10-15 時を待つ人
「間に合って良かった。」
突然目の前に現れた彼は
カガリと同じ琥珀色の瞳を緩ませて微笑んだ。
その仕草はキラのそれと酷く似ていた。
マリューが寒気を覚える程に。
こうして見れば、ハルキアス大統領とカガリは血のつながった兄妹と言った方が
しっくりくるような気さえしてしまう。
微笑みあった姿は
同じ花畑から切り採った2輪のひまわりのようだったから。カガリは喜びがはじけたように彼に向って駆けだした。
「お兄様っ!」
そう言ってカガリはカミュの手を取った。
まるで女性のように細い指にドキリとして、
カガリは慈しむようにそっと手を包み込んだ。「どうしてこんなところに?
まさか・・・。」カガリの言葉にカミュはいたずらっぽく片目を閉じて応えた。
「そ。
少しだけ、脱走してきちゃったんだ。」今頃行政府は大混乱に陥っているのではないだろうかと思ったカガリは
眉を吊り上げた。「お兄様っ!
ダメだぞ、脱走なんてっ。」カガリがそう言えば、カミュは笑い声交じりに反撃する。
「そう言うカガリだって、
脱走は得意中の得意なんだろ?」ぐっと言葉を詰まらせたカガリにカミュの笑みは益々深まる。
――あぁ、本当はもっとこうして君とふれあっていたいのに、
カミュの背後に控えていた秘書官が合図を出し、
カミュは頷いた。
もう行政府へ戻らなければならない時間であり、
カガリの出発の時刻も迫っている。――どうして時は私達を待ってはくれないのだろう。
頬を染めながら首元のスカーフを撫でるカガリを瞳に映しカミュは思う。
――いや、時を待ったからこそ、私達は出会えたのかな。
――ずっと待っていたんだ、
君に出会える時を。――君と共に生きられる時を。
カガリは、カミュの背後に控える秘書官の様子から
こういして一緒に居られる時間はわずかであることを読み取った。
さらにカミュの態度から、大統領としてではなく一個人として見送りに来てくれたことも。
だから公に関わる話をすべきではないこと位分かってはいたが、
世界を想えばどうしても問わずにはいられなかった。「お兄様、
もう戻れないのか。」何が、
何処に。今の世界に広がる全てを内抱した問いを
カガリは投げかける。「戻すために、戻らない。
そう決めたんだよ、コーディネーターは。」平和な世界に戻すために、
今から過去へは戻らない。
例え平和を実現するために
争いを招いても。
コーディネーターは、そう決めたのだ。カミュの琥珀色の瞳に光る眼光は
強い使命感を示しているように見えた。
でも、何処か儚むようにカミュは視線を流した。「私は、問いかけた。
そして、コーディネーターが示した答えを
世界に告げた。
ただ、それだけだよ。」まるでそれが自分の使命のように告げるカミュに
カガリは言葉を失った。
何故だろう、初めてカミュの心の表皮に触れられた気がした。しかし次の瞬間、
カミュはいつもの柔らかな笑顔を浮かべた。
スカーフに触れていたカガリの手を取って、
同じ琥珀色の瞳を重ねた。
そしてカガリの胸を鼓動がひとつ大きく打った。
思いの外強い眼差しに捉えられて動けない。
カガリは直観的にお兄様が何かを伝えようとしているのだと感じた。
淡く浮かべた儚いカミュの微笑みに何かを読み取ることは出来ない。
もどかしさにカガリは口を開いた。「お兄様、スカーフをありがとう。
とても気に入っているんだぞ。」するとカミュはそっと瞳を細めた。
まるで眩しい光を見たように。
続いたカミュの言葉は意外なものだった。「君たちのイメージに、ぴったりだと思って、
このスカーフを贈ろうと思ったんだよ。」“君たち”の言葉が指す意味が分からずに、カガリは小首を傾げた。
そんなカガリの仕草に、カミュはくすくすと笑みを零した。「ほら、建国レセプションで・・・、
その時のイメージ。
瞳の色。」“アスランのことは、好き・・・?”
その問いが脳裏に浮かんで、カガリはあまりに素直に頬を染めた。
心が無防備になっていたのは、カミュの仕草がキラに似ていたからだろうか。
それとも、飴色の瞳の甘い輝きに魅せられていたからだろうか。「あの時は、ごめん。
カガリを泣かせたかった訳じゃない。」そう言って瞼を伏せたカミュは頬に睫の影を落とした。
「分かってるさ、お兄様。」
カガリが浮かべた微笑みが陽の光のように照らすから、
何かに呼び覚まされるように瞳が開く。
カミュは初めてキラがうらやましいと思った。
実の弟として名乗り、堂々とカガリの隣に立てることに嫉妬を覚える。
そんな感情を振り切って、カミュはカガリに告げた。「お似合いだと、私は思うよ。
まるで運命のように。」「え。」
カミュの言葉の意味を解せずに、カガリは小さな声を上げた。
お兄様は何のことを言っているのだろう。
このスカーフのことだろうか、
それとも・・・。
カガリがそっとスカーフに触れた時、
視界の端に映った色彩に鼓動が跳ねる。――私とアスランの瞳の色・・・。
カガリがカミュに問いかえそうと息を吸い込む前に、
カミュは困ったように眉尻を下げた。「ごめん、そろそろ戻らなくちゃ。」
カミュは想像以上に多忙な筈なのに、
こうしてリスクを冒してでも会いに来てくれた優しさが
カガリの心に染みこんでいく。
伝えたかった何かを理解することは出来ないけれど、
伝えてくれたことが何よりも嬉しかった。――本当はもっとお兄様と、こうして話をしていたいのに。
――ねぇ、お兄様、
どうして時は待ってくれないのかな。――それとも一度会えるから、人は時を待つのかな。
別れの言葉は心とは裏腹にあっさりとしたもので、
本当にこんな言葉で気持ちが伝わるのかと、不安になる程で。「ありがとう、お兄様。
どうかお元気で。」「カガリも、どうか元気で。」
向けられたカミュの微笑みは消えてしまいそうな程儚くて
残光のようにいつまでもカガリの胸に留った。
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