
キラにとって。
全てなんだ。キラを突き動かす、
心が壊れても、
肉体が限界を迎えても。
傷ついた翼を広げ
何処までも、
何時までも。君に会えるまで。
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