10-1 岐路
バルティカへと向かうEPUの移送機の中から
アスランは宇宙を見上げた。
藤色の輝きを放つソフィアが1秒ごとに遠く離れていく。
その煌めきが何処か儚く感じられるのは、何故だろう。
アスラン率いるオーブのDDR部隊の働きにより
一触即発の状況であったバルティカ紛争は平和的解決へと向かっていたと
世界の誰もが認識していた。
しかし、ソフィア建国式典で勃発したテロの影響で、状況は一気に難化した。
現在の段階では、ダンスホールでコーディネーターが虐殺された事実は
ソフィアによって伏せられている。
もし、犯行グループがブルーコスモスであったら、それが明るみに出たら、
バルティカ・プラント間の情勢の均衡を破る蓋然性が高まる。――いや、コーディネーターとナチュラルの間で
また争いが起きる。アスランは緩く首を振った。
どうして、憎しみと哀しみの連鎖を止めることが出来ないのであろう。
何度も繰り返した問いが、ふいに浮かんでは消えて
霞がかった思考の向こうからカガリの言葉が聴こえた。『どんなに手を伸ばしても未来に届かないとしたら、
それはどれ程哀しいだろう。』そんな風に、コーディネーターへ想いを馳せてくれるナチュラルだって確かに存在する。
そして、今自分はコーディネーターとして思う、
ナチュラルと共に生きる世界を、
遍く人々が共に生きられる世界を創りたいと。その願いは、オーブの理念と等しく重なる。
アスランは軍服の胸元に手を当てた。
過去に、ザフトの赤を着ていた自分。
だけど今は、オーブの包み込むような空を思わせる白とブルーの軍服を誇りに思う。護りたいものも、
実現したい理念も、
夢が叶ったその先で
帰りたいと思う場所も、
ここにある。だけど。
アスランは瞳に厳格な色をにじませる。
蘇るのは地球連合のラフォージ総督の言葉。
『それが、限界ということだよ。』
ひとつの国の中だけでは、護りきれないものがある。
そう例えば、キラが地球連合軍制空域に侵入した時、
その後の対応で、
オーブはプラントを擁護する立場に無かった。
それが、国の限界だ。
『君は、EPUへ行くべきだ。
今すぐでなくとも、時が来たら。
迷わずに、行くべきだ。』――EPU・・・。
世界情勢は目に見える加速度で傾きだし、
復興と信頼の2年は無言の幕を下ろそうとしている。
争いが、
戦争が、――もう一度起きてしまうのか・・・?
『その時、
アスラン、君は何処にいる。
オーブか、それとも――。』バルトフェルドの声が胸に響いて、
アスランは胸にあてたままの掌を握り締めた。
「どうなるのかしらね。」
通路を挟んで反対側のシートに座っていたミリアリアが呟いた。
彼女もまた窓から宇宙を見上げているのが反射して映って、
アスランは顔を上げて向き直った。「プレッシャー、感じてるの?
それとも、別のこと考えてたのかしらね。」そう言って悪戯っぽく笑ったミリアリアに全て見透かされているような気がして
アスランは言葉を次げなかった。
そんな仕草にミリアリアはくすくすと笑みを零して、手を振った。「ごめん、冗談っ。
ほんっと、嘘つけないのね。
任務の時とは大違い。」女性にはかなわないな、そんなことを胸の内で呟いて
アスランは眉尻を下げて笑った。――あーあ、あんな顔してもいい男に見えるんだから、
すごいわよねぇ、アスランって。ミリアリアはふっとため息をついた。
アスランがソフィア滞在の予定を切り上げてバルティカへ戻ることは
バルティカ、プラント間で平和的解決へ向けて現実的な行動が継続していると
世界へアピールする意味もあった。
アスランは2度の脱走歴があるにも関わらず、
プラントにおいては未だ英雄視され絶大な人気を誇っている。――まぁ、本人は無自覚みたいだけど。
アスランがバルティカへ戻ればメディアが注目するし、
自ずと地球もプラントもバルティカへ意識が向く筈だわ。
そこで、平和を願う人々がいることに気付いてくれるはず。さらに、EPUからの視察団がバルティカに入ることで
宇宙規模で平和的解決へ向かっていることをアピールする、
それがEPUにいるバルトフェルドの狙いであり
ミリアリアがこの移送機に同乗している理由でもあった。
「キラも現地で合流する予定・・・なんだろ。」
アスランに問われ、ミリアリアは小さくため息をついた。
「プラントからはそう報告されていけれど、
本当の所はどうかしらね。」アスランはミリアリアの言葉から、
EPUもキラ本人とコンタクトを取れていないことを読み取り表情を歪める。「アイツにも探り入れてみたんだけど、ダメだったわ。」
“アイツ”とはディアッカのことであろうかと頭の隅で考えて、
アスランは続くであろうミリアリアの言葉を待った。「公に発表されてる情報以外は何も答えてくれなかったし。
だけど、口止めされてるって感じじゃなかったわね。」「あぁ、知らされていない、そんな雰囲気だった。」
やっぱり、そう呟いてミリアリアは思案するように顎に指を置いた。
「おかしいわよね、キラともラクスとも連絡が取れないんだもの。
それにあの、ラクスの歌・・・。」アスランは瞼を伏せて言葉を飲み込んだ。
ソフィアの建国レセプションでテロが起きた際に流されたラクスの歌に
違和感を覚えたのはあの場にいた自分やカガリ、
ムゥやマリューだけでは無かったのだ。「ラクスがあんな風に、あの歌を歌う筈が無いわ。
テロで傷ついた人々を無視して、平和の歌を歌えるって言うの?」「あぁ、俺もそう思う。
だからあの映像が流されたのは、
ラクスの意思でも、キラの意思でも無いだろう。
だがそうだとすると、キラとラクスが危険な状況にある可能性も高くなる。」ミリアリアは厳しい声で応えた。
「プラントの行政府さえも、キラとラクスの2人と連絡が取れない状況にあるか、
それとも、プラントが全てを秘匿しなければならない程の事が起きたか・・・。」状況的に見て、プラントから報告されたとおりに
キラがバルティカへ戻り任務を遂行することは信憑性に欠いている。
むしろこのまま、キラは姿を見せないのではないかとすら思える。
纏わりつくような不安を振り切るようにアスランが首を振った時、
携帯用端末が着信を告げた。
見ればプライベート通信で“カガリ”の名前が表示されている。「カガリから?」
ミリアリアから何か含意された視線を向けられ、アスランは絶句する。
その分かりやすすぎる反応にミリアリアは満足げな表情を浮かべると、「どーぞ、ごゆっくり。」
と言って、通信に出るように促した。
アスランは喉元まで出かかった溜息を飲み込んで、
もう一度携帯用端末に視線を移す。
そしてひとつの違和感を抱く。――何故、カガリはこのタイミングで通信を?
アスランがEPUの移送機でバルティカへ移動中であることはカガリも分かっている筈であり、
それなのに連絡をよこしてきたのは、それだけ緊急を要することだから。――だとしたら・・・っ!
アスランはシートから立ちデッキの方へ向かうと、直ぐに通信を開始した。
周囲にカガリの姿を見られることが無いように、音声だけを繋いで。“もしもしっ、アスランかっ!”
「カガリ、何かあったのか。」
カガリの声のトーンからも焦燥が読み取れる。
ただ、カガリが無事であること以外の全てが不安で満たされて行って、
思わずアスランは瞳をきつく閉じた。
やはり、離れるべきでは無かったのではないか、と。“ウィルが、バルティカでキラに会ったら伝えてほしいことがあるって、言ったんだ。
おめでとう、って。“「え・・・、どういうことだ・・・。」
“ラクスのお腹の中に・・・”
アスランは自分の息を飲む音を何処か遠くで聴いて、
全身に冷たい浮遊感を覚えた。
脳裏に描かれるのは、自由への軌跡――“キラの・・・、キラとラクスの赤ちゃんがいるって・・・。
マルキオ様が、そう診断なさったって、ウィルが・・・。“涙で潤んでいくカガリの声に、アスランは寄り添うことしかできなかった。
「カガリ・・・。」
胸を満たしていく喜びと祝福を、
自由への軌跡に通じる血ぬられた足跡が踏みつけていく。世界は、なんて残酷なんだろう。
子どもを授かることは、喜びを授かることである筈なのに。
“なんで・・・、どうして、今なんだ・・・。”
だけど、
今願うことだけははっきりしている。
だから今出来ることは、願いを見失わないことだ。「どうしたら、キラとラクスと、お腹の子どもを護れるのか
考えよう。」衣擦れの音がして、カガリが涙を拭いている姿が目に浮かんで
アスランの瞳に柔らかさが帯びる。“・・・うん、そうだな。
絶対、護ろう。“きっと今君は、前を向こうとしている。
だから俺も、前を向ける。
アスランはデッキの窓から宇宙を見上げた。
親友へと想いを馳せて。――無事でいろよ、キラ・・・。
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