10-12 flavor
エレノワはコンファレンスルームの扉を開き、手短に会釈して入室した。カリヨンのコンファレンスルームが
ラクス捜索隊の実質的な作業場になっていた。
最高元首の捜索という国家規模の事態であるにも関わらず、
このコンファレンスルームにいるのはラクスの秘書官であるエレノワとニコライを含めて数名であった。
文字通りの少数先鋭の部隊編成を希望したのは他ならぬキラだった。
しかも、隊を構成する大半がシステムエンジニアのスペシャリストであり、
MSで実戦できるのはキラただ一人である。
この構成にエレノワは寒気を覚えた。
キラは、ラクス捜索でテロ組織と遭遇する可能性は低いと踏んでいるのか、
それとも、遭遇したとしてもストライク1機で対戦できる自信があるのか。
恐らく答えは後者だ。
しかし、少ない人数の中でシステムエンジニアの数を最大限まで増やした理由は他にもある。
捜索の指揮系統の最先端に位置するキラの隊にとって最も重要なことは、
正確な情報を収集することである。
組織が大きくなれは広範な網を張れるかもしれないが、
組織をまとめるために時間と労力を要する。
そのため、キラのパフォーマンスを下げることのない人数で組織化し、
最大限の情報を収集するためシステムエンジニアを配置したのだ。しかし、この組織は綻び出しているのではないかと
エレノワは懸念していた。「っ〜。」
PCへ向かっていた青年が肩を押さえて腕をまわして、
もう一度作業に戻った。
その仕草だけでも分かる。
ここにいるシステムエンジニアだけでも追いつかない程、
キラの情報処理能力が上回っているのだ。
そして。「また、キラ様は宇宙へ行かれました。」
エレノワは溜息をかみ殺して自席についたが、はやり納得ができず
上司であるニコライの方を向いた。「もうずっと、キラ様は休憩も睡眠も取っていません。
これではキラ様の体が持ちませんっ。」その組織はキラの能力を中心に構成されている。
裏を返せば、キラが潰れると同時に破綻してしまうのだ。
そして、キラは限界をとうに超えていると、誰の目からも明らかだった。ニコライは苦味を帯びた笑顔を見せて、肩をすくめた。
「お倒れになる・・・かもしれないが・・・。
誰に止められると言うんだね、
今のキラ様を。」ニコライの言葉にエレノワはぐっと喉を詰まらせた。
そんなことが出来る人物がこの艦に居るのなら、
とっくにキラを休ませているだろう。
エレノワは苦し紛れに、しかし現実的な名前を上げた。「例えば、実のお姉さまのように慕われているアスハ代表や、
幼少の頃からのご親友のアスラン・ザラ准将にお願いしてみては。」ニコライは組んだ手を見詰めて、小さくため息をついた。
「確かに、そのお二方であればキラ様を止められるかもしれない。
だが、副議長の通達により、キラ様を含めカリヨンに同船している者は皆
プライベート通信の使用を禁じられているだろう。」ラクス捜索に関するあらゆる情報の漏えいを防止することを目的に、
副議長からの通達には個人の活動に厳しい制限が課せられていた。
そのひとつが、プライベート通信の一時的な禁止である。
アスランとカガリがいくらキラと連絡を取ろうとしても叶わなかったのはそのためだ。
全てここでシャットアウトされていた。「これまでオーブのアスハ代表やザラ准将からキラ様宛の連絡は度々入っているが、
受信できないようにこちらで操作している。
その逆もしかりだ。
そんな状態で、どうやって外部と連絡を取るんだ。」ニコライの言葉は正しい。
エレノワはやるせなく宇宙へ視線を馳せた。
そして思うのだ、キラ様は、本当は孤独な方なのではないか、と。
いつもラクス様が傍にいることが当たり前で、気付かなかったけれど、
本当は・・・。
――キラ・・・。――応えてくれ・・・キラっ。
カガリは瞳を閉じて、自分の胸の内に呼びかけるように
半身の名を呟いた。
キラがfreedom trailの真実を知り、絶望の淵にいた時は、
魂が共鳴するようにキラを近くに感じることができた。
キラの心が冷たければ、カガリの胸の内も冷たくなり、
キラがもがき苦しめば、カガリも同じ痛みを覚えた。
それなのにどうしてだろうか、
カガリはソフィアに入国してから
キラを感じることが出来なくなってしまったのだ。
きっとキラは今、ラクスを失って辛くて、苦しんでいるのに、
どうして心に寄り添うことが出来ないのだろう。そんな疑問がカガリの胸を満たした時、
部屋に据えられた大画面の映像に視線を奪われた。
そこには、ソフィアの市街地でナチュラルの企業の店舗が
民衆によって襲撃されている映像だった。
人々は手に持った石を投げつけ、ある者は火炎瓶を店内に投げ込んでいた。
彼らの表情は憎しみに歪み、
迸る感情までもが見えるようだ。カガリはきつく唇をかみしめた。
アスランがソフィアを発ってから数日、ソフィア国内は反ナチュラルに傾き
状況は悪くなる一方だった。
嘗てソフィアは、プラントの独立自治区として、プラントから大幅な自治権が認められており、
コーディネーターの国の一部でありながら、ナチュラルの研究機関や企業を受け入れ
交流を図っていたのだ。
現にオーブはソフィアの研究機関と連携し研究者の交流を行う他、
一部企業はソフィアに進出していた。
世界は、ソフィアの進歩的な取り組みと、クライン議長の存在により、
遠くない未来にナチュラルとコーディネーターの溝に大きな橋が掛るのではないかと
希望を抱いていた。――その象徴的な地域であるソフィアで、
人種差別的な破壊行為が行われるなんて・・・。カガリはやり切れない思いに拳を握りしめた。
状況の悪化と、会談再開の無期限延期に伴い、
明日カガリは帰国することが決まっていた。
オーブ内政も世界情勢を思えば一刻も早い国家元首の帰国を望んでおり、
オーブの民からはカガリの身を案じて早期の帰国を求める声が高まっていた。「カガリ様、どうぞ。」
その時、秘書官のモエギがカガリにティーカップを差し出した。
カガリが礼を言いつつティーカップを傾ければ、ほのかにワインの香りがした。「ほんとうに良い香りだな。」
「はい、ソフィアを代表するロゼワインのフレーバーティーです。
私、お土産用に買っちゃいました。」そう言って小さく舌を出したモエギと一緒に笑い合い、
カガリはティーカップに唇を寄せた。
ロゼワインの香りと味わいは、まるで精神安定剤のように
カガリの心を静めていった。このロゼワインはソフィアに入国してから何度も、
形を変えてはカガリの前に出された。
今回のようにフレーバーティーとして、
ある時はノンアルコールのシャーベットに、
ある時はマカロンに。
だが、最も印象深いのは建国レセプションの時、
カミュ・ハルキアス大統領とアスランと一緒に楽しんだグラスワインだった。――本当に美味しいワインだったな。
お父様も召し上がられたのだろうか・・・。ぼうやりとそんなことを考えたカガリは知らなかった、
このワインが持つ意味を。
「そうか、明日、カガリは帰国するのか・・・。」
カミュは瞼を伏せて頬に睫の影を落として
“さみしいな”と、素直な言葉を漏らした。
そんなカミュの言葉に、マキャベリは沈黙を返した。
そんな仕草がマキャベリらしく思えてカミュは小さく笑うと
ロゼワインのフレーバーティーのカップを揺らしながら問うた。「あなただってさみしいだろう、
アスランがソフィアを離れて。」マキャベリは厳格な口元を緩め、まるで子どもを窘めるような口調で応えた。
「アスハの娘に会うのなら、当然・・・。」
“大丈夫だよ”、そう言ってカミュは口元に緩やかな弧を描いた。
「カガリは毎日、食事やティータイムの度に口にしている筈だから、
このワインを。
少なくとも、あと2・3日は効力が続く筈だよ。」ティーカップから二重螺旋のような湯気が立ち上り、
口に含めば染まるように香りがしみ込んでいく。「それにこれから、
カガリにスカーフを贈るつもりだしね。」念には念を、そんな気持ちが伺えるような声色で
カミュは続けた。「レセプションでカガリのために用意した繊維と同じ、
“カガリを護るための加工”を施してあるからね。
それを身に着けていれば大丈夫。」そう言って肩をすくめたカミュは瞳を閉じた。
瞼の裏には、オーブで開催されたキラとラクスの婚約レセプションでの失態が描かれていると
マキャベリには筒抜けだった。
その失態はカミュが意図的に犯したものであったことも。「きっとカガリなら私のために身に着けてくれると思うんだ。
首元に結って、ね。」瞳を開いたカミュは、
まるで恋人とのデートを心待ちにするような初々しい表情を見せた。
浮ついた空気を纏うカミュに、マキャベリは釘を刺す。「とにかく失態は避けろ。
いい加減、勘付かれる。
相手はウズミの娘だ。」カミュは琥珀色の瞳を真直ぐに向け、マキャベリに問うた。
「まだ認めないの?
カガリのこと。」問いかけに対して沈黙を貫くマキャベリに、
カミュは小さな笑みを零した。「言ったでしょ、
2人は運命の出会いをしてしまったんだよ。」
←Back Next→
Top Chapter 10 Blog(物語の舞台裏)