10-22 バルティカの魔女
EPU,オーブ双方からDDRの無期限停止とDDR部隊の撤退が発表された時、
シンはダイニングで中華まんを頬張っていた。
画面に映し出されているのはプラントの国営放送で、
キャスターがアスランの功績を湛えながら残念そうな表情を浮かべている。
地球連合とバルティカの宣言にDDR部隊が入国した当初のアスランの映像が重なると
シンは辟易して顔をそむけた。
どこかで悲劇が起きても、それが自分に直接降りかかるものであっても、
腹は減るのだ。――せっかくのメシがまずくなるっつーの。
最後のひとかけらを強引に口の中へいれ頬を膨らませていると
そこへディアッカが入ってきた。「よぉ。」
シンは肉まんをのどに詰まらせながらも小さく会釈した。
と、ディアッカがグラスと一緒にベルギービールをと手にしているのを見て
シンはむせながら叫んだ。「昼間っから飲むのかよっ。」
一方のディアッカは爽快な音を立てながら注がれるビールに表情を緩めながら応えた。
「いいってこと。
ま、俺らはしばらくこのまま宇宙にステイするんだし?」「出撃しろって命令がいつ来るか分かんないだろ。」
シンはあきれた声を出したが、ディアッカは豪快にビールを煽った。
「来たとしてもイザークは全部断る気だ。」
「え?」
“――副大統領直々の依頼です。
ジュール隊でお引き受け願えませんか。“画面越しの懇願めいた訴えに
イザークは表情ひとつ変えずに応えた。「クライン議長から命ぜられた特務遂行中ですので、
お断りいたします。」“しかし――。”
続くであろう言葉を打ち切るようにイザークは“失礼します”と言って通信を切断した。
デスクチェアの背もたれに背を預け、深い溜息をひとつ落とした。
クライン派からはラクス捜索に加勢するよう、
副大統領からは地球連合の出方を睨んで備えに加わるよう
それぞれに担当者を変え、言葉を変えた依頼が絶えない。
彼らがどんなに旨い条件を餌としてぶら下げてこようとも、イザークは頑として首を縦に振らなかった。
プラントの中枢からの依頼が絶えないことも、
本来であれば有無を言わずに従うべき依頼を断ることが出来ることもみな、
ジュール隊の実績と信頼が大きいことの現れである。イザークは緩く首をふると、天井の先にある宇宙を透かし見るように目を凝らした。
冷涼な色彩とは対照的な熱を宿した瞳で未来を案じるように。
ディアッカは悪戯っぽい笑みを浮かべると
ぽかんと口をあけたままだったシンに向かってナッツを指ではじいた。
思いがけず口の中へ飛び込んできたナッツに素直に驚くシンに
ディアッカは笑い声交じりに応えた。「バルティカ紛争が激化するの分かってて、今動くのは得策じゃないってコト。」
シンはナッツをかみ砕きながら反論した。
「激化っつったって。
スペイス駐屯地は自衛しか出来ないのに、これ以上広がるとは思えないけど。」スペイス駐屯地でバルティカの民間人による攻撃が再開されたとしても、
スペイス駐屯地は自衛行為を続け時間を稼ぎ、
その間にプラント・バルティカ双方が解決へ向けて直接交渉を行う。
それがシンの読みであり、プラント国営放送のコメンテーターも同様の意見を述べていた。
しかし、目の前のディアッカはビールを飲み干すと無造作に口元を拭い、
ニヒルな笑みを浮かべてこう言った。「いや、激化する。
むしろ、ここから始まるだろうよ。」
礼拝堂へ向かう車中でアスランは思考を巡らせていた。
今回のラクスの緊急国際放送には、これまでと異なる点が多い。
これまでラクスの背景は真空のような白い空間であったが、
今回は廃墟のような建物の中だった。
瓦礫の破片や塵芥で荒んだ跡のある室内は、
ラクスが何処にいるのか特定する材料を多く提示していた。――このタイミングで、歌う場所を変えたことに意味があるのか?
今までは手がかりの隙さえ排除された真っ白な空間だったのに、
どうして今回は所在を特定できるような場所を選んだのであろう。
むしろ相手方からヒントを与えられたような感覚が、どうにも気持ちわるい。
もちろん、背景が合成された可能性だって十分考えられるし、
礼拝堂へ行ったところで何も得られないかもしれない。
しかし、アスランはラクスが歌う場所を変えたことに何らかの意味が込められていると確信していた。
それが罠だとしても、一体誰を何のために陥れようとしているのか。
何度思考しても思い当たるのはただ一つ。
アスランはそれを思考の中に閉じ込めるように組んだ手に力を込めた。
何故ならそれが現実になってしまえば、
バルティカは一気に火を吹くことになるから。
礼拝堂の周りには全ての侵入を拒むように
高いバリケードが城壁のように張り巡らされ、
その周を取り囲むようにバルティカの民が詰めかけていた。
この様子からアスランは確信する、ラクスの背景に映しだされていたのは
間違い無くバルティカの礼拝堂だったのだと。
あの映像を見たバルティカの民がそう判断した、だからこれ程の騒ぎになったのであろう。
アスランは真実を見定める眼差しを向け、車を降りた。そして聴こえてきた民衆の声に瞳を見開いた。
「扉を開けろっ!
ラクス・クラインを、
あの魔女を引きずりだすんだっ!!」「我々の聖域を穢した魔女をっ!!」
胸に突き刺さるような罵声。
憎しみに歪んだ瞳。
何かを打ち砕くように握られた拳。
その全てがラクスに向けられていた。――どうしてこんなことに。
そんな問いを自分に向けてしまうは、この現実が嘘であればと思うからだ。
自分の友人が誰かの憎しみになるなんて、誰が信じたいと望むだろう。
立ち尽くすような感情を振り切るように、アスランは前を向いて歩み出した。
そのアスランの肩にミリアリアは濃紺のトレンチコートを掛けた。「冷えるわよ。」
毅然と前を向いたままミリアリアが言った言葉はそれだけだった。
しかし、彼女は自分を護ろうとしてくれたのだ。
コーディネーターであるアスランが今バルティカの民の前に出れば
間違い無く彼らの感情を煽ることになる。
それだけではない、憎しみの感情がコーディネーターを受け入れているオーブにさえ
向けられてしまう可能性だってある。
だから、EPUの紋章の入ったコートを羽織ることでEPUのイメージを前面に出し、
アスランがコーディネーターであること、オーブの軍人であることの印象を
少しでも緩和させようとしたのだ。
そんなミリアリアの気遣いにアスランは小さく礼を言い、コートに袖を通した。
胸に刻まれるEPUの紋章が自分の遺伝子を塗り替えることは無い。
しかし、これによって他者は自分を規定する。
時として自分の名も、遺伝子も、国も、個性も、全てを越えて。
ボタンを閉めようとして自分の手に目が止まる。
この手に流れる血潮にはコーディネーターの遺伝子が流れている。
それを悔やむことも恥じることもない。
しかし、行き場の無い感情が胸を占めて喉を詰まらせる。どうして自分は今、このコートを羽織らなければ
民衆の前に出ることが出来ないのか。どうしてコーディネーターはナチュラルに憎しみを与えるのか。
そうして人は
ナチュラルとコーディネーターを分かつのか。どうして人は
共に手を取る世界をつくれないのか。幾重にも重なっていく問いを胸に仕舞って、アスランは歩みを進めた。
雪を踏みしめる音がやけに耳についた。
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