10-18 雪の花



 

アスランは一瞬で呼吸を整えるとバルコニーの傍まで真直ぐに歩み
最高敬意を示すように跪いた。

「陛下。」

静けさの中に確固たる意志を感じるアスランの声は
天井の高い大広間に強く響いた。
アスランの声にユジュはおっとりと振り返り、瞳にアスランの姿を捉えた。
その仕草だけでもアスランは捉えきれない程微かな違和感を抱いたが、
思考よりもすべきことを最優先させた。
’ご無礼をお許しください’と前置いて、
アスランは単刀直入に申し上げた。

「DDRについて、お願い申し上げます。
どうかこのまま、DDR遂行の継続の御支援を賜りたく存じます。」

国防長官が何かを言わんとして身を乗り出したが、
それを制したのは皇帝ユジュであった。
片手に持った扇子を緩やかに振り、目元を柔らかく緩める、
たったそれだけでユジュの何倍もの年齢の国防長官は黙って引き下がった。
そのやり取りに、やはりアスランは違和感を抱かずにはいられなかった。
オーブで開催されたキラとラクスの婚約レセプション時にお見受けした時は
2人に御挨拶をするだけでも恥じらっていた。
しかし今は、あの時垣間見た幼さが何処にも感じられず、
言葉にならない威厳さで、国防長官よりもずっと年齢を重ねているように見える。

――ユジュ様に、何かあったのだろうか。

脳裏に浮かんだ憶測は、続いたユジュの言葉で現実に引き戻された。

「アスラン・ザラ・・・であったな。
丁度良い、今そちに告げよう。」

何を、
そう頭の中で問い返し
冷たく鼓動が胸を打った。
嫌な予感が胸に巣食って離れない。

「DDR部隊の功績について、報告は受けていたぞ。
御苦労であった。」

ユジュの語り口は淀みなく
幼い少女の容姿そのままに高く儚い声には、
不釣り合いな程の重厚感を感じさせた。

「そちたちの献身により、バルティカに一定の平穏が訪れた。
よって、本日を持ってDDRの執行停止を命ずる。」

アスランは驚きに波立った感情を抑え込み
続くであろう言葉を待った。
DDR執行停止の真意とは何か。
最悪のシナリオが脳裏に浮かび、
それはユジュの言葉によって現実のものとなる。

「間もなく、地球連合は地球上のあらゆるテロ行為の撲滅を宣言する。
平和を希求する我がバルティカも、その例外ではない。
我々ナチュラルの正義を示す時が来たのだ。」

開戦。
そのカウントダウンは既に始まっている。
先にテロ撲滅を宣言したのはコーディネーターだ。
だが、ナチュラルに言わせれば先にテロを起こしたのもコーディネーターなのだ。
コーディネーターが報復を行うのであれば、
ナチュラルも実力行使に出るまでだ、そういうことなのだろう。
最悪のシナリオが現実になろうとしていてもなお、アスランは表情を変えず、
灼熱を思わせる眼差しを真直ぐにユジュに向けていた。
ユジュは扇で口元を隠して呟いた。

「全く・・・。
同じ顔をするのだな。」

雪のひとひらのような呟きは微かにアスランの耳に届き
何故だか思考を引っ張られた。
誰と同じだと言うのだろうか、そんな問いが胸に浮かんだ時、
ユジュは扇を閉じて話を戻した。

「そちが行ったDDRによってバルティカ国内の軍閥が解体され、
旧民兵等はバルティカ軍へ服役し、我が国のために戦う戦士となる。
我が国は強くなる。」

ユジュは雪の花のように白く冷たい微笑みを浮かべた。

「感謝しているぞ、アスラン・ザラ。」

ユジュはバルティカ伝統の様式でお辞儀をし、
大臣らを引き連れて歩を進めた。
幼い体故に歩みは小さく、しかし向かう先に迷いを感じさせることは無かった。
ユジュの小さな背中に向かって
抗えぬ時の流れに剣を突き立てるようにアスランは呼びかけた。

「陛下。
それで本当に、
地球が希求する平和は訪れるのでしょうか。」

アスランの胸にあの時のカガリの問いが響く。
“殺されたから殺して、殺したから殺されて。
それでほんとに最後は平和になるのかよ。”
争いに争いで応えても、
積み重なっていくのは憎しみと哀しみだけではないだろうか。
あの時流した涙が真実なのではないか。

ユジュは前を向いたまま、目線だけをアスランに向けて応えた。

「争いを避ければ、人の命は保たれよう。
しかし、命はあっても魂を殺される時もある。」

このまま、争いを避ければバルティカの民は命を失うことは無い。
だが、そのために魂が殺されていくのを黙って見ている訳にはいかない。

「争いによって救われる魂がある。」

自らの命が奪われても、
大切な人を亡くしても、
魂が救われるなら争いを選ぶ。
それも真実なのだろうか。

「どちらも、我々が希求する平和なのだ。」

ユジュが向かう先、
つまり地球連合とバルティカが描いた道もまた平和なのだろうか。
争いに争いで応える世界が、平和なのであろうか。

アスランは小さな背を向けたままのユジュに最後の問いを投げかけた。

「もう、戻ることは叶わないのでしょうか。」

この問いを投げることは即ち、アスランがユジュとは答えを異にしていることを示す。
争いに争いで応えても、
そこにあるのは魂の救いでは無く、
積み重なる憎しみと哀しみだけだと。

――それが平和だと、俺は信じることは出来ない。

ユジュは振り返り、嘲笑を浮かべた。

「愚問だ。
戻らないと決めたのはコーディネーターであろう?」

鋭利な声色でユジュはアスランに問いを突き付ける。

「奴等も知っているのであろう、
争いによって救われる魂と、
争いだけが実現できる平和を。」

ユジュは再び背を向け、毅然と歩みを進めていった。
あどけない小さな背中を仰ぎ見ながら、アスランは拳を握りしめた。
そもそも何故、バルティカがDDRを要請したのか、
その理由はユジュの向けた雪の花のような微笑みが物語っているように見えた。

「全て、このためだったのか・・・?」

近い未来の開戦に備え、
軍閥が群雄割拠するような状況からバルティカ軍へ戦力を集中させるため、
DDRを要請し、軍閥を解体し大量の旧民兵を放出させバルティカ軍へ集約させる。
それがバルティカ政府の描いたシナリオだったのではないか、
そう疑いたくなる。
未だ跪いたままだったアスランは握りしめた拳を床にたたきつけた。

その時、背後からミリアリアの声が落ちた。

「DDR部隊は撤退するしかないわ。」

厳しさを帯びた声色にアスランは立ちあがって振り返る。
ミリアリアは悔しさを噛みしめるようにアスランに告げた。

「バルトフェルドさんから連絡が来たの。
バルティカ、プラント、双方から正式にDDR執行の無期限停止の要請があった、と。」

“そうか”と呟いて、アスランはミリアリアの横をすり抜け、
部下等が待つ控室とは反対方向のユジュが向かった方向へと歩みを進めた。
瞳に射す眼光の鋭さからアスランの覚悟を読み取ったミリアリアは
すかさず彼の腕を引いた。

「ちょっと、何処へ行くのよっ。
早くDDR部隊を撤退させなきゃ、隊が危険な目に遭うかもしれないのよっ。
それに、バルティカの人々に余計な刺激を与えてしまうかもしれないわ。」

地球連合が地球上からのテロ撲滅を宣言すれば、
バルティカの民はこう理解するだろう。
地球上からのコーディネーター撲滅と。

「それだけじゃない、
早く引き上げなければオーブの信頼に傷をつけることになるでしょっ。」

EPUの要請にも、現地の国々の要請にも応えられないDDR部隊への信頼が失墜することは、
部隊を派遣したオーブへ寄せられた信頼に傷をつけることになる。

「わかっているっ、だが・・・。」

やり切れない想いにアスランは宇宙を見上げるように天井を仰いだ。
数世紀前に描かれた宗教画の美しさが瞳に映る。
しかしそれらはアスランの心に響くことは無い。

――何も出来ないのか・・・。
   今、これから、この場所から、
   争いが始まろうとしているのに。

アスランは悔しさから手を引くように瞳を閉じて、
部下たちが待つ控室へと向かった。
今この場所で出来ることを失っても、
別の場所でなら出来ることはきっとある筈だ。
だから立ち止ってはいけない。

――顔を上げろ、
   前を向け。

自分を叱咤するように胸の内で呟いた言葉は
いつかカガリから聞いた言葉だった。
その筈なのに何故だろう、記憶の中の父の声と重なった。

控室までの廊下を足早に進みながら、
思考は今後の動きについての算段が占めていたが、
頭の片隅でアスランは思う。

こんな時、父上だったらどうしたであろう、と。



 


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