10-14 ラウンジにて
厳戒態勢が敷かれる宇宙ステーションには、浮遊感を帯びた緊張が満ちていた。
通常であれば出国手続きはオートで行われるところを
急きょ、テロ防止を目的に全て人の手で行うようになったため、
窓口には長蛇の列が出来ていた。
彼らの多くは硬い表情で、急かされる何かを押し込めるように口をつぐんでいる。
彼らは祖国へ帰るのだろう、そうカガリは思った。特別に用意されたラウンジの窓から出国ロビーを見下ろして、
カガリは小さな溜息を落とした。――帰国がこんなに早まるなんて・・・
ソフィアに入国した時は考えもしなかった。ソフィアに入国した時は、
建国の輝きに満ちたこの国で
自由を得た誇りと息吹くような希望を胸に抱いたソフィアの人々と共に
産声を上げたこの国の未来を語り会うのだと。
そう思っていたのに。テロがもたらした憎しみと哀しみと見えない恐怖に
喜びと希望は蜃気楼のように消えた。
夢を綴る言葉は声になる前に過去になり
報復を叫ぶ言葉が今になり
争いに怯える声が今になる。――どうして・・・。
胸に落ちる一雫の問いが幾重もの波紋を作った。
カガリは窓ガラスに映った自分の襟元に触れ、
曲がってしまっていたスカーフを結い直した。
爽やかなエメラルドグリーンを基調とした布地には
陽の光が踊るように金糸が織り込まれており
全てを進むように深い藍色で縁取られている。
その色彩は白のシャツワンピースに良く映えた。――建国レセプション以降、
結局お兄様にはお会いできなかったな・・・。「そのスカーフ、良く似合っているわ。」
窓ガラスに映ったマリューにはっとして、カガリは振り返った。
マリューはふっくらとしたお腹に手を置きながら、たおやかな微笑みを浮かべていた。「ありがとう。」
はにかんだ笑みを浮かべるカガリは、年相応の可憐さを漂わせた。
「ハルキアス大統領からの頂き物よね、
センスがいい方なのね。」そう言ってマリューは目を細め、
カガリは至極嬉しそうに頷いた。
その拍子に花のようなスカーフがやわらかに揺れた。「そうだ、お兄様からいただいたんだ。」
頬を染めながらスカーフを撫でるカガリの雰囲気は
例えて言うなら、まるで家族を褒められた時のような嬉しさに似ているようだと
マリューは感じていた。
現にカガリはハルキアス大統領のことをあまりに自然に“お兄様”と呼んでいる。
マリューは自分の抱いた疑問をそのままカガリに問うた。「カガリさんとハルキアス大統領は
いつからそんなに仲良くなったのかしら?」「え?」
カガリはきょとんと丸い瞳を明かした。
その仕草から、ハルキアス大統領との親密な関係が
カガリにとっては問われるまでも無く当たり前のこととして認識されていることを読み取り、
マリューは驚きを隠せなかった。「だって、出国前は“ハルキアス大統領”とお呼びしていたのに、
いつからか“お兄様”と呼ぶようになったじゃない?」会って2度目の相手とは思えないほど、
ハルキアス大統領とカガリの間の距離はぐっと近づいたように
マリューには映っていた。
どちらかが強引に距離を詰めたのではなく、そうなることが自然なように。
その距離感は恋人と言うよりもむしろ、
カガリの言葉どおり“お兄様”と“妹”のようだった。マリューの問いにカガリは、“あぁ”と頷いてから応えた。
「建国式典の後のレセプションで庭を案内してもらった時に、
2人で“ままごと”をしたんだ。」当時を思い出したのか、くすくすと笑みを零すカガリとは対照的に
マリューは慎重に言葉を復唱した。「“ままごと”?」
建国レセプションという祝いの席と子どもの遊びが結びつかず、
その一方で、掴みきれないあの大統領ならば何か突拍子もないことを
微笑むようにやってのけるかもしれない。
そしてマリューの脳裏に浮かんだのは、それこそ今の状況に結び付かない人だった。
そう、例えばキラ君のように、と。「そうだ。
お兄様・・・ハルキアス大統領が言ったんだ、
“ままごとをしよう”と。
“今から私が兄で、カガリが妹だ”と。」
『ままごとを、しようか。』
カガリの胸によみがえるのは、レセプション会場の庭。
ラクスの庭のように花が咲き誇り、
揺れ合う青葉が創りだしたように爽やかな風に包まれて、
やわらかな微笑みを浮かべたお兄様と、
素直なままに笑い返した自分と。『この庭を出るまで、
私が君の兄で、
君が私の妹だ。』『いいぞ。ハルキアス大統領・・・じゃなかった。
お兄様。』
「それからなの?
カガリさんがハルキアス大統領のことを“お兄様”と呼ぶようになったのって。」マリューは驚きを飲み込んでカガリに問い返した。
たったそれだけの理由、それがマリューにとっては意外だった。
ままごとの時間は終わったのに、
今もカガリの胸の中でカミュが兄として息づいているのは、
それが現実になったからなのだろうか。
2人の間だけの真実になったからなのだろうか。カガリは“うん”と言って少し思案するように、細い指を顎に這わせた。
マリューに問われて初めて、自分の言動の不可思議さに気付いた。
いや、あまりに自然すぎるからこそ不自然なのだ。
自分にとってカミュが兄であることが、
まるで大地に水がしみ込むように理解してしまった。
それは何故・・・。思案したカガリに思い当たることはただ一つだけだった。
「どうしてだか、今でも分からないけど。
ままごとだと分かっていても、本当のお兄様のように思えたんだ。
そう、キラが私の弟だって知った時と同じくらい、
自然に思えた。」何処か遠くを見詰めながらつぶやいたカガリの言葉に、
マリューは不思議な感覚を覚えた。
カガリがカミュのことを語れば語る程、
血の繋がりさえも見えてくるような2人の親しさが
自然な距離のように思えてくるのだ。
さらにカミュとカガリの似通った容姿が説得力を持って迫った。
強い意志を湛えた琥珀色の瞳と、
輝くようなゴールドブラウンの髪を持つハルキアス大統領の残像が
目の前のカガリに重なっていく。――2人の間に血の繋がりなんてある筈無いのに・・・。
カガリはキラと共にメンデルで生まれた奇跡の双子だ。
その前提に基づけばカミュとカガリが実の兄妹の関係である可能性はゼロに等しい。
もし仮に、カガリとカミュの血のつながりがあるとすれば、
それはカガリの両親のどちらかの家系との繋がりと見る方が現実的な筈なのに、
目の前のカガリとカミュを重ねると2人が兄妹の関係である方がリアルに感じるのは何故だろう。――でもやっぱり
カガリさんとハルキアス大統領が遠い親戚である可能性は低いわ・・・。マリューがそう思う根拠は他でも無いアスランだった。
――もし2人に血のつながりがあるのだとすれば、
それをアスラン君が知らない筈無いし・・・。血のつながりがあるとすれば、ウズミがカガリに半身であるキラの存在を伝えたように
カミュの存在も伝え遺したであろう。
ウズミが知り得なくても、暁内部に遺されたヴィアのメッセージを通して
カガリとキラに知らしめたのではないか。
母親であれば、遺さなければならない子どもたちに
出来る限りのことをしたいと願うのは自然な感情である。
そしてもし、ヴィアが暁内部のメッセージでカミュの存在を伝えていたのであれば
きっとアスランも真実を知っている筈だ。
しかし。――もし知っていたとしたら、アスラン君はもっと別の動きをした筈だわ・・・。
例えば、実の兄であるカミュとカガリが接触できるように動く、
もしくは接触を避けるように細心の注意を払うだろうが、
アスランの動きはむしろ見えない敵へ向いていた。
姿を見せないキラとラクスの身を案じ、同じ危険にカガリが巻き込まれないように・・・、
そんな動きだったとマリューは思う。――大統領はきっと他人の空似なんだわ。
状況判断でマリューはそう結論付けた。
大きな違和感を飲み下して。
その時だった、ラウンジの扉の向こうからモエギのパニックに陥ったような声が響いた。
それと共に複数の足音も聞こえる。
何だろう、そんな表情でカガリとマリューが顔を合わせた瞬間ラウンジの扉が開き
風が舞い込むように現れたその人にカガリは瞳を見開いた。
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