10-17 束の間



 

ソフィアに到着してから連日、アスランはバルティカの宮廷に足を運んでいたが
皇帝との面会は空振りに終わっていた。
しかし、大臣や首席補佐官級の役人等と立ち話程度の接触を重ね
輪郭がぼんやりと見えてきていた。

――バルティカはDDRに非常に消極的になっている・・・。

DDRを要請してきた当初は任務遂行に協力的であり、
それだけバルティカが政府をあげて平和的解決へ向けて動いている証拠として
アスランは心強く感じたことを覚えている。
しかし今は態度が一変し、これまで窓口として対応していた部局でさえも
世界情勢を理由に面会のアポを先延ばしにされていた。
それが他の部局になれば、さらにあからさまな対応で拒絶されている。

――世界情勢が安定するまでの暫定的な停止なのか、
   それとも・・・、DDR要請の撤回か。

アスランは、恐らく後者であろうと踏んでいた。
武力によらない紛争解決手段であるDDRは、
争い合う当事者国及び地域からの要請があって初めて成り立つものである。
例えて言えば、当事者国及び地域から平和的解決を委託されているのだ。
そのため、DDRの要請を撤回されてしまえば、
それ以上ミッションを遂行することは出来なくなる。

――このまま撤退することになるのか?

アスランは口元に手を置き思考を深めていった。
バルティカの軍閥の解体にはある程度の効果出ているにせよ、
軍閥を脱した民兵等の社会復帰へのケアはこれからが重要な時を迎える。
このタイミングでDDR部隊が撤退するこになれば、民兵等が市街地に溢れ出し
バルティカの治安が悪化するだけではなく、暴力を伴う混乱が予想された。

――出来るだけ、引き延ばさなければ。

バルティカで暴動が起きれば、彼らの感情の矛先は間違え無くスペイス駐屯地へ向けられるだろう。
バルティカの民の無辜の命を奪ったコーディネーターへの報復を再開すれば、
この地が火種となり地球連合とプラントの戦争へと発展しかねない。
バルティカは古くから地球連合との密接なつながりを持っており、
連合が開戦の口実として使うことも十分考えられる。
プラント・ソフィアの共同声明を受けてから数日がたつが、
地球連合は沈黙を貫いている。
地球連合とプラント・ソフィア間に流れる静けさが人為的に感じられて不安を呼び起こす。

社会復帰が遅れることによる弊害はバルティカの行政府も十分承知しているのだろう。
現在バルティカでは公共施設の一部を職業斡旋所として開放し、
旧民兵たちの社会復帰を支援しはじめてはいるが、
支援が行き届いているとは到底言えないだろう。
現に、職業斡旋所は常に人だかりの状態であり、募集人数が圧倒的に少ない。
旧民兵たちの感情が爆発するのは時間の問題だ。

いてもたってもいられず、アスランは立ちあがった。
“らしくないな”と思いながらも、自然と足は扉の方へ向かっていた。

「隊長、どちらへ?」

そんなアスランの心情が部下へも伝わってしまったのだろう、
アスランは困ったような表情で返した。

「少し、宮廷内を歩いてくる。」

 

 

 

長く続く廊下は、降り積もる雪に浄化されたように
神聖な静けさで満ちていた。
紅いビロードの絨毯の上を歩く足音が高い天井に吸い込まれていく。
その様は大地に水がしみこむようだとアスランは思った。
積み重ねられた歴史の重さは、大理石で出来た柱ひとつにさえ感じられる。
アスランは細やかな装飾が施された大理石の柱に触れた。
滑らかで冷たい感触に、どこか温かみを感じるのは何故だろう。
これが太古の人の手によって創られたものだからであろうか。

アスランはコーディネーターとして、
ナチュラルの築いた歴史に畏敬の念を抱かずには居られなかった。
コーディネーターは歴史も伝統も文化も持たないと、
ナチュラルから批判されることは度々あったことを思い出し、そっと瞳を閉じた。
どんなに英知を注いでも、どんなに技術を刷新しても、
時の重みに勝ることは出来ないのだと。
瞳を開き柱から天井へと視線を向けた。
天井に描かれた宗教画の美しさはいとも簡単にアスランの心に触れる。
そして思うのだ、コーディネーターが地球へ戻れば、
地球を愛さずにはいられないだろうと。
そして、地球に住む人々のことも。

自分がそうだったように。

 

「何してるの。」

不思議な響きを持つ声に驚いて振り向けば
いつもと変わらぬ笑顔を浮かべたミリアリアがいた。
アスランは感情があまり表情には出ないが、仕草には出てしまうのだろう、
ミリアリアはアスランに凝視されて、破顔した。

「ちょっと、何その顔っ。
びっくりしすぎよ。」

声を上げて笑うミリアリアに漸く我に返ったアスランは
“悪かったな”とつぶやいて、高い天井の廊下を見渡した。
人の声さえ変えてしまうのは、この建築様式が成すものなのか、
それとも歴史がそうさせるのか。

「オーブの文化財を見た時にも、
アスハの邸宅でも思ったが、
このバルティカにも素晴らしい歴史があるのだと感じて・・・。」

そう言って瞳を細めるアスランに、
ミリアリアは意外な言葉を返した。

「あなたは宇宙で育ったからそう思うのかもね。」

「え?」

ミリアリアは何処か割りきったような表情で続けた。

「私もね、歴史や文化に触れると息も止まる程感動するわ。
だけど、ナチュラルにとってはこれが当たり前なの。
だから、どんな輝きも目が慣れてしまえば、何も感じなくなる。」

空色の瞳を天井へ描かれた壁画に移して、ミリアリアは小さく溜息をついた。
白い息が儚く消える。

「そうやって、地球の人々は戦争で破壊してきたわ。
取り返しのつかないものを、一瞬で。
そして忘れてしまうの。」

まるで自然災害のように避けられないことだったのだと。
いくらあがなっても、いつかは風化してしまう。
それを繰り返してきたのだ、地球のナチュラルたちは。
ミリアリアにとっては、同じナチュラルだからこそ分かることだが、
一方のアスランは視線を伏せた。
足元のビロードの絨毯と大理石の床の間にさえ施された装飾が瞳に映る。
戦争によって文化財が破壊されてきた歴史は、アスランも知識としては知っている。
だが、歴史と伝統の中に身を置いて思うのだ、
どうしてそんなことを人は許せたのだろうと。
そのアスランの視線は続いたミリアリアの言葉によって引き上げられる。

「もしかしたら、文化や歴史の破壊を一番許せないのは
あなたのようなコーディネーターかもしれないわね。」

「どういうことだ。」

アスランの問いには応えず、ミリアリアは窓の外へ視線を移して言葉を加えた。

「それだけじゃない、
この美しい自然も。」

ミリアリアの視線を辿るようにアスランは窓の外を見た。
そこには白の濃淡だけで描かれた白銀の世界が広がっていた。
プラントでは同じ色彩で同じ光景を人工的に再現することは可能だが、
今自分が抱いている自然への畏怖の念と美しさの感動を人口的にもたらすことは不可能だ。
地球でしか生まれないものがある。
その真実をこの瞬間だけでも思い知る。

「もしこれが壊されたら、
誰だって許せないだろう。」

アスランは心のままの言葉を紡いだ。
しかしミリアリアは複雑な表情のまま、もどかしげに応えた。

「そうね、きっとみんな、
許せないって気持ちになると思う。
でももし、時と共にそれを許せる人がいるとすれば、
地球を出たことの無い人と
地球に訪れたことの無い人だけかもしれないわ。」

ミリアリアは思う、アスランのように地球に訪れたコーディネーターが
地球を愛してくれることはとても嬉しいと。
でもその一方で、怖い気持ちもあったのだ。
地球を愛するあまり、ナチュラルを許せなくなるのではないだろうかと。
地球から追放されたコーディネーターが抱く、
地球への憧れにも似た愛情が、
地球を汚しながら居座り続けるナチュラルを許せなくさせるのではないか、と。

――例えばナチュラルが、
   このバルティカの建築と美しい景観を破壊したら・・・。

そう思ってアスランへ視線を向ければ、
あいまいな表情をしているのが見えて胸が詰まった。

 

その時、廊下の突き当たりの扉の方からざわめくような声が漏れ聞こえた。
傾きだした世界から切り離されたように静寂に包まれていた王宮に、
ざわめきはことさら異常を知らせるように響いた。
何かあったのだろうか、
そう思考するよりも先にアスランは駆け出していた。
靴音はビロードの絨毯に吸い込まれ、自分の息使いだけが耳についた。
長い廊下の突き当たりの扉が近づくにつれ、
吸い込んだ息の数だけ肺が冷えていく筈なのに、胸が熱くなっていく。
嫌な予感が思考を占めるその前に、アスランは扉を開けて大広間へ出た。

丁度正面に位置するバルコニーにいたのは
大臣や官僚を引き連れた、皇帝ユジュであった。

 

 

――ちょっと・・・、足速過ぎっ。

ミリアリアはアスランの加速度について行けず、
大広間の中へ消えていく背中に溜息をついた。
その時だった、ポケットの携帯用端末がメールの着信を告げた。
誰からだろう、そう思って画面を見れば直属の上司の名前があった。
定期的な報告を求めることも無ければ、直接連絡を寄越してくることも無い、
放任主義のバルトフェルドからのメールにミリアリアは眉を寄せる。
何か起きたのか、それとも彼特有の気まぐれか、
ミリアリアはメールを開封して言葉を失った。

地球連合が沈黙を破ったのだ。


 


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