10-2 バルティカへ再び





仮の政務室としているホテルの一室で、
カガリは机の上に両手を組んで瞳を閉じた。

机の背後の大きな窓からはやわらかな日差しが差し込み
見上げれば穏やかすぎる蒼い空が広がっていた。

全てが凪いだように静まり返っていた。
空から羽が舞い落ちたとしても、
音が聴こえるのではないかと思える程に。

予定されていた会談はテロを受けて延期とされ、
日程が決定し次第連絡が来ることにはなっていたが、
自体が収束するまでには時間を要するであろうことは明白であり
会談がいつ再開されえるか目処が立っていないと言った方が適当だった。

地球連合に与する国々は、テロが勃発したその日にソフィアを発った。
いつ再開されるか分からない会談を待つよりもオーブへ帰国する方が
どれだけ安全であるかは、カガリ自身も十分に理解している。
しかしカガリは自分の身の安全よりも、ソフィアへの信頼を最優先させた。

必ず事態は収束し、
平和的解決へ世界は動き出すのだと。

カガリは部屋を横切った小さな影を追って、窓へと視線を移した。
白い鳥が翼を広げ、大空を自由に飛んでいるのが見える。
その姿に半身を重ねて、瞳を細めた。

 

『あのね、本当はキラが一番最初に知らなくちゃいけないの。』

ウィルは興奮に頬を染めながらそう言ったのを思い出し、
カガリは切なく視線を流す。

『でもね、きっともうキラとラクスは会えたでしょ?
だからね、パパとママには教えちゃうね。』

『何のことだ、ウィル?』

『あのね、ラクスのお腹の中にはね、
赤ちゃんがいるのっ。
だからね、パパがキラに会ったら伝えて欲しいの。
おめでとうって。』

無邪気な笑顔にあるのは純粋な喜びだけなのに、
カガリの胸を満たしていくのはそれだけじゃなかった。
ふいに思い出したアスランの言葉が冷涼に響く。

“キラとラクスの間に子どもを授かる可能性はゼロではない。
しかし、子どもを授かれば、同時にキラは証明することになる、
freedom trailの完全なる完成を。“

カガリはウィルを秘書官に預けるとすぐに、アスランにプライベート通信を繋いだ。
喜びが凍りつく前にアスランの声が聞きたかった。
理由よりも先に想いのままに動いたのは、
きっと護りたかったのだ、2人にもたらされた喜びを。
そして護れると思ったんだ、
アスランと一緒なら。

 

「freedom trailは完成していたんだ・・・。」

知らず呟いていたカガリは苦味を飲み込むように瞳を閉じて、
もう一度窓の向こうへと視線を馳せた。
しかし先程まで翼を広げていた白い鳥は、幻のように姿を消していた。

風に舞うひとひらの白い羽が、
音の無い蒼に消えた。

 

 

 

数日ぶりに降り立ったバルティカの地は、まるでヴェールをかけたかのように
白の色彩を纏っていた。
例年よりも早い初雪が降ったのは、ソフィアの建国式典と同日、
つまりあのテロが起きた日だったという。

アスランは吐きだした白い息が消えゆく様を見ていた。
水分を大量に含んでいるのであろう、灰色の雲は低く空を埋め尽くしている。
閉塞感を覚えずにはいられない程。

移送機を降りたったアスランにミリアリアはEPUのトレンチコートを手渡した。

「冷えるわよ。」

ミリアリアの好意に素直に礼を述べて、アスランはラフに袖を通し颯爽と歩きだした。
その背中に、ミリアリアは小さく舌を出して肩をすくめた。

――ごめんね、アスラン。
だけどバルトフェルドさんからの“裏任務”だから、仕方無いってコトで。

アスランを先頭にして歩きだした一団に、詰めかけた報道陣の無数のフラッシュがたかれた。
真直ぐに前を見据えながら歩むアスランの姿は精悍で、報道陣をことさらに惹き付け、
今この瞬間さえも全世界へ放映されているだろう。
EPUのトレンチコートを纏い、先陣を切って歩むアスランの姿が。
それこそが、ミリアリアが命じられたバルトフェルドの“裏任務”のひとつであった。
アスランがいくらプラントで英雄視されていても、
オーブで積み重ねた功績により世界は彼をオーブの人間であるとみなしている。
しかし、この映像の記憶を世界の人々の頭の片隅に引っ掛かけておけば、
いつか迎える“あの時”に事が滞りなく進むであろう、
それはバルトフェルドとミリアリアの計算だった。

――さてと、“裏任務”スタート!

ミリアリアは小さくウィンクした。

 

 

「ザラ隊長!」

DDR部隊の本拠地へ戻ったアスランを迎えたのは、あたたかい仲間たちの歓迎だった。
ふわりと表情を柔らめたアスランは、仲間たちの顔を一人ひとり確認していった。
彼らの表情が明るいことから、状況は未だ大きな変化を見ないことに安堵する。

「申し訳ございませんでした、大切な時に離れてしまって。」

そんなアスランの言葉に、隊員たちは一様に詰めかけて反論の声を上げた。

「そんなっ。ソフィアでアスハ代表をお護りになったのは隊長でしょう。」

そうだそうだと言わんばかりに頷く彼らに、アスランは困ったような微笑みを浮かべた。
そんな様子を一歩引いてみていたミリアリアは思うのだ、
本当にカガリとアスランは部下から慕われているのだと。
その気持ちは、家族へ抱くおもいやりにも似ていてあたたかく、
ミリアリアはオーブの懐かしさに瞳を細めた。

ミリアリアを含めたEPUの一団の紹介が終わると、
アスランは音も無く指揮官としての顔を現した。

「バルティカの状況を報告してほしい。」

アスランが問えば、最も若手の男が簡潔な報告を述べた。
そんな数少ないやり取りだけ見ても、
ミリアリアはDDR部隊が機能的に組織されていること、
さらに強い信頼関係で結ばれていることが読み取れた。

 

「テロ以来、バルティカ、プラントのスペイス駐屯地間の状況に変化はありません。
ですが。」

そう言って言葉を濁した武官に、アスランは黙ったまま先を促した。
すると彼は、“これは自分の私見ではございますが”と前置いて続けた。

「どうも、静かすぎる気がします。
嵐の前の静けさを思わせるように。」

アスランは浅く頷いて窓の外へと視線を馳せた。
本拠地に移動する車窓から市街地の一部を見てきたが、
見かけた人影は少なく、静けさは息を止めているように不自然さを覚えた。
“嵐の前の静けさ”という言葉がぴたりとはまるように。

「バルティカの内政状況について、何か情報は。」

「特には何も。」

そうか、と呟いてアスランは思案するように組んだ手を見詰めた。
バルティカの皇帝であるユジュは未だ幼い少女であり、
政治の表舞台に出るよりは専ら国の象徴的存在の役割を果たしていた。
しかし、大地の汚染の影響か、生まれつき体が弱い皇帝は公務もままならず
DDR部隊が任務開始に伴い謁見を申し出ても叶わなずじまいだった。

――内政状況に変化は無い・・・とは言え、
   こちらの判断材料が極端に少なすぎる・・・。

バルティカは帝国により厳重な報道規制が敷かれており
当然部外者であるDDR部隊に十分な情報が入ってくる筈は無い。
得られる情報と言えば、交渉の中で感じとれるものだけだった。

「スペイス駐屯地との交渉は滞りなく進んでいますか。」

アスランが話題を切り替えれば武官は短く頷いた。

「はい、工程は全て予定通りに完了しました。
しかし、スペイス駐屯地の様子が気がかりです。」

アスランはため息交じりに推測を述べる。

「キラ・ヤマト特使がスペイス駐屯地を発ってから、
スペイス駐屯地は言葉が少なくなった・・・もしくは沈黙を貫いている・・・。」

その場にいたDDR部隊は驚きに瞳を開き、
武官は苦い表情のまま頷いた。

「そう・・・ですが・・・。
しかし、隊長が何故それを。」

アスランは瞼を伏せて頬に睫の影を落とし、
問いには応えずに淡々と指示を出した。

「バルティカへは、これまで通り交渉を続けてください。
皇帝ユジュ様との謁見を出来うる限り早く。
スペイス駐屯地とは、連絡をさらに密に行うようにしてください。」

横目でアスランを捉え、ミリアリアは思う。
――やっぱり、軍人としての才能がありすぎる、
アスランは。

「密に、とは。」

「これまでヤマト特使の采配により交渉は円滑に進んでいましたが、
今後はそれが期待できなくなるでしょう。」

「どういうことですかっ。」

「キラ・ヤマトはいつこの地に戻るか分からない。」

厳格な声が冷涼と響いて空気は一気に張りつめた。
しかし何よりもミリアリアの目を引いたのは、アスランの瞳だった。
既に彼は戦場の目をしていた。

そしてミリアリアは確信する。

この地の静けさは時を待たずに打ち破られるだろうと。

――だからこそ、あなたの力が必要なのよ、アスラン。

ミリアリアはバルトフェルドから命じられた2つ目の裏任務を
心の中で唱えた。




←Back  Next→  

Top   Chapter 10   Blog(物語の舞台裏)